2017年11月29日、『The Gold Experience』からブログ名を変更しました。同タイトルの電子書籍をKindleで発売中。@aki080georgiaでのツイッターのまとめや書き切れないことなどを記事にしています。ご依頼などありましたらお気軽にご連絡下さい。 2023年2月21日、『1億人と結婚した男』からブログ名を変更しました。

義援金はきちんと使われたのか

| 31.12.16
●義援金が資産運用に使われていた噂など 

 東日本大震災の際に、赤十字社に集められた義援金がすぐに使われることがなく、被災者への救援ができていないという話を聞いたことがある。

 それどころか、その数百億円規模で集められた寄付金を運用して利益を出していたという噂もあった。

 実際、自分もテレビで見ていて違和感を覚えたことがあった。

 どこだかわからないけど海外にある、赤十字社の本部の代表が来日した時のことだった。

 その代表は女性で真っ赤なドレスを着ていた。

 まだ地震が起きて間もない頃で、被災者への仮設住宅すらできていないか、できていても全然数が足りていないくらいの時のことだった。

 その上、集められた義援金がほとんど被災者に届いていないという状況で、わざわざ海外から来日して、対応に追われている国会議員等にわざわざ会いに来る必要があったのだろうか。

 その後、資産運用していた件は否定している記事をどこかで見た気がするが、本当かどうかの根拠に乏しかったか、それすら気のせいだったかもしれない。

 それから5年経過した今でも、果たして募金はきちんと被災者や被災地のために使われたのだろうか。

  東日本大震災で集まった分は、他への流用がなかったのだろうか。

 きちんと使われたとしても、もっと効率良く使えたりしなかっただろうか。

 赤十字社以外でもたくさんの義援金を募っていたが、その多くがどのように使われたのか、ほとんど知られていないし、知らせていないような気がする。

 東日本大震災以外の震災や自然災害でも本当に募金はきちんと使われているのだろうか。

●そもそも募金はきちんと使われているのか

 先程から「きちんと」という言葉で、義援金がその集められた意図を歪めることなく、被害に遭われた方々へ使われてきたのかという疑問を抱いているが、ここでいう「きちんと」とはどれくらいのことを表しているか説明したいと思う。

 募金には、その特定の地域で起きた具体的な災害、例えば地震や台風や竜巻について集められることもあれば、世界のどこかにある貧困であったり、様々な種類が存在している。

 昔から気になっていることが一つある。

 貧困のある地域での慈善事業はずっとやっていて、今もやっている。

 飢餓がともなう程の貧困はいつになったらなくなるのだろうか。

 それには具体的に費用がいくら必要で、どれくらいの年月を必要としているのだろうか。

 ただただ食料や医療を提供しているだけでは貧困はいつまで経ってもなくならないだろう。

 慈善事業をしながらも、その貧困を根本的なところから解決していかない限り、例えば産業や金融機関が発展していかない限り、その地域の救済には結びつくことがない。

 世界銀行など、別の機関がそういう面で対応している可能性もあり得るが、ここ何十年で、具体的にどこどこの国や地域が慈善事業によって救われて、今は貧困から脱却して、先進国のような構造を持った社会になりましたというのを聞いたことがない。

 何十年でも貧困地域は貧困を抱え込んでいるのに、根本的な解決をしようとしないのならば、かなり偽善的な要素と、活動を続けるために、むしろ食料を与え続けることしかしないようにしているのではないかとすら勘ぐられてしまうような疑念が生じてしまう。

 問題が解決すれば、その募金は同じような問題を解決するために使われるか、義援金を募る必要がなくなっていくかするはずなのに、ずっと同じ地域の同じ問題でお金を集め続けているとしたら何のための慈善事業なのか見直さなければいけないと思う。

 問題を解決するために使うことが「きちんと」した使い方だと思う。

●どのような仕組みで問題を解決するか (1) 初期対応

 では慈善団体はどのような仕組みを持ち、行動すべきなのか。

 話を自然災害に戻して具体的に考えてみることにする。

 ある日、国内で大規模な地震が起こり、被害が甚大である場合、まず空路を確保して食料などの生活必需品を迅速に届けたい。

 規模が大きな慈善団体ならヘリコプターや小型のセスナ機などは所有するか、緊急時に確実に借りられるような契約を結ぶことは必須だと思う。

 悪天候などで飛ばせない場合もあるかもしれないが、まずマスコミの情報に頼るようでは正確に被災の状況を把握できないし、時間もかかってしまう。

 まず、荷物はそれほど運べないかもしれないが、道路などが寸断されている場合もあるため、空からの救援活動は必要だと思う。

 それと平行して、陸路からも救援物資を届けられるようにすべきだ。

 時間がかかるのは仕方ないが、だからこそ空路からも救援物資を運んでいる。

 できることならば、機関の枠を超えて、情報を共有できる専用のコミュニケーションツールがあれば良いと思う。

 こちらもマスコミや一般のSNSの情報を待たずして、既に現地を行き来している人のみが責任を持って発信して、ここの道路は通れないとか、そのためガソリンが想定より多く必要になるとか大事な情報を共有できることが理想だ。

 場合によっては一般の人が閲覧できたり、状況が変わり次第すぐに伝達できればもっといいが、非常時に嘘や不安を煽る人がどうしてもあらわれてしまうため、そうしたことにも配慮したものにする必要がある。

 できれば、救援物資だけでなく、通信機器や動画撮影も可能な機器も搬入して、被災者の方に情報を発信させることも大事だと思う。

 何度も言うが、テレビは全くあてにならない。

 むしろ不安と混乱を増強させてしまっている。

 通信が不可能でも撮影したものを持ち帰るなどして、ネットで公開すれば、被害の状況や、被災者が必要としているものがより正確に伝えられると思う。

 以上は被災地への初期対応として、次に復興に向けた取り組みについて考えてみる。

●どのような仕組みで問題を解決するか (2) 義援金を被災地に届ける

これまでにも書いたが、義援金がきちんと被災地に届いているのか怪しい。

 テレビでの寄付金を募っているのは、窓口が大手の慈善団体だったりテレビ局だったりする。

 テレビ局はさすがにきちんと流用せずに全額を渡していると思うが、それでも渡す先はやはり慈善団体である。

 それなら国であったり、地方自治体が被災した時のための専用の口座をあらかじめ作成しておくことはできないだろうか。

 国や地方自治体だから不正はないということはないだろうが、そこへ募金する分には確実に被災地には届いていることになる。

 あらかじめ、作成して口座番号を公開していれば、テレビ局はわざわざドラえもん募金とか、なんとか地震の窓口を設けることなく、その被害にあった自治体の口座に寄付を募ったらいいと思う。

 被害が甚大であれば、その自治体自体が機能せず、義援金が使われないという問題が生じる恐れはあるが、そこはあらかじめ専用の口座を作る前提であるので、そうした場合の取り決めもしておく必要もある。

 例えば、口座にお金が向かうだけではなく、災害認定された時点でその自治体には、自動的に無利子の地方債が少なくとも一億円以上発行されて、それを購入するようにするとか、事前に作る仕組みであるので、柔軟に対応できる手段が望ましいと思う。

● どのような仕組みで問題を解決するか (3) 復興を大前提にして円滑に進める

 東日本大震災で対応が遅れたことの一つには、大量に積み重なった瓦礫や流木や土砂の撤去などをどう対処するべきかが決まっていなかったことがあると思う。

 建物を建築して町並みを復興させる前には、これらの瓦礫を取り除かなければいけない。

 建築業者がいきなり訪れても、何をしていいのか、勝手に瓦礫を処分していいのか、どこへ処分するのか、手をつけられる状況ではなかったり、そうした状況が長く続いたであろうことは想像に難くない。

 ということは、大規模な災害にはまず、瓦礫の撤去をなるべく速やかにする必要があるということだ。

 とはいっても、所有者に無断で撤去していいのか、所有者はよくても誰のものかもわからないものが敷地内にあれば判断できなかったり、そもそも所有者が被災していて連絡が取れない場合もある。
 あ

 これらの問題は、非常時の対処法が法律化されていることが望ましい。

 これがベストという判断基準はないかもしれないが、明らかな瓦礫は早い段階で撤去され、物品についてはどこかにひとまとめ(土地柄や人口の規模では甚だ困難ではあるが)にして、被災者が自分の所有権を主張できるようにする(嘘を言う人もいそうだが)などの取り決めはあって然るべきであると思う。

 そうした上で、(2)に書いた義援金がそもそも被災した自治体の口座に向かうようになっていれば、そこで公共設備の補修や被災者への支援が公的機関によって可能になる。

 そうなれば義援金の使途も明らかになる。

 慈善事業団体は、貧困などの解決は別としても、自然災害については、よほど大規模で統治する自治体が消失するなどの事態が起きない限りは、寄付金を集めるのではなく、被災地の要請によって、被災者の救援に徹するスペシャリストであって欲しいと思います。

 いずれにしても、今後も大規模な自然災害が起こらないとも限りませんし、これまでとは違った、もっと確実に復興することを念頭に置いた、あらたな対応方法や仕組みが必要だと考えています。

 今回はここまでにしますが、今後もまた思うことがあれば書いてみようと思います。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

 

  

 

DVDやゲームのリージョンの話

| 30.12.16
 昨日のブログ記事の補足で、ツイッターの方でですがリージョンフリーのことについてつぶやいたので、今回は少し詳しく記事にしてみようと思います。

 ます初めにリージョンというのは簡単にいうと、国や地域ごとにグループ分けして、DVDなどを同じリージョン内であれば再生できるけどリージョンが違うとできなくなる仕様のことです。

