なぜ左翼と右翼に分かれるのか

月に1回なんとか更新しているブログで、次は何を書こうか結構よく考えているのですが、今回は昨日くらいからちょっと思った話を書いてみたいと思います。

以前の記事で現代社会に起きているのは分断というよりも細分化であるという趣旨で書いたことがあるのですが、ここではざっくりと、なぜ左翼と右翼に分かれるのかについて書いてみます。左翼と右翼の順番にしているのは、このブログを横書きで書いているので、並べた時に左側に左翼と右側に右翼が来ないとモヤモヤするというだけで特に理由はありません。

よく言われているのはインテリが左翼で、右翼には低学歴が多いみたいなことですが、それは厳密には間違っていると考えています。

日本では戦後に学生運動が盛んであったように、当時のインテリ層が反政府的であること、戦争に反対することなどが賢いみたいな傾向があったことは事実であり、その傾向は今の年配層などに続いているものだと思います。でもそれでいうと、学生運動と対峙していた三島由紀夫さんこそ言うまでもなく当時のインテリ層の最たる人物の一人であり、右翼そのものであったことに間違いないですからあくまでも傾向ということになります。

以前にもこのブログで書いたことがありますが、私の母方の祖父は貧しく学校には行けなかったですし、独学で勉強して賢い人ではありますがインテリ層では全くありませんでした。アルコール依存症の祖父は共産党員が酒を奢ってくれたことがきっかけで共産党を支持して赤旗新聞を購読していました。やはりあくまで傾向ということで必ずではないのです。

それでも左翼と右翼を分けるものがあるとすれば、大雑把に2つの要因が思い浮かんだのでそれについて書いてみたいと思います。

1つ目はハードな肉体労働をしたことがあるかどうかも1つのポイントになると思います。本人がそうでなかったとしても家族や周囲の人が従事しているのを目の当たりにして大変さを知っているとかも含まれるかもしれません。

ハードな肉体労働といえば、どんなものを想像するでしょうか。自衛隊や消防隊員とか、土木作業員とか、売れっ子の漫画家とか、ゲーム開発者やプログラマーとか他にも色々ありそうですが、ここでは文字通り肉体労働という意味で、情報よりも物理的なものを扱うために身体を酷使するようなきつい仕事に絞ります。

実は私自身もそういうきつい仕事の経験がなかったのですが、ある時期にあるきっかけで本当にきつい作業をしていたことがあります。想像している以上に大変でした。

そのような肉体的にしんどい仕事をずっと続けている人もいます。人によっては他の仕事に就労することができないため嫌でも続けざるを得ない人もたくさんいるでしょう。地面に穴を掘ったり、物や機械がちゃんと機能するように寸分の狂いもなく設置したりする。そうした物理的な作業に従事して失敗が許されない状況で肉体も酷使する生活を続けている時に、現実的とは思えないような、いわゆる頭がお花畑状態の理想を語る左翼を見かけたらどのように映るでしょうか。

コンクリートから人に、とか物理的にメンテナンスが必要なインフラを度外視する政治家を見て心から支持することができるでしょうか。その結果、土建業などは右翼とは言わないまでも保守的な政党を支持する傾向が生じてきます。きつい仕事だと成り手が少なく、他の業種に比べると学歴が問われない場合があるため、自然な流れとして右翼は低学歴が多いということもあるかもしれませんが、低学歴だから右翼ということではないと思うのはそういうことです。

物理を見ているということは目の前の現実を見ています。2024年問題という言葉がある通り、今は運送業の人手不足が深刻化していますが、これからは建設業なども人が足りなくなってきます。そこに根本的な解決策がない限り、情報に投資していてもインフラや住居などが失われてしまえば国の発展はありません。こうした業界が国の重要な支えになっていることを知るべきだと思います。

その上で、私はそうしたきつい仕事を経験する前から保守的な傾向が芽生えていました。自分では中立だと思っていますが、左翼の方から見たら右だと思われるかもしれないので、あえて保守的な傾向とします。

そのきっかけはテレビのニュース番組です。

具体的な番組名を挙げる必要はないのですが、自分が明確に覚えているのはテレビ朝日の報道ステーションの初期の辺りだったかと思います。

今ではテレビでもそれほど伝えなくなったかもしれないですが、いわゆる靖国問題やいわゆる従軍慰安婦問題について報じられる機会が多かったように思います。朝日新聞が従軍慰安婦については捏造だったと謝罪するよりも何年も前ですからね。

