夢占いはあてにならない
|
12.1.17
眠りが浅いためか、昔から夢はよく見るし結構覚えていたりする。私が10代の頃だったと思うが本屋で夢占いの本を見つけた。
それは多分ここで名前を言えばわかる人もいると思うが、結構有名な占い師が監修している本で、絵本のように少し大きめで、幻想的な絵などが描かれていた。
その後、小説で読んだ、三島由紀夫の最期の作品となる大作「豊穣の海」4部作の最初の「春の雪」では主人公が夢日記を付けていたりして、夢の持つ神秘的だったり奇想天外な部分に惹かれていたと思う。
そして、ある日こんな夢を見た。
実家の玄関先で私は獣に追いかけられている。
動物に詳しいわけではないが、なぜかそれが虎でもチーターでもなく、豹(ヒョウ)だと確信している。
私はなんとか豹から逃げながら家のドア(引き戸)を開けて中に入るやいなや、戸を閉めた。
しかし、戸は完全に閉まらなかった。
豹の片方の前足が挟まっていたからだった。
私はなんとか戸を強引にそのまま閉めようとするが、豹の力がとてつもなく強く、ドアが開けられてしまい豹が家の中に侵入する。
私は戸を閉めるのを諦めて、家の中を逃げ惑う。
しかし豹に追いつかれた。
豹は立ち上がり、その勢いで私に飛び掛ると、鋭利な爪で私の顔面を切り裂いた。
痛みはなかったが、爪で顔をえぐられているのを感じながら、ああ自分は死んだなと思いながら床に倒れる。
豹は倒れた私を馬乗り(豹が馬乗りは分かりにくいが)になって、さらに私の身体を爪で切り刻もうとするところで目が覚めた。
夢から覚めてからは、その夢占いの本を読もうとした(読もうとしただけで読まなかったかもしれない)が、豹が載ってなかった(もしくは載ってないのを知っていたので読まなかった)ので、インターネットで調べることにした。
すると幾つかのサイトが出てきて、その中の一つを見てみると、豹の記載があった。
そこには豹は上司を意味するということが書かれていた。
また、それは別のサイトだったかもしれないが、馬乗りにされるというのはトラブルを暗示していると書いてあった。
単純に組み合わせると、上司とのトラブルということになる。
なんだかその当時のバイト先に出勤するのが億劫になった。
しかし、変な夢を見たからといってバイトを休むことはできず、いつも通りに出勤すると職場の雰囲気がいつもと異なっていた。
妙にざわざわとしてて、緊張で張り詰めている感じもする。
どうやらその日になって急に本社からのお偉いさんが視察に来ることになったらしい。
その会社は全国展開していて、自分のバイト先が北海道の店舗なので北海道エリアの偉い人はたまに来ることはあったが、その日は東京から、その人はどうも社長よりもある意味では気を使うような存在で厳しいことで有名らしい。
今思えば会社の役員とかなのかもしれないが、その当時はそこまで聞くこともなく、普段なら一番上の上司にあたる店長がピリピリしている。
他の上司や社員の人にも緊張感が走っているように感じられる。
何かミスをして目を付けられようものなら、厳しく叱責されるだけでなく出世の道を諦めたほうがいいくらいの雰囲気だった。
そこで、その日見た夢のことを思い出して、すごく嫌な気分になった。
今思えば、全国にたくさん店を構えていて、店舗ごとにもたくさんの従業員がいて、その中のバイトなんて眼中にないだろうというのはわかるが、タイミング悪くその上司が通りかかった時にミスでもして怒られるかもしれないと思った。
そして、その日私が担当することになった持ち場が事務所のすぐ出入り口の近くで、頻繁に通りかかって見られるであろう場所だった。
なぜよりによって社員ではなくバイトの私がそんな場所なのか。
これも今思えば偶然ではなく、もし怒られたとして、あいつはバイトなんでって感じで言い訳するのに良かったからなのかもしれないが真偽はわからない。
少なくとも大半の上司に嫌われていたと思うので、仕事ができるからその場所を任せていたという訳ではなさそうだ。
当時は職場で親しく話せる人も少なくて、そういう人がいたとしても、変な夢を見たから持ち場を変えさせて欲しいとか、そもそも夢の話すらできそうもない感じだった。
その後、いつも通り仕事をしていると、やがてその厳しいと噂されている本部の上司が何度も通りかかった。
そもそも北海道の偉い人も厳しくて怖い人らしいのだが、その人も来ていて隣でヘコヘコ媚びへつらう様を見て、その時は思いださなかったが、これはまさしくべジータがフリーザを見て恐れおののく時のようだ。
あの強いべジータをここまで震え上がらせるフリーザとは一体どれほど強いやつなのか。
その脇にこれもまた普段偉そうにしている店長が一緒に店舗内を見て回っているが、心ここにあらずという感じだっただろうか。
何度かその都度、ジロジロ見られた気もするし、たまに鋭い眼光で見られていたような気もするが、結果的には特に何もなく、無事にその日の仕事を終えることができた。
あれは何だったのだろうか。
都合よく解釈すれば、確かに上司とのトラブルとは言わないまでも、そこまで偉い人が来る日にそういう夢を見たというのはある意味当たっていたのかもしれない。
しかし、もしそういうことがなかったとしても店長だったり、他の上司だったり、社員の人だってバイトの人間からすれば上司といえなくもないから、いずれにしても不安に思うことになったのではないだろうか。
そこでトラブルが起きれば夢占いが当たったとなり、その後も信じることになったかもしれないことの方がある意味では恐ろしい。
私はその日を境に夢占いは信じなくなった(元々興味本位だったから信じていた訳ではないと思うが)。
その後は認知科学だったり脳科学の本などを読んだりして、 そもそも夢自体に特別な意味がないという科学者の意見なども読んだ。
夢診断といえば、フロイトやユングの心理学では大きな意味を持っていたと思うが、そういう面でも夢に興味を持っていたきっかけだったかもしれない(あまり覚えてないが)。
科学的には夢というのは、日中に見たり体験した記憶やそれまでの記憶を整理したりする脳の機能があって、その際に色んな記憶がごちゃまぜになったりする過程で認識されるもののようだ。
だから夢は眠りが浅い時に見るというのは納得がいくような気がする。
睡眠時に脳が情報をいくらか認識できるくらいには目覚めていて(完全には目覚めていないだろうけど)、その時に様々な記憶を検証して、これは重要だとかそうでもないとかやっていたら、色んなものが混ざっていて情報の整合性が取れていない状態になっていると思う。
それを見たり聞いたりしているように錯覚すれば、あたかも体験しているように感じるだろう(記憶を認識しているから当然そうなると思う)。
記憶をそうやって日々整理していかないと多分大変なことになる。
例えば、長年家で飼っている猫を見て、なんで野良猫が家にいるんだろうと思ったり、10年前に食べたガムの味がずっと口の中に味覚として記憶されていれば食べ物が食べにくくなる。
適度に忘れたり、適度に覚えているというそのバランスや認識があって人は目の前の現実を快適に生きているのだろう。
多分そのバランスが崩れてしまうことが、アルツハイマーなどの認知症なのかもしれない。
家族のことを覚えているのはそれが重要な記憶だからなのにそれを忘れてしまう。
夢自体は無意味なランダムな記憶がごちゃまぜになったものを認識する現象だとしても、その現象が精神的にもすごく重要な役割をしているということがわかる。
最後まで読んでくれてありがとうございます。