 ●DVDのリージョンについて

 いきなりこんなことを書くのはあれなんですが、詳細を知りたい方はリージョンコードなどのワードで検索した方が確実です。

 ここでは単純に日本のプレーヤーでアメリカのDVDやブルーレイが再生できるかどうかについて書きたいと思います。

 DVDは日本とアメリカでリージョンコードが異なるため再生することができません(それぞれ何番とかあるのですが覚えてない)。

 そのためアメリカのDVDを再生するためにはリージョンフリーのプレーヤーを使用する必要があります。

 こちらもリージョンフリー、DVDなどで検索すると該当するプレーヤーなどが出てくると思いますので、そういったものを用意すると良いでしょう。

 個人的にもっと手軽に再生する手段として活用しているのが、パソコンの外付けDVDです。

 パソコンでの再生になってしまいますが、大抵4回までリージョンを変更することが可能になっています。

 もし、アメリカ以外にも様々な国のDVDを見るということであればリージョンフリーのプレイヤーを用意したほうが便利だと思います。

 外付けのDVDであれば3000円しないものも結構あると思いますので、安く視聴することができます。

 多分、大抵の外付けDVDが再生する際に、このリージョンに設定しますか?あと○回変更できます、という風に出てくると思いますので、それ専用に一つ用意してみるのもいいかもしれません。

 ちなみに結構な例外的な例だと思いますが、アニメのドラゴンボールGTはDVD自体がリージョンフリーになっていて、日本製のプレーヤーでそのまま再生できました。

 リージョンコードは米国のアマゾンだと商品の説明欄に記載されていたりするので確認するのがいいと思います。

 ●ブルーレイのリージョンについて

 こちらもリージョンが各国ごとにいくつかのグループに設定されているのですが、ブルーレイに関しては日本とアメリカが同じグループ内になっているため、そのまま日本のプレーヤーで再生することができます。

 そのため、為替のレートなどによっては日本のアニメなどでは北米版を購入した方が安い場合もあります(ただしパッケージや特典が付かないなどの仕様が違う場合はありますのでご注意ください)。

  ●ゲームのリージョンについて

 初代のプレイステーション2で一部がリージョンをフリーにできてしまう不具合があるというのを聞いたことがある方もいるかもしれませんが、そうすることで海外のDVDも再生できたり、北米版のPS2ソフトをプレイが可能になるような結構な不具合だった(実際にはこの件ではどこまでできたのか詳しく知りませんが)ことがわかると、その後、該当する機種が高額が値段で取引されていた理由もわかると思います。

 ちなみにプレイステーションは初代PS1とPS2はリージョンが設けられていて、海外のソフトをプレイすることはできませんが、PS3やPS4、携帯型ゲームでもPSPやPSVITAはリージョンフリーになっていて、海外のソフトもプレイすることができます(が、念のために確かめ下さい)。

 任天堂の機種ですと、DSはリージョンフリーで海外のゲームもプレイできますが、3DSではリージョンが設けられているためプレイすることはできません。wiiやwiiUも不可だと思います。

 では3DSに海外のDSソフトを入れたらどうなるでしょうか。

 それは大丈夫です(しつこいですが自己責任でお願いします)。

 ●米国アマゾンで購入する場合

 Amazon USで北米版のDVDやブルーレイやゲームを購入する際に知っておくと少し便利だと思うことについて書いてみようと思います(5年以上前の話で以後購入していないため違う部分もあるかもしれません)。

 まずクレジットカードの支払いはVISAかマスターカードがいいと思います。

 この2社のカードであれば、支払いをドルにするか円にするか選ぶことができるようになります。

 カートに商品を入れた合計金額が両方出ていて選択できるようになりますので、為替にもよるかもしれませんが、日本円で決済すればその金額が引き落とされることになるので、急な変動などにも恐れることなく買い物ができるようになります。

 輸送方法が3つほどあり、やはり海外からの輸送なので早いものから高く、安いものだと一ヶ月以上かかるものもあったと思います。

 それでも一時期、安いので頼んでも一週間もしないで届いたりしていたことがあったのですが、今はどうかわからないです。

 だいたいの目安が載っていますので、その商品がいつ頃に届くのがいいか考慮しながら選択するのがいいと思います。

 これも詳しい購入の方法などは他サイトの方が詳しいと思いますので、そちらを参考にして頂ければと思います。

 ●実際に購入したり、視聴したり、プレイしたゲームについて

 英語は翻訳をせずに英語のまま学んだ方が良いというのを本で読んだのと、5年以上前、1ドル80円前後の円高というのもあって、海外から直接買った方が安いという条件が重なり、何度か米国アマゾンから商品を購入しました。

 海外ドラマは個人的に面白いと思うものがなかったため(しいていえばCSIマイアミ、4400、あとは邦題ですがホワイトハウスくらいでしょうか)、せっかくなので、そのうち見てみようと思っててなかなか見る機会がなかった日本のアニメを購入していました。

 それが上記にも書いたドラゴンボールGTで、他にはDVDだと初代起動戦士ガンダムとゼータガンダムも買って視聴しました。

 ドラゴンボールGTは先程も書いたとおり日本製のデッキでそのまま再生できました。

 ガンダムの方は外付けのポータブルDVDをそれ専用に購入して、パソコンで視聴しました。

 ブルーレイでは何を購入したか忘れてしまいましたが、割と最近のアニメなども置いてあったり、当時は値段も安かったこともあり、逆にどんな内容なんだろうくらいな感じで購入していたと思います。

 その中で、スレイヤーズが全作そろっていたので、リアルタイムでは放送はしていたが見てなかったので試しに買って見た記憶があります。

 ゲームではDS版のファイナルファンタジー3とドラゴンクエスト4~6を購入してプレイしました。

 この話をすると英語なのにすごいねと言われたりするのですが、ファミコン版やSFC時代にやってるので、案外言葉がわからなくても進めてしまうんですよね。

 FFよりはドラクエの方が戦闘中も文字が出るので英語の勉強にはおすすめかもしれませんが、呪文がドラクエらしさ皆無なのでそこは注意する必要があるかもしれません。

 例えばメラなどは単純にファイアですし、ザメハはクックドゥードゥルドゥーみたいなやたら長い名前になっていたり、メガンテはKAMIKAZEでした。

 自爆する呪文に神風という言葉を使うなんて抗議したいくらいひどいと思ったくらいです。

 あと、不思議な仕様としては、太ってるキャラや地方によってはNPCがスペイン語混じり(広い世界観を表す工夫でしょうか)になっていて、全く何を言ってるのかわからなかったり、教会などで十字架がない(宗教上の理由でしょうか)など少し変わっている部分もあります。

 他のハードのゲームではPSPで、クイズ番組風のクイズゲームがあって、クイズな上に英語なので全然わからないのですが基本4択なのでまあまあ楽しめました。

 PS3やPSVITAでもいくつか購入して遊んでいたのですが、そのうち国内のゲームであるドラクエ10を始めてからすっかり遊ばなくなってしまいました。

  最後に、洋ゲーなどは日本で発売していなければどこかで購入する必要があるかもしれませんが、海外ドラマなどは、今ではHuluなどのネット配信があったりするので、わざわざDVDやブルーレイを買ってまで見る必要はなくなってるのかもしれません。

 それでもどこかで誰かの参考になればと思い、今回の記事を書いてみました。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

Meaning of Dragon Ball's Kamehameha

| 29.12.16
The etymology of Dragon Ball's Kamehameha is the king of Hawaii.
 

HA means waves in Japanese.
 
In that case HA is installed at the end so Kamehameha with the same sense of language is used.

 
It is simply like word play.

 
When saying Kamehameha in Japanese clearly pronounce any of KA, ME, HA, ME and HA
In English, in the case of ME, it sounds like "i" appears after ME.

 
With the feeling KA-MEi-HA-MEi-HA.


Even with the same words, the custom of reading may be different depending on the language.
 

By the way, KAME has the meaning of a turtle.
  
The name of the master teaching Kamehameha is KAMESENNIN.
 

SENNIN means hermit.
 

It is probably because Kamehameha which has KAME and HA required at the same time was named famous name close to Japanese.

There is also a feeling that HA breathes in with a spirit, so it will not be translated as a wave and it will be left as it is.


So thinking is that the name of the skill is very deep.


初詣や墓参りはオカルト

| 28.12.16
 田舎の方だからかもしれないけど、お盆や正月になると親戚とかから、初詣や墓参りには行ったのかという話になったりする。

 その質問が、単純に神社に出掛けたとか墓の管理をしたかというニュアンスであれば特に問題はないと思うが、なんかこう、何も疑うことなくそれが常識であって、身の回りに行かない奴がいるとこっちの運気にも影響するから行ってくれてるよね?みたいな風(ちょっと大げさだけど)に聞こえて嫌な気分になる。

 初詣に行ってそんなに良いことあったんですか?とか

 初詣の風習がない国々では悪いことが起こっているのですか?など言いたくなる。

 神社の神様の家にもカレンダーがあって、世間が旧暦を採用しててもしてなくても、それに合わせて元旦という日に初詣に行った人だけに良いことが起きるエネルギーを送っているのでしょうか。