当時は三島由紀夫の本を読みながら大江健三郎の小説も読んでいるくらい、どちらにも加担せず、そもそも左翼とか右翼とかもよくわかっていなくてフラットな気持ちでいたと思います。むしろ旧友の両親が学校の先生で今思えば日教組だったかもしれないので、左寄りの影響を受けていたかもしれません。

ネットがすでに普及しつつある時で、個人的にはパソコンを購入したのがまあまあ早い方だったと思います。当時のバイト先でパソコンを買ったことを話していたら、パソコンって何のために必要なの?と社員の数人から言われたことがあったくらいの時代です。アマゾンや楽天はサービスを開始していたと思いますが、アマゾンは書籍しか扱ってなかったですね。

要はテレビのニュースでは「いわゆる」なんとか問題という言い方をするだけで、何が問題なのかを伝えてくれませんでした。それも何か日本政府が悪いことをしているかのような印象の伝え方です。気になってくるのでネットで検索するようになると、靖国神社に総理大臣が参拝することはそんなに悪いことなのかとか、従軍慰安婦っていうけど日本の軍隊が強制した証拠はないらしいとか、色々出てくるわけです。

少なくとも色々な見方があって意見が割れているのに、テレビでは一方的で客観的な伝え方をしていなかったことがわかりました。そこで一旦メディア洗脳みたいなのが解けていったというのがあります。ちなみに私の世代では教科書にも従軍慰安婦は西洋の魔女狩りみたいなもので、あってならないことだみたいなことが書いてあったと思います。そこで教育の洗脳からの脱却というのもあったのかもしれません。

逆にいえば、メディアのこうしたところを問題視してこなかったり、学校の教育は正しいと受け入れたままだった場合は大人になっても左翼的だったりするのかもしれません。むしろ勉強ができた人ほど、そこに疑問を持たずにそのような情報が強く頭の中に残っているので左翼になったりするのかもしれません。信じていたものを疑って現実を見るというプロセスがないと、よほど恵まれた環境で育ったとかではない限り、左翼的なものから脱却することができないのかもしれません。一応、かもしれないと書いているのは断定すると圧力をかけられそうな気がしたからです。

ざっくりとまとめると、国の発展はインフラの整備とメンテナンスによって支えられており、従事している企業や人も多いため、それを度外視したようなお花畑な理想を語る政党は支持されにくい。理想(情報的な世界)を見ている人は左翼的な傾向になり、現実(物理的な世界)を見ている人は右翼的な傾向になりやすい。それとは別にメディアや教育による洗脳がそのままになっている人は左翼的な傾向になり、脱却を試みた人やそもそもどちらにも染まっていなかったり恵まれた環境で育った人は右翼的な傾向になりやすい(恵まれた環境で育った人には具体例があるのですが訴えられたりしたから嫌なので自重します)。のではないかと思います。

あと、これは討論番組とかを見ていて以前から思っていることですが、左翼の人は話が矛盾したり議論から離れたことを持ち出して時間を埋めようとしているように見えることがある一方で、右翼の人は思想の危険性などはあるかもしれないけど筋を通しているように見えるので、論理的に考えれば右翼の方が話の整合性や完成度が高くなってしまうのだと思います。

本来なら思想の優劣でどちらかを選ぶべきかもしれないのですが、こうした論理的な整合性やメディア洗脳から脱却しているという部分で、どっちが現実を見ていて国民の生命を守っていけるのかは自明になってくると思います。そういう意味では日本だけではないと思いますが、まずは両方のレベルが同じくらいになっていかないと、思想としての分かれ方ではなく、このような個々の経験によって分かれるという流れは終わらない気がします。

そして以前にも書きましたが、現代社会では単純な分断が起きているのではなく、それぞれがそれぞれについての意見が異なってきて、その組み合わせは膨大になっているので、むしろ細分化が進んできています。コロナ禍を例にすると、マスクをした方がいいと思う人の中にロックダウンすべきだという人とすべきでないという人に分かれ、マスクをしない方がいいと思う人の中にもロックダウンすべき人とそうでない人に分かれます。項目が増えれば増えるほど意見が細分化していきます。おそらく左翼と右翼についても左翼だけどこの問題については右翼と意見が同じとか、様々な項目で見ていけば、一人一人を単純に左翼とか右翼とか言えなくなってくると思います。

最後まで読んで頂きありがとうございます。