 百歩譲ってそうだとして、なぜ賽銭を投げ入れなければならないのでしょうか。

 そのお金は神社のものになってしまうのに、神様は賽銭を要求しているのでしょうか。

  通常、宗教法人への寄付金はきちんと手続きすれば税金が免除されると思いますが、匿名でお金を投げ入れてしまっています。

 小額とはいえ、結構ファンキーな行為ではないでしょうか。

 冷静に考えてみれば、なかなかの滅茶苦茶な風習にご利益を期待してるようでは良いことなんて起こらないような気がしてしまうのです。

 墓参りもそうです。

 今現在、日本だけでも何人分のお骨がお墓の中に保管されているでしょうか。

 ざっと想像しても数千万人分のお骨がお墓の中に眠っていると思います。

 この先もずっとこのままでいいのでしょうか。

 日本だけでも数億人分の骨が墓地の中に埋葬されることになります。

 そこには様々な思いがあり、一概にはいえないものがありますが、いずれ遠い未来に私達の子孫が直面する問題になる可能性もあり得ると思います。

 もっといえば、位牌や戒名についてもよくよく考え直す必要があると思います。

 仏教は、その字の通り「仏の教え」として考えた時に、お墓を作って遺骨を保存しなさいとか、位牌に戒名を記して大事にしなさい、という言葉を聞いたことがありません。

 むしろ反対で、お釈迦様は僧は葬式に参加するなと言ったというのを読んだことがあります。

 なぜかというと、お坊さんは生きている人のために存在しているからという理由でした。

 だとすればお寺こそ教えに背いていることになります。

 これも冷静に考えると、お葬式ビジネスに従属させられているということです。

 確かに現代社会では、亡くなられた方のご遺体をどうすべきか、従来の風習に従った方が自然なのかもしれません。

 しかしそれだけが常識となり、他のことは何も考えなくなってしまうことはやはり危惧すべきだと思います。

 今はそれが当たり前になっていても、必ず変わるべき時が来ます。

 特に日本では神社やお寺にいる神主やお坊さんこそ、宗教家として正しい方向性を示していかなくてはなりません。

 だからこそ宗教法人は非課税であり、一般の業種より優遇されている面があると思いますが、ベンツや豪邸を買うために、金の亡者になってはならないと思うのです。

 そして一般の人々も、新興宗教やカルト宗教は怪しいから近寄らないし、自分は大丈夫だと思っていても、案外オカルトが身近なところに存在していることに気付いて、よくよく本来どうあるべきなのか考えることが、おかしな風習に依存しないで、未来に生きる人のためにも有益な慣習を残していければ、それこそが宗教におけるご利益になるのではないかと提示した上で、今回の話を終わりにしようと思います。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

金運が上がる財布の話

| 27.12.16
 住んでるのが田舎の方だからかもしれないけど、たまに新聞のチラシで金運が上がる財布の通販のを見かけることがあります。

 しかしかなり胡散くさいですよね。

 必ず成功者の体験談が載ってたりします。

 真面目に考察する必要もないかもしれませんが、その成功者はどういう経緯で体験談を載せることになったのでしょうか。

 やっぱり新聞の折り込み広告を見て購入し、その後に宝くじが当たったりなんかして、これはすごいってなって、わざわざその財布の販売元に連絡したんでしょうか。

 販売してる会社も連絡を受けて、ではチラシの方にその体験談を載せてもいいですか?と許可を取り、わざわざ本人の写真(だいたい顔写真も掲載されてるので)を撮影しに行ったか送ってもらうかして載せているのでしょうか。

 あと、例えば1億円当たったと連絡して来たとして、本当かどうか確かめたのでしょうか。

 まぁ、嘘ですよね。

 では仮に本当に宝くじが当たったとします。

 そうだとしてもそれは財布のお陰なのでしょうか。

 確かに金運が上がる財布を買ってから宝くじを購入したらその後に当選したとすると、財布の効果のように思えなくもない。

 しかし、財布を買ったことと宝くじが当たったことの間には因果関係は成立していません。

 そのタイミングでその売り場で宝くじを買うためには様々な巡り合わせがあったと思います。

 例えば、自分の前に並んでいた人が100枚買うつもりがお金を忘れてきて、10枚しか買えなかった。

 そのお陰で当たりくじが買えたのかもしれません。

 もっと掘り下げて考えてみると、その前の人や前の前の人、宝くじを売り場に運んだ人、その宝くじ売り場をその場所に設けた人、ものすごい偶然が積み重なって、そのくじを手に入れることができたわけです。

 ではとりあえず、前に並んできた人がお金を忘れてきたこと一つだけとって考えても、金運が上がる財布が不思議な能力で、その人にお金を持ってくることを忘れさせることができるでしょうか。

 その財布は生き物でなければ機械でもありません。

 それを遠くにいる段階で、何のカロリーも消費せず、電力にも頼らず、発熱もしないで、その人にお金を忘れさせるようにコントロールする性能を持ってたとしたら、大発明です。

 実際には金運が上がる財布を持ってたから当たったのではなく、巡り巡って偶然買えたから当たったのです。

 製品には製作の過程があります。

 電化製品などでも組み立てが終われば機能するようになります。

 金運が上がる財布はどの段階で、金運に効果を及ぼすのでしょうか。

 想像ですがパートのおばちゃんが手作りで、糸を縫っている最中でしょうか。

 それとも最後まで仕上がって財布として使えるようになった瞬間からでしょうか。

 それとも既に材料として工場に置いてある時からでしょうか。

 きっと、初めからも、それからもずっと効果はありません。

 そうでなければ、財布を作っているパートのおばちゃんから金持ちになっていき、販売元の会社は売る前から在庫を抱えれば抱えるほど金運が上がり、売る必要がなくなるでしょう。

 年に数億円稼いでいる株取引のトレーダーの中にその財布を持っている人は一人もいないと思います。

 金運が上がる財布は黄色や金色にしてみたり、なんとなくそれっぽい雰囲気にしただけのただの財布です。

 その財布のせいで金運が下がったことを証明したとして、もしかしたら代金は返してくれるかもしれませんが、損失分の補償は一切してくれないでしょう。

 金運が上がる財布を買わなければ、その代金の分だけ得したと思うことにしましょう。

 そして、目の前の胡散くさい広告に騙されることがなくなれば、その方が本当に金運が上がる一歩を進んだことになると思うのです。

 

ギャンブル依存症には月額課金制のゲームがいい

| 26.12.16
 いわゆるカジノ法案の議論で、ギャンブル依存症に関する対策ができていないという話はかなり本質からずれている。

 結構な田舎町でもパチンコ店はあるし、競馬や競輪などの公営ギャンブルはネットでも購入できるようになっていて、ギャンブル依存症が社会的な問題だとすれば既に全国どこでも起きている。

 簡単に言えばアホなのか既存のギャンブルの業界の息がかかった政治家が、自分の立場に都合のいいことを言ってるのにすぎない。

 逆にいえば、そういう政治家たちがギャンブルの依存症についてきちんと対策することはない。

 それにそもそもギャンブル依存症に対して、具体的に何をどんな目的でどのような治療をするのか全く話にも上がっていない。

 ギャンブル依存症のどこが問題かといえば、生活に差し支えがあるくらいのお金をつぎ込んでしまうことだろうと思う。

 これが数億円あって、毎日負けまくっても誰も生活に困らないのであれば、ギャンブル依存症であってもそこまで問題にはならないだろう。

  違法のギャンブルはそれ自体が犯罪なので問題だが、ギャンブル依存症が問題なら法律で制限するなり禁止するしか抜本的な解決にはならないと思う。

 それでもギャンブルをやめたいのにやめられなくて困っているということならば、一つおすすめすることがありますが自己責任でお願いします。

 それはタイトルにもある通り月額課金制のものにはまればそれ以上お金を使わなくて済むようになります。

 タイトルにはゲームと書きましたが、月額課金であれば、今は聞き放題の音楽や見放題の映画やドラマもあります。

 あと気をつけたいのは月額課金といってもオプションで別料金が発生したり、それを利用することが前提になっている場合です。

 もっと気をつけたいのは基本料金無料というものです。

 それがなぜビジネスとして成立しているか考えるようにしましょう。

 こういうとギャンブルが好きな人には怒られるかもしれませんが、ギャンブル自体はゲーム性として単純なものが多いです。

 早い者やその順番を当てたり、当たり自体が完全に運任せの場合もあります。

 それでもはまってしまうのは、当たればお金が増えたり、それ自体が射幸性を煽る音や光で彩られているという、ゲーム性とは少し別の部分ではないでしょうか。

 しかしギャンブルが好きということは多かれ少なかれゲーム性を楽しみたいということで、それは駆け引きを楽しみたいというところにも繋がっている方向性のものだと思います。

 それならば少し道を外れて、世の中には早い者の順番を当てたり、確率的に抽選し続けて当たりを待つというゲームよりも、とてもシンプルだったり複雑だったり様々なゲーム性が豊かな遊びがたくさんあることにも目を向けてみるのはどうでしょうか。

 お金を賭ける事ではなくて、ゲーム性の方を追及してみるということです。

 現代では世界中にゲームが溢れています。

 たくさんの人を夢中にさせたり、同じゲームをしている人たちが場を共有して一緒にプレイすることもあります。

 実際、パチンコ業界の歴史という感じのドキュメンタリー番組を見たことがあるのですが、70年代後半に業界が大きく落ち込んだ時期があります。

 それはインベーダーゲームが大流行した時です。

 今では信じられないかもしれませんが、インベーダーゲームがパチンコをする人たちをも取り込んでいきました。
 
 その後はパチンコやスロットももちろん進化しましたが、ゲームの方がすさまじいスピードで進化し続けています。

 最先端のゲームにまでついていかなくても、自分が楽しめる範囲で面白いと思えるものは探せばいくらでも見つかるのではないでしょうか。

 そして、できればインターネットを開設して、オンラインゲームであったり、音楽や映画やドラマが見放題の月額課金制のコンテンツにはまるようになればギャンブル依存から抜け出していけるようになると思うのです。

 ゲームによってはゲーム内でのギャンブルもあると思いますが、それでも実際のお金を使わなくて済む分、健全的であるといえます。

 そして数ヶ月ギャンブルしない状態が続いていけば、自然とお金も貯まるようになり、賭け事をしなくてもお金が増えていく、あるいは減るのが遅いということに気が付くかと思います。

 一応自分なりに具体的なギャンブル依存症の解決について考えてみました。

 それだとゲーム依存症になると思われるかもしれませんが、その場合でも月額課金でそれ以上お金がかからないものをおすすめしてみました。

 ギャンブル依存は最初の方にも書きましたが、お金が有り余ってる分にはそれほど問題にならないと思いますが、持っているお金とギャンブルにつぎ込むお金(負けるお金といってもいいかもしれませんが)のバランスの破綻の問題だと思われます。

 それならばギャンブルがゲームに代わり、ある一定の金額しか減らずに、同等かそれ以上に楽しめるのであれば比較的により良いのではないかと思うのです。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

 

 

 

 

クリスマスは洗脳

| 25.12.16
 敬虔なクリスチャン以外の人にとってクリスマスというのは、おそらく年末にお金を使ってもらうためのイメージ戦略が発展してきたものであり、その年の終わりになんとなく暖かなイベントがあった方が気持ち的にもいいだろうという雰囲気的なものから始まったもののような感じがする。

 大多数の人にとってクリスマスは飾り付けられたツリーやイルミネーションなどがあって家族や恋人と過ごせれば有意義な感じで、ツリーの頂上になぜ星があるのかや、キリストの誕生日とサンタクロースにどんな関係があるのかはどうでもいい。

 おそらく聖夜ということは本来、静かに祈りを捧げたりする、どちらかというと地味な日だと思うが、鳥にとって見ればこの時期たくさん殺される地獄の日々が毎年訪れることになる。

  この本来は清らかな日と欲望との相反するコラボレーションがなぜ同じ日に行われるようになったかといえば、クリスマスがちょうど年末の時期にあったからだと思う。

 個人的には、笑っていいとものスペシャルが見られなくなったことが残念だ。

 

自殺がなぜいけないかの話

| 24.12.16
 私自身は結構単純な人間だと思うので、ある時こんな話を聞いたら自殺をしてはいけないなと思うようになりました。

●落語には生きていていい理由が含まれている

 それは落語家の立川談志さんが生前にテレビに出ていた時にしていた話です。

 落語というのはどんな人間でも生きていていいんだという、人間の業(ごう)を肯定するものだから、と言っていました。

 落語を理解できれば自殺はしない、というような内容のことを言っていたら、他の出演者の方から、自殺した落語家もいるじゃないですか、と問われると、だからそれは落語を理解していなかったからだ、というようなことを言い返していました。

 確かに、落語では家賃を滞納し続けて払える見込みもなさそうな借主と大家さんが花見に出掛ける噺だったり、死体を引きずり回して葬式代をせびったりする噺など、自分が知る限りでもどうしようもない登場人物が出てくる内容のものが結構あるように思います。

 実際、立川談志さんは命くらい大事と言っても差支えがない自身の声を失っても、自殺することはありませんでした。

●抗うつ剤は危険という説もある

 SSRIという抗うつ剤には異常行動などを起こすリスクがあるという説もあり、海外ではもうかなり前から反対運動が起きています。

 実際アメリカですら23歳以下の若い人には使用しないようになったと新聞で読んだことがあります。

 しかし、身体や体調は人それぞれですし、ある程度の年齢を経ていれば全く大丈夫かということには疑問が生じます。

 日本で処方されていることは当然有り得ます。

 今現在はどうなのか、医療の現場にいるわけではないので個人的には現状はわかりかねますが、実際に過去にSSRIが処方されたのが原因で自殺された方がいたとしても、それで精神科医が罪に問われたという話は聞いたことがありません。

 医者は日本では禁止されてない抗うつ剤だから処方する。

 患者の方はそれで症状が良くなるというのであれば、普通に薬として服用するでしょう。

 抗うつ剤によって、おそらく脳内物質が生成されて、それが刺激となり症状が緩和されるという作用はあるかもしれませんが、その脳内の分泌物の量を適度に保てるかの確証はないと思われます。

 それこそ効き目には個人差もあるでしょうし、効き過ぎる人もいればそれほど効かない人もいる。

 効き目が長く続く人もいれば、効いたり効かなかったりの波やその振れ幅の強弱も人それぞれでしょう。

 それはその人専用にカスタマイズされた薬ではない(カスタマイズされていたとしてもそこまで正確に脳内物質のコントロールに成功するでしょうか)ということも、それがベストな治療法なのか疑問が生じてきます。

 おそらく効き目が強い場合や、効き目が切れた時などに異常行動を誘発する恐れがあり、よほど重度なうつ病でない限りは使用しない治療法を検討された方がよいかもしれません。

 既に使用されている場合は医師などに相談して、薬の依存から抜け出す方向で、そのリスクなどを十分話し合う必要があると思います。

●自殺は殺人であるという意見

 以前に読んだ本で、自殺は自分という人間を殺しているから殺人であるというような考え方の意見が載っていました。

 それ自体は何か上手いことを言おうとしているのか、実際に自殺しようと考えてる人がそれを読んで思いとどまるのかと疑問を抱きましたが、言わんとしていることはわからなくもありません。

 少し違うのですが、過去の自分個人の考え方を少しまとめてみると、例え死にたいと心底まで思っていたとしても、それは自分の人間という大きさでいったら、ほんのほんの一部に過ぎないと思うのです。

 ずっと子供の頃から嫌いな食べ物がある日突然食べられるようになることもありますし、自分は自分だと思っているその心そのものがほんの一部の事象に過ぎないと思うのです。

 そのほんのほんの一部分で一時期的に思い悩んでいることに対して、その他99.9%以上の”自分”は今の自分が気づいていないだけで生き続けたいと思っているとすれば、無理をして道ずれにすることはしない方がいいと思うのです。

 逆に生き続けていれば、その死にたい理由が覆されて、解決する可能性もあると考えれば、死を選ぶことの方が取り返しのつかないことで、後悔しかないと考えることもできます。

 おそらく自殺願望は人間以外の生き物では一生思いにもよぎらないことです。

 知能によって生きることを阻害するのではなく、より良く生きることだけに使うための道具として活用することが大事だと思います。

 私自身は何も偉そうなことをいえる立場の人間ではありませんが、自分なりに考え、もし可能であるならば自殺したいと思っている人の心を覆して、もう少し気楽に過ごしてもらえたらいいなと思って今日の記事を書いてみた次第です。

 最後までお読みいただいてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

GalaxyのCMが嫌いな件

| 23.12.16
※11月25日の自分のツイートから引用して文章を補足していますが、この件は何度かつぶやいたと思います。この時のツイートがその全ての集約になっている感じがします。ちなみに最近は別色のバージョンが出たのを宣伝するため一部CMの内容が変更になっています。

 以下がその時にツイートした内容です。

 GalaxyのCMで、暗がりのカップルを勝手に撮影してたり、自社製品(Galaxynote7日本では未発売)が爆発してるのに何事も無かったようにCMを流し続けたこと、仕上がりはプロレベルっていう誇大広告の部分が見てて嫌なところ。別バージョンのライブを無断で撮影する方は不評なのか最近見ないがそれならこっちもやめて欲しい。

 少し詳しく書いていきます。

 このCMはサムスン電子のスマートフォン、GalaxyS7edgeのCMです。

 まずカメラ機能のナレーションと説明が入ります。

 即効でフォーカス(要するにすぐ起動して撮影できますってことを売りにしている宣伝文句)

 仕上がりはプロレベル(プロレベルとは本当に素人が撮影してもプロと同等の画像に仕上がるということでしょうか。特に撮影後に加工とかしないでそのままで?では誰でもプロクラスの写真を撮れるのであれば素人が撮った写真を見せるべきです。まずそれ以前にプロレベルがどれくらいのことを意味しているのか、もしくはプロレベルとはどの程度の仕上がり具合を表しているかの定義がなく、完全な誇大広告でアウト。どんなに高性能なデジタルカメラであっても仕上がりはプロレベルなんて言わないでしょう。)

 暗がりの撮影でも、と言って暗いところにいるカップルを勝手に撮影する。(正確に何て言ってたか忘れてしまったのですがだいたいこんな感じです。勝手に撮られたカップルの女性の方が何か言ってますが字幕には日本語で”タグ付け禁止ね”です。恐らく知り合いの設定で、撮影は構わないけどタグを付けてこの画像をネットにアップしないでねということなのでしょうが、かなり非常識な行為であると思います。こういう風に使ってねという例としても最悪です。なぜこれが採用されて、普通にCMとして何度も流されて、批判に晒されて中止か差し替えになるという事態にならないことが不思議でなりません)

 そして最後に商品名と、これはやばい!の煽り文句でCMが終わります。

 何がやばいのか。

 誇大広告と非常識のことでしょうか。

 残念ながら、CMを見て、製品を買うのをやめたくなるやばさです。

 ちなみにこのCMには別バージョンがあって、それは風邪を引いてライブに行けなくなった娘の代わりに、お父さんが会場へ赴き、その製品を使って無断でライブを撮影するというものです。

 こちらはネット上でも批判的な書き込みを見ることが結構ありました。

 こっちのバージョンの方はしばらくすると見かけないようになりました。

 ならば今も放送している元々の今のバージョンも中止にすべきではないか、というのが上記のツイートの意図です。

 もっといえば、日本で発売されていないとはいえ、重大な欠陥が発覚した製品への対応に追われている一方で、該当しないとはいえ同社の製品が何事もなかったように宣伝し続けていたことにも問題意識の欠如を感じます。

 もしかしたら日本へ海外旅行に出掛けている外国人の方が使用しているかもしれず、旅行中でテレビやネットもそれほど見ていなければ、その重大な欠陥にも気づかず使用を続けていた可能性も十分考えられます。

 むしろCMには日本語と英語の字幕で、使用上の注意や対応の仕方について知らせるべきだったのではないかと思います。

 ●スマホのCMもiPhoneの真似が多い

 ここからは少し別のテーマで書いてみようと思います。

 ギャラクシーのそれ以前のCMやソニーのエクスペリアなどもそうなのですが、スマホのCM独特の鼻につく感じ、なんとなく理解して頂けるでしょうか。

 モデルの外国人がなんとなく優雅な時を過ごしながら、その会社の製品のスマホを使っている感じです。

 簡単に言うとスマホという製品だけでなく宣伝もまたiPhoneのパクリみたいなものですが、アップルのCMはなんかこう、自然と流れていく差し支えがない光景のあとに宣伝文句、キャッチコピーが一言添えられて、ああiPhoneのCMだったんだみたいなイメージがあります。

 一方、他のスマホ製品のコマーシャルではなんとなく雰囲気は似た感じですが、どこか押し付けがましい印象を受けます。

 Xperiaではいつだったか、あー、だか、うー、という伸ばした歌声が長く続いた後に、エクスペリアーーーーーーーと、ついに製品名を歌い始めてしまい、 流石に何かの冗談だろうと思ったことがあります。

 他にもクリエイティブな仕事をしているプロフェッショナルな人はエクスペリアを愛用していますみたいな切り口も見受けられますが、これはサプリメントのCMとそれほど変わりなく何も参考になりません。

 要するに、愛用者の方から、自分はこんなにこの製品を気に入っていて、この機能を伝えたいと企業に直談判してCMに出ているわけではないでしょう。

 宣伝するために先にCMを作る必要があって、どんな人が愛用してたら売れるかなぁと、そこから出演者を検討してオファーしているのでしょう。

 ならば、そのクリエイティブな人も言わされているのであり、本当に普段使用しているかどうかもわからないのに、それを見た一般の人がじゃあ使おうとはまずならないでしょう。

 何年も前ですがiPadのようなタブレット端末をソニーが出す際に、当時の社長がこの製品は2位になることを目指していると言った事が印象的でした。

 わざわざiPadに似た製品を同じくらいの価格で出して、2位を目指すというのは衝撃的でした。

 CMは良いのに製品はよくなかったということがあまりないような気がします。

 製品が良くなければ、なぜかCMもいまいちだったりすることが多い。

 実際は製品を作る人と、宣伝する人では別の部門であったり、広告会社に委託しているため、因果関係はそこまでないかもしれません。

 しかし、結局そのCMが採用されているということの背景には、製品もそれなりの質であるということをどこかで認識して、流されないようにする必要があるのかもしれません。

 最後までお読みいただいてありがとうございます。



 

 

TBSが悪い意味で気になる

| 22.12.16

 たまにテレビを見て気になったことをツイートしたりするのですが、少し過去のツイートを振り返ってみるとTBSについてのつぶやきが自分で思ったより結構多く、一度まとめてみようと思いました。

 日付はツイートした日で、ほぼ引用していますが、ツイートを元に文章を補足しています。

 ●毎年レコード大賞を放送しているTBSは、週刊文春の報道をどう捉えているのか

10/29

 やはりレコード大賞買収の件はテレビではやってないらしい。

 それが事実なら、かなり腐敗してる業界だろうから、都合が悪いことは隠蔽するのは当然といえば当然なのかもしれない。

 総務省はTBSの免許を取消すくらいして代わりに文春にあげたらいいと思う。

 局の名前をテレビ文春にすればTテレビBぶんSしゅんでそのままいける。

 たまたま思い付いたから言いたくなっただけだけど。

 レコード大賞を買収した件だけなら、それは事務所が勝手にやったことで所属タレントは何も知らなかったと言って通せるかもしれないが、今までこの件以外に不正な行為は一切してなかったと言い切れるだろうか。

 おそらく別の件では所属タレントも関わったりやらされたこともありそうだと思われても仕方ない。

 たくさんのグループにそれぞれたくさんのメンバーがいて、誰もこの件に触れないのは、タレントたちのプロ意識もあるだろうが、事務所から緘口令が敷かれていることはまず間違いない。

 多少やんちゃさや、不良っぽさを押し出してる感じのキャラクターでやってる人もいるだろうけど、おとなしく事務所の命令通りだったら、そこまで大したことないか、事務所がよほど怖いかのどっちかだろうと思う。

 疑惑に関して、それを払拭するくらい頑張るとか、疑惑自体をたくさんの所属タレントが否定する発言なら(買収が嘘だったら)、どんどんすべきだと思ったが、それすらないのは、買収が本当だったか、事務所の人間が融通の効かない(やはりイメージとは違ってかっこ悪い)から何でもかんでも黙っておけ、ということになるし、それに従順に従う大勢の所属タレントも素の部分でかっこ悪いという風に見えてしまう。

●韓国で大統領の辞任を求めるデモが行われたことについて

11/5

新・情報7daysニュースキャスターで、韓国のデモの特集をやってたけど、どんな人がデモをやっているかとか、どんな種類の抗議をしているかや、韓国のデモの歴史、こんな珍しいデモもあったとか、なんでデモ自体の詳細な特集なのか。せめて韓国で何があってデモが起きたのかをやって欲しい。ずれてる。

●レコード大賞買収問題が入っていない男女200人に聞いたニュースランキングは捏造ではないか

11/20

 アッコにおまかせの10代~60代男女200人に聞いた今週のニュースランキング!!というコーナーで、絶対にここ何週か、レコード大賞買収は入ってそうなのに、ランキングに入っていないのは揉み消した疑いがありそう。

 昔TBSはサブリミナルを故意に入れた番組を放送したが。最近は都合の悪いことはスルーする情報操作なのだろうか。

●金スマに蓮舫が家族で出演したらしいが、TBSは偏向報道が目立つ
 
 日本国籍を取得した時の書類は、他の部分を黒塗りで公開したのに、国籍選択の宣言が記載されている書類は、子供のプライベートがと苦しい言い訳をして頑なに見せないのに、バラエティ番組に家族で出るとかもう滅茶苦茶。

 ひるおび!では二重国籍の問題には一切触れずに、国会での映像で、蓮舫の快進撃と称賛してたし偏向がひどい。

●今年はレコード大賞を中止して、レコード大賞買収を追及した特番をやるべき

 レコード大賞買収の件は、毎年放送しているTBSが、今年は中止して、これまでにも不正がなかったか徹底して調査し、その結果を本来放送する時間帯に包み隠さず公開する特番をやったら、歴史的な視聴率と、真のジャーナリズムとして絶大なる支持を得られると思うんだけどな。

 株主の方は今度提案してみて欲しい。

●ドラマを海外で展開していく気はないのか

11/27

 ドラマのIQ246で毎回、英語混じりで話す刑事に向かって、英語はやめろとしつこく言う女刑事がいるんだけど、全然面白いとは思わないし、仮にこのドラマがものすごく面白かった場合に海外で翻訳したら英語圏の人を全員敵に回している。

 これが中国語やめろ韓国語やめろだったら、ここの局は許可しないような気がするのだが。

●やはり蓮舫は特別に優遇されてないか

12/7

 NEWS23は、完全に蓮舫よりの偏った報道をしていた。

 カジノは負けたお金が収益だから成長産業ではないなんて小学生でも酷いレベル。

 パチンコや公営ギャンブルどころか宝くじも買えない。

 民進党は共産主義の劣化バージョンなのか。

 それなら共産党と同じように政党助成金を拒否して欲しい。

 ※少し解説するとこのニュースでは党首討論の様子を伝えていて、その時に上記の発言や、例の息をするように嘘をつく 、と言っていた時のことですが、これを蓮舫が勝利したという感じのテロップや論調でした。

 ※ここからはツイートしてない内容でTBSのおかしいと思うところを思い出しながら書いてみます。

 TBSは安部政権が嫌いなのか、何回か、安部首相が出ている画面に間違って、(正確には覚えていないので雰囲気や例えととらえて下さい)痴漢逮捕とか容疑者が等のテロップを表示させたことがあった(ミスということにはなっているが)。

 TBSには蓮舫と同じように二重国籍のアナウンサーがいて、この問題が出始めた頃に、本人の意見なのか言わされたのか、二重国籍って問題ないですよねという旨の発言をしている。

 その発言を、そもそも蓮舫の二重国籍についてSNSなどで警告していた人達の中には、国会議員でなく、民間企業であっても二重国籍は経歴査証であるからTBSが処分するなり、該当するアナウンサーが辞任してもおかしくない案件だと発言していた人もいた。

 おそらくそこから意地になって二重国籍は完全にスルー、元々安部政権に反対の立場から蓮舫を優遇するおかしな方向になっていた可能性もありそう(それ以前からかもしれないが)。

 あと、逃げ恋(一度も見てなくて正式名称すら知らないが)の最終回が昨日放送された後であり、翌日の朝やお昼の情報番組では、異常なまでに持ち上げていたらしい。※追記『逃げ恥』でしたね。本当に見てなくて勘違いしてしまいました。

  自局のヒットしたドラマだからブームにしたいというのはわかるが、やりすぎるのもどうかと思う。

 あとこれはかなり前だが、ボクシングで亀田兄弟の試合を放送するのはほぼ全部TBSだったと思うが、いくつかの試合の中には反則負けなど色々あったが、それらについても自局では批判的な内容は誰も言わない(言えない)ような変な空気が流れていたのを覚えている。

 いつだったか、週の最高視聴率が水戸黄門の再放送だったことがあるらしい。
  
  個人的にはフジテレビがネットで叩かれてるのはよく見かけていたし、テレビ朝日やNHKも偏向報道だというのも見かけたが、前から地味な存在だったイメージから、最近は変だなと思うことが目に付いてきたので(以前からだけど頻度や偏向振りが目立つ)、一度取り上げてみようと思っていたので記事にしました。

 最後までお読みいただいてありがとうございます。

 
   

10 songs of my favorite Prince that I carefully selected

| 21.12.16
 I introduce 10 songs of Prince that I chose.

It's my favorite song including minor songs.

You can put it in this order in iTunes and it is in order of the songs you feel good to hear.

There are many famous songs hidden in Prince.

I would be pleased if you could refer to it.


 1 Welcome 2 The Dawn 
 2 Power Fantastic
 3 Saviour 
 4 Sleep Around 
 5 Housequake
 6 Everybody Loves Me 
 7 Strays Of The World 
 8 My Computer 
 9 I Hate You 
10 Private Joy

日本死ねが流行語になるまでの経緯

| 20.12.16
 民進党の議員でネット上でガソリーヌと呼ばれている人がいる。

 そのきっかけは地球を何週もできる程のガソリン代を計上したが、何の説明も果たさなかったことが由来だそうだ。

 その議員は待機児童の問題をどう追及しようか、考えていたのだろう。

 どこであの「保育園落ちた。日本死ね」のブログの出会うのだろうか。

 可能性としてはいくつかある。

 1、捏造である。

 2、誰かからこういうブログがあるよという情報が入り閲覧した。

 3、議員が自らネットを見ていたら出会った。

 だいたいこれら3つの理由が考えられるのではないだろうか。

 いずれの場合でも、その議員はこのブログが、待機児童の問題に対して、世間の注目を集めるのに適していると判断する内容だったことには間違いない。

 捏造の場合なら、都合の良いように誰かが書いたことになるが、このブログと誰かが出会うためにはおそらく待機児童の問題をネットで検索したり調べてたりしていたのだろう。

 この辺の経緯はよくわからない。

 結構、謎の多い部分があり、その疑問点も思いつく範囲で書いてみます。

 議員はこのブログを国会の場で引用することについて、ブログの筆者に承諾を得たのだろうか。

 おそらく書いた本人はある日、突然ニュース番組などで国会で取り上げられていたことを知って驚いたという可能性はあり得る。

 しかし、その後そのブログで、国会で取り上げられたことについて触れることもせず、流行語を取っても沈黙を守り続けている。

 その筆者は日本のどこかで何を思っているのだろうか。

 一体どんな人なのだろうか。

 もしかしたら母親ではなかったり、女性ですらなく、日本政府を批判するためだけに書いた記事だとしたら、憶測の域は超えられないが、本当のことしかブログに書かない人なのかどうかも不明なままだ。

 実際、国会の場でこのブログを引用した際に、政府の見解としては、匿名のいちブログにコメントすることはないというものだった。

 それは当然のことだ。

 そうじゃなければ、毎回都合のいいブログを見つけて来たり、議員が誰かに書かせたりするようになってしまう。

 その、誰かはわからない、という答弁をひどく曲解して、それは私だ、というプラカードを掲げるまでのデモ行為に繋がったりしたが、そういう意味で言っているのではないのは明らかだ。

 それに、それは私だ、というプラカードを持っている人の中には普通に年配の男性とかもいた。

 全員が筆者ではないので全く意味のない行為だった。

 同じ境遇であったり、不満を共有している、という意味だとは思うが、それなら児童待機の問題の方の札を掲げるべきであり、ブログの作者は私だと虚偽の主張をしても解決しないということになる。

 そもそも数年前まで民主党が政権を担っていたことを忘れてはいけない。

 当時の民主党政権が抜本的にこの問題を解決していて、自民党になってからそれを中止するなどの路線変更が行われたわけではない。

 民主党もやってなかったのに、なぜ一緒になって政府を責める必要があったのか、反省の気持ちはあったのか、よくよく考えてみて欲しい。

 実際、不満だった人たちには支持されることとなり、死ねという言葉はよくないが、この問題に注目させたからいいんだという誤った方向で肯定されることになってしまった。

 そして、時が経つにつれて沈静化していったが、年末になり、流行語大賞にノミネートされると再び注目を集めるようになる。

 しかし、大半の人は、選ばれることはないだろうと思っていたと思う。

 実際、NHKの事前の街灯アンケートでは1票も入っていなかった。

 ところが、実はこの新語・流行語大賞こそが、昨今そういう方向に偏った審査員によって選ばれる傾向が顕著になっていた賞だったので、ベスト10の中に入ってしまい、再び物議を醸すことになってしまった。

 ここ数年の、アベ政治を許さない、など流行語でもないものがノミネートされていたことからもその偏向振りには危惧する部分があった。

 何年か前に、流行語大賞が一つに絞れないほどあるということで、ドラマのじぇじぇじぇとか、倍返しなど3つも選ばれた年があったが、実はその年、日本だけでなく世界中で使われていた言葉がある。

 アベノミクスという言葉はおそらく、世界での流行語大賞があったら大賞であってもおかしくない程だった。

 それくらい日本だけでなく世界に影響を与えた出来事だった。

 しかし、安部政権に反対している選考委員は故意に選ぼうとせず、むしろたくさん他の言葉を受賞させることで目立たなくさせようとしたのかもしれない。

 もっと前の年だと、「欧米か!」が取りそうな年があったが選ばれたのは「どげんかせんといかん」だったことがある。

 これは欧米か!のタカアンドトシの漫才のツッコミが勢いよく叩いてるように見えるため、子供が真似をしてはいけないからという配慮があったとされている。

 しかし、そのため、リアルタイムを過ごした自分としては、どげんかせんといかんの年が欧米か!の年と、いちいち頭の中で変換させる必要が生じている。

 じぇじぇじぇ、倍返し、の年はアベノミクスで、神ってるの年はペンパイナッポーアッポーペンかと、既に個人的には流行語の体裁を成していない感は持っている。

 ちなみに1992年は、きんさんぎんさん、もつ鍋、などであって、ああ懐かしいと素直に思うことができる。

 詳しくは知らないが、ユーキャンが関わるようになってから偏向気味になってきたような印象はある。

 しかし、未来の人は、やはりこれらの流行語が流行ったんだろうなと思ってしまう可能性は十分ある。

 そういう意味では歴史を捏造し、都合よく修正されてしまった出来事なのかもしれない。

 それとも、既に流行語大賞の権威は失墜していて、あてにならない、別の組織でフェアな流行語を作ろう、という動きが起きれば覆ることもあり得る。

 そもそもその年その年の世相を象徴している言葉が流行語なのだから、そのブログが人々の口コミを通して使われるようになり、広範囲に拡散して使用頻度が高いということでなければ流行語ですらない。

 恣意的に国会議員が自らの政党や、ある種の売名行為のために引用されて、全国で中継されて広まったこと自体が、アンフェアであって、それを流行語に選ぶこともノミネートすることも、人々の心を誘導させようとしている意味では、捏造と同じことだったのではないかと思ってしまう。

 

 

 

 
 

 

 

高齢者ドライバーの運転事故をどう防ぐか

| 19.12.16
※12月16日の自分のツイートから引用と補足をしています。

 高齢者ドライバーの事故が多発というニュースをよく見かけるけど、今後どう対応していくのがいいんだろうか。

 ふと思ったのが、ある一定の年齢から免許を返納したくなるくらい保険料を値上げして、被害者には通常より高額な賠償金が支払われるようにするとか。

 お金の問題じゃないとは思うけど何かは必要。

※ここからはツイートしていなかった、自分の体験談を書いていきます。

 5年ほど前の地元、北海道での冬、その日は晴天でしたが、例年よりも多目の大雪が続いたあとで、除雪した雪の処理が追いつかず、道路脇や駐車場の片隅などのあちこちで雪が高く積み上がっていました。

 当時の会社への出勤途中で、国道へ向かう直前の細い道を走行中に、右前方からその道路に交差している車一台分しか通れないような更に細い路地のような道路を横切ろうとする車が、一旦止まる形跡も無く、全く周囲を配慮しない様子で飛び出して来て車同士が接触しました。

 両方とも細い道であることから速度制限も低く、両者ともスピードは出ていませんでしたが、自分の車は右前方部が大きくへこみ、走行はできなくなりました。

 とっさの判断でスピードをぐっと下げたことで、それで済んだ感じです。

 あともう少し自分の車が進んでいて、運転席を直撃されたら大怪我を負っていたと思います。

 幸いお互いに怪我はありませんでした。

 私もその点で揉めるつもりはありませんでした。

 相手の方はかなり年配の方でした。

 とても動揺していましたが、向こうから素直に謝ってくれました。

 あとは警察を呼んだり、お互いの保険会社へ連絡を取ったりし、会社へも到着が送れることを伝えた後、車を修理工場の方に預かってもらい代車を借りて通勤しました。

 保険会社は実名を挙げることにします。

 問題があればご連絡ください。

 当時、私が加入していたのが全労災で、相手側は損保ジャパンでした。

 後日、相手側の保険会社から事故についての簡単な謝罪(かなり事務的な口調)と事故の詳細について訪ねられました。

 そこで、その事故を起こした年配の男性が80歳を過ぎている高齢者だといことを知りました。

 そして、相手側の保険会社の言い分が奇怪な程、意味不明な内容でした。

 ちょっと一部だけ会話を思い出して書いてみます。

 「この度は社用車への~」

 「いえ、自家用車ですけど。」

 「(加害者が)いったん標識を見ていったん止まったようですが再び発信したあと、あなたの車に接触してしまったと~」

 「向こうの方にもこっちの方にも標識はありませんし、いったん止まった様子もありませんでした。」

 これはもう話にならないと思いました。

 とりあえず事故車両や現地を確認してたら言って下さいというようなことを伝えると、相手の保険会社も苛立ったのか、それでもあなたの車は動いてるので過失はありますね、7:3くらいでしょうか、というような、さっきまで謝っていたとは思えない態度になり不穏な空気のまま終わりました。

 相手側の保険会社とは連絡を取ることはありませんでした。

 これは仲違いしたとかではなく、そういうものだそうです。

 以後はこちらの保険会社と連絡を取ることになります。

 なので、次は自分が加入している保険会社との話し合いになります。

 これが自分の味方でもなんでもなく、相手の保険会社の意見の方を尊重します。

 やはりこの場合の過失割合は7:3だというのです。

 そこで私は加害者が80歳を過ぎた年配の方で、言い分が滅茶苦茶なのに通常の事故と同じ扱いでいいのですかと疑問を投げかけました。

 すると、それは知らなかった、多分無理だろうけど納得がいかないということであれば話してみますという返事をもらいました。

 その後しばらく経って、過失割合は8:2にまでなりました。

 しかし私はそれでも納得がいかず、過去の判例などを調べて、9:1になったケースや10:0になったものと今回とはどう違うのか訪ねることにしました。

 ところが終始、私の側の保険会社が、私の意見を相手側に伝えようとしません。

 10:0なら自分は請け負えないと担当者に言われました。

 仕方なく私は全労災の本社の方にネットの窓口があったので詳細を記入して送りました。

 するとその後しばらくは全労災の北海道の責任者みたいな人が私の担当になり、私が住んでいるのは道南地方の方ですが札幌の事務所とやり取りするようになりました。

 ところが、この担当者も私の味方ではなく、上手く説得して押し込めようとする意図しか感じられませんでした。

 自分の事故とはまた違う判例の載った書類などを送付してきて、7:3が8:2になったならむしろ良いほうだと言うばかりです。

  また、担当者が地元の人間ではなくなったため、現場を見てもいないのに好き放題に間違ったことを言われたりしました。

 この年は本当に例年より雪が多く、事故当時は道路が雪で覆われていましたが、雪が溶けたあとに国道などの大きな道路でも白線が消えてしまうところがいたるところにあったのですが、事故のあった道路も、以前はあったはずの白線が消えてしまっており、この白線の有無が証明できないと自分の主張が通らない状況でした。

 私は事故現場に元々白線があったかどうかを近所の人や、地元の警察や、役所に訪ねました。

 残念なことにその道路は警察が管轄していない道路で、担当の役所の方にも確実な資料は残っていないということでしたが、役所の方には地元民としてそこに白線があったのは間違いないという意見を頂きました。

 そこで役所の方にお願いして、保険会社の人に電話させるので同じことを言って欲しいと頼みました。

 役所の方は快く応じてくれました。

 ところがです。

 そのあと保険会社の担当者はその役所の方に(白線が)無い可能性もあるのではないかというような、わざわざ自分とは逆の訪ね方をしたようで、後日、保険会社の人に、自分が聞いた限りではあったという答えは得られなかったと言われました。

 かなり納得がいかず、もう一度本社の方へメールを送ることにしました。

 すると、次の対応は驚くべきものでした。

 なんと最初の地元の担当者が対応するということでした。

 ただ、何度も現場に足を運んで、うっすらと白線は見えるとかは言ってくれました。

 その頃には、役所の方が事故現場に交通安全の旗を飾ってくれるようになっていました。

 そこでもやはり8:2が限度で9:1や10:0の交渉はできないということでした。

 それから単純な過失割合ではなく車両の修理に関する解釈などを変えるなどして、実質的に1割の負担額にやれるところまで近づけたということになり、ほとほとこの件では疲れてしまったこともあり、それで承諾することにしました。

 話はやや逸れてしまいましたが、高齢の方の運転する車が事故を起こしても、こちらから何も言わなければ、普通の事故と同じように扱われてしまうことがあることは伝えられたかと思います。

 相手が自家用車をなぜか社用車と見間違えたり、無い標識を見て一旦停止した(してないが)と訳のわからないことを言っているのにも関わらずです。

 そしてこちらの車が完全に停止していなければ過失があり(判例ではそうとも限りません)、10:0なら交渉すらしないという態度です。

 その北海道を管轄している札幌の担当者に、訴訟を起こすことも考えていると伝えたところ、「やれるもんならやってみれば」と言われたこともありました。

 実際は当時は仕事が忙しかったこともあり、訴訟まで至る労力はありませんでしたが、まさにその点を付け込まれたような発言であり、悔しい思いもしました。

 また保険全般にいえることですが、結局、保険というものは金融商品であり、どこまで交渉しても、お金を出すか出さないか、お金を出すことが可能か不可能かの話にしかならないことにも思い当たるようになり、なんだか悲しい気分になりました。

 日頃から事故が起きやすい場所を改善しようとしてくれたりすれば、事故が減り、保険会社の負担も減ると思うのですが、そういうことはやはりどうでも良いのだと感じました。

 保険会社のCMはどれもイメージを大事しているようですが、結局はお金であり商売であるということを忘れないことが大切だと思います。

 昨今、高齢者ドライバーが起こした事故のニュースをよく見かけるようになり、どう対応すべきかという風潮が高まっているように感じますが、いくらかでも参考になればと思い書き起こしました。

 車は地方では移動には欠かせない存在であり、特に日本では経済を表す象徴のような乗り物ですが、保険業界の不況もあり、この辺りの取り組みやルールががんじがらめにならずに、そのケースによってきちんと対応されることを願って、今回の記事を終えようと思います。

 最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

 

 

  

プロマジシャンの種がわかってしまった件

| 18.12.16
※4月26日の自分のツイートから引用と文章を補足しています。

 昨日の世界まる見えで、ブレインダイビングの異名で知られているという新子景視というマジシャンがやっていた9桁の数字の一致の種明かしが考えてみたら多分わかった。

  まずどんなマジックだったのか簡単に説明したいと思います(この部分は12月18日現在思い出しながら書いていますので間違っていたらすいません)。

 番組に出ていた10人くらいの芸能人に電卓(詳しくはあとで説明します)を持たせて、4桁くらいだったと思うが好きな数字を宣言してから足して次の人に渡します。

 最後にその計算機を受け取った人は好きな4桁の数字を掛け算します。

 そのあともう一度、同じ人が好きな2桁の数字を掛け算します。

 ただしこの最後の4桁と2桁の数字は言ってはいけないことになっています。

 そして導かれた答えの9桁の数字が、手品をする前から、ずっと出演者の後ろに置いてあった番組名などが書かれていた色紙を逆さまにすると、それが9桁の数字になっていて見事に一致するというものです。

 ではここからはネタバレになると思いますので(合ってればですが)、自己責任で、読んでも構わないという方のみお読み下さい。

 まず使われた電卓について説明したいと思います。

 これはスマートフォンのアプリの計算機の機能を使ったものです。

 手品師は初めにこう言いました。

 「この中で今スマホを持ってる方はいらっしゃいますでしょうか。」

 出演している芸能人に対してです。

 普通、スタジオで番組収録中の芸能人がスマホを持っているとは考えにくいです。

 持っていたとしても電源は切ってたりするでしょうし、そもそもプライベートを知られたくないという心理が働き、持ってます、とは言わないでしょう。

 しかも、次に、持ってないですよね、というまでの間も早かった。

 マジシャンは万が一、芸能人からスマホを渡されると困るわけです。

 すると、マジシャンは番組を観覧している一般のお客さんに向かってこう言いました。

 「では皆さんの中でスマホを貸しても良いという方いらっしゃいますか?」

 そこでも、やはり普通、番組を観覧している人は携帯電話の電源を切っているものではないでしょうか。

 収録前に番組スタッフなどに警告されているでしょう。

 だからここでも即答で手を上げる人は普通はいないと考えられます。

 ところが、一人の女性がすぐに挙手しました。

 すかさずマジシャンはそのお客さんの元へ向かってiPhoneを借りていました。

 ここまでの時間はかなりあっという間です。

 マジシャンは携帯電話を受け取る際に女性にこう言いました。

 「私達は初対面ですよね?」

 女性は「はい」とだけ答えて、テレビに映ってしまうのが恥ずかしいとでも言わんばかりの態度でカメラからはけようとします。

 もうおわかりかと思いますが、要するにこの時点でマジシャンは種も仕掛けもあるスマホを手にすることができたのです(あくまで予想ですが)。

 あとは計算機のアプリを立ち上げて、一人ずつ好きな数字を宣言して足していきます。

 そして、最後の乗算の時はなぜか言わないで下さいと念を押されます。

 更には、その掛け算を入力し終えたら、画面を見せないでイコールボタンを押して下さいと言うのです。

 正直、最後に選ばれたタレントの方は暗算ができなさそうな方が選ばれていました。

 既にそれなりに大きな数字の合計に、更に4桁×2桁の掛け算を暗算できる人はなかなかいなさそうですが、万が一そろばん等を習っていたりしたら困るので、きっと念入りに計算できなさそうな人を選んだんだと思います(誰か覚えていますがあえて名前は出しません)。

 そうです。

 もうわかりだと思いますが、その種も仕掛けもあるスマホのアプリは最後にイコールボタンを押せば、あらかじめスタジオの後ろに置いてあった色紙の数字が出るように仕組まれていたと思われます。

 あくまで想像に過ぎませんので、外れていたら申し訳ないです。

 あと、当時、ツイッターでつぶやいた際にも番組名とマジシャンの名前を明記していましたが、あれから8ヶ月ほど経っても特にお叱りを受けたり削除要請の連絡はなかったため今回もそのまま記載することにしました。

 もし、問題があるようでしたら速やかに対処するつもりなのでお知らせ下さい。

 以上がテレビでマジックを見ていたら種明かしがわかってしまった(ような気がする)件です。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

道州制の知事に関する懸念

| 17.12.16
※8月13日の自分のツイートから引用と補足をしています。

 今年の夏頃、北海道の道議会議院で、北海道を分県を検討する案が自民道義から出された。

 その理由は簡単に説明すると、他の都道府県に比べて面積が広いため、詳細を把握するのが困難であったりコストの面でも割高になるというような内容だったと思う。

 しかしこれはもう何年も前から話題に上がっている道州制とは逆行する流れというか完全に真逆で時代錯誤だと思う。

 ただ、確かに北海道だけ既に道州制のような形態なので、これを分県しようとするのではなく、北海道のまま解決していくことが望ましいように思う。

 そこで北海道で特に自分が少し疑問を抱いていて、もし将来、道州制が実現された際にも同じようなことが起きるのではないかと懸念していることについて書いてみます。

 それは北海道の知事の役割や、道知事選について感じたことです。

 まず面積が広いことによって問題だと思うのは知事選の時に、現職と対立候補の知識量に雲泥の差が生じていることです。

 他の自治体でもその傾向はあるでしょうけど、北海道の場合はそれが特に顕著だと思われます。

 そのため、一度決まればずっと同じ人になってしまうという傾向があります。

  具体例を挙げると、東日本大震災のあとに行われた道知事選では、現職以外の二人の候補が函館に津波の被害があったことすら知らない(少なくともホームページや冊子に記述がなかった)のに対して、震災の次の日には現地入りしていた知事との差は歴然としていて覆しようがないと感じました。

 これが市町村規模の首長を志すのであるならばある程度、把握できるかもしれないですが、北海道の広さで、どこに何が起きたのか未経験者の状態で知ることができるのはかなり限定的な情報になります。

 道州制になれば、それが北海道以外の州でも起きることになります。

 特に東京が含まれる関東州や、京都府や大阪府が含まれる関西州では大都市と他の府県との把握にかなり苦労するだろうし、あらかじめ対策を打っておかないとそこに暮らす住民の間にも混乱と不安が生じてしまう恐れがあります。

 特に東京都は道州制になったあと、東京都として管轄されていた枠組みを関東州と区や市町村に上手く役割分担するのはかなり難しいような気がします。

 業務に空白が生じたりすれば大問題になりかねるので、かなり綿密に計画を練る必要があると思います。

※以上はツイートを元に今回は結構、文章を追加しました。以下は最近、東京都議会に関して思ったことをなんとなく書いてみます。

 結局、都知事に誰がなっても叩かれるような状況が続いてるような気がします。

 何の根拠もありませんが、東京都ともなればその利権も膨大な規模でしょうし、おそらく誰が都知事になっても改革を掲げた時点で、それを良く思っていない権力者だったり、都の関係者から些細なミスであってもマスコミにリークされたりするのかもしれません。

 今回は道州制について書いてみましたが、これが東京都を含む関東州になれば、今よりは簡単に叩いたり、知事が辞職して選挙をやり直すのは難しくなってくる可能性があります。

 そうなれば州知事が安定して州議会を運営していけるようになる一方で、不正の規模も更に増すという負の側面もあるということも考慮する必要があると思います。
  

 

わさびが嫌ならその場で抗議して欲しかった

| 16.12.16
※今年の10月14日の自分のツイッターから引用して文章を補足しています。

 外国人に寿司店がわさびを増量したから人種差別だと言っているニュースにうんざり。

 その寿司店にはハングル語のメニューが貼ってたし、外国人の多くがわさびの増量を頼むので、最初からそうしようという店側の配慮だったそうだ。

 それが好評だから外国人のお客さんが多かったんじゃないか。

 地方の一つの寿司店を叩く方がよほど差別的だと思う。

 わさびテロというならマクドナルドだって義歯テロやプラスチック片テロしてただろうし、大手企業やスポンサーに甘過ぎる。

 東芝の粉飾決算も不正会計と言葉を濁すし、サムスンのギャラクシーは爆発してるのにこれはやばいとかいう自虐的なCMを今でも流してるし、わさび増量より厳しく追求して欲しいことは他にもたくさんある。

※以下の文章はその時に書き切れなったことを思い出しながら今書いたものです。

 客商売をやっていて一番困るのは、その場で何も言わないで、あとになってからクレームを言ってくることだ。

 ましてや、ネットに一方的に店側が悪いと報じるのはクレームとしてルール違反だと思う。

 その場で抗議したり改善を促さなかったなら、あとで文句を言うのはアンフェアだと思う。

 この件の場合は外国人であることを理由に、よほど威圧的な態度をとられて何も言えなかったとか、わさびを抜くように頼んだにも関わらず何もしてくれなかったり、外国人は大量のわさびを食えと言ったなら差別だと思うが、その段階ですらないのは明らかだ。

 なぜなら店側は外国語で書かれたメニューも用意していたし、外国のお客さんはたくさん訪れていたからだ。

 というか、マスコミは普通に取材していたらこれが差別ではなかったことに気付いていたはずだ。

 しかし、これは差別ではないんじゃないか?という論調では絶対に報じない。

 どういうわけか事実とは異なる歪んだ正義感の味方をするように成り下がってしまった。

 これはあまり詳しくは書かないけど、筋を通した先にあるものが、現状のマスコミの存在の否定に繋がる性質を持っているからだと思う。

 しかし視聴者の全てが歪んだ正義感に騙されている訳ではないから、今回の場合、ある意味では寿司店の方が被害者だけれど、 ちゃんと見てくれている人にこそ評価されるようなことを積み重ねていくことを大事にしていくしかないのかもしれない。

 

笑っていいともで学んだ統計に関すること

| 15.12.16
 笑っていいともがまだ放送されていた頃、百人アンケート(テレフォンショッキングとはまた違う趣旨のコーナー)で、タモリさん本人が「タモリを知ってる人」と質問したが100にならず98以下だった記憶がある。

 その後この種のアンケートでタモリさんは絶対100にならないと度々言っていたのは多分その時のことがあったからなんだろうなと思う。

  特別な訓練を全員に施したとかでない限り、集団の中のほんの数%に何か論外なことが起きるということだろうか。
 
 機械の故障だったり、押し忘れや間に合わなかったり、わざと押さないとか質問の意図を誤解したとか。

 ネットの論外な書き込みとかもそういう数%なのかなと思う。

 たった100人の中で、笑っていいともにわざわざ葉書で応募して、当たって観覧に来たにも関わらずタモリを知っている人という質問が何らかの原因で100%にならない。

 当たり前だと思っていることでも100%ではなく、逆に誰にも共感されないと思っていることでも理解されることはあるかもしれない。

 ※以上の文は5月16日の自分のツイートから引用と補足をしました。

 同じ日に笑っていいともに関する思い出などもツイートしていたのでそれも載せてみます。
 
 あと、以前に削除した内容のも思い出しながら再度書いてみます。

 キャイ〜ンがレギュラーだった頃、格闘家のアンディフグがゲストで出ていて天野さんが板割りの板を持っていたら、板を突き抜けてあの豪快な踵落としを頭からもろにくらってたのを見た。

  あれは凄かった。

  そのタイミングでCMに入り、CMがあけると天野さんは痛そうだが無事だった。

  そこで(俺が空手をやってたから良かったものを)と言ってボケて見せたが、笑えるような蹴りではなかったので、会場はシーンとしていたと思う。

  あと、笑っていいともでプリンスの話題になったのを偶然2度ほど見た覚えがある。

  一つはまだ若手の頃のネプチューンがテレフォンショッキングに出て、冒頭の自己紹介がてらに名倉が濃い顔つきをいじられていると、名倉本人がプリンスに似てると言われることもあると唐突に言った。

  これはタモリがプリンスを知っていても知らなくてもスルーされるかなと思ったら、結構食い気味で似てないと否定した。

  もう一つはコロッケさんがテレフォンショッキングに出たときで、ものまねが一つできるとその音程を上げたり下げたりして他の人のものまねもできるようになる、と言ったような内容の話をして様々な例を実演して見せていたところ、志村けんの声を高くするとプリンスになると言って、プリンスの特徴的なファルセットボイスをするやいなや、タモリさんは似てないと言った。

  おそらくこの2つの出来事からも分かるとおり、タモリさんはプリンスを知っているだけでなく聴いたことがあると判断して差し支えないだろう。

  それも食い気味で否定する感じは、プリンスの話をしても一般のお茶の間に理解されないというより、プリンスへの敬意を思わせるような気がした。

  おそらくタモリさんはトランペット奏者でもあるから、マイルスデイヴィスを尊敬していて、そのマイルスデイヴィスがまだ若手の頃のプリンスを高く評価していたことや、共演したことなども知っていて、一目置いた存在だったのかもしれない。

  ※以上がまた同日の自分のツイートを引用したものです。プリンスのは別日で後に削除してしまったのですが、この機会に思い出して書き直してみました。

自分の意志で投票する若者もいる

| 14.12.16
※まず始めに、以下は今年の7月1日の自分のツイートを引用して補足したものです。参院選で初めて18歳からの投票が実施されるという時期でした。

 若者へ向けた投票についてのネットのコラムで、一読の価値ありというツイートをたくさん見かけたので読んでみたが内容がいまいちだったので、自分なりに考えてみることにしました。

 若者の投票率がと言った時に、それは年齢層の範囲で縛ってしまうが、投票は個人の問題だと思う。

 若い人でも一度も欠かさず投票している人もいれば、一度も投票していない老人もいる。

 世代的な傾向で語るのはそんなに意味のあることとは思えない。

 それよりも色んなところで飛び交っている情報に扇動されずに自分自身で意志決定する方が大事。

 自分なりに考えた結果であればそれが例え未熟であっても構わない。

 それでも投票するのに相応しいという判断によって選挙権を与えられているから、むしろ協調性が不要で、個人の意志で投票した方がいい。

 若者という枠で括られて選挙離れがどうとか言ったって投票している若い人には何の意味もない話。
 
 行かない人にとっても無意味。

 それよりも若者の選挙離れをなんとかしようとか投票率を上げようという、それ自体の宣伝広告やキャンペーンの方がよほど無駄だと思う。

 投票は行くのが当たり前だという風潮を作るというか、一貫してそういう風に選挙関係者は振舞ってればいいだけで、それ以上のことはする必要がないと思う。

 それなら候補者そのものに発言の機会を与える場を設けたり増やした方がいい。

 個人の意志で投票されたということが大事で、扇動されて投票された集団的な票の集まりというものは判断を誤っている可能性が高いのだから、投票率を上げるキャンペーンはやる必要がないし、特に若者が行かなくてはという議論は無駄だと思う。

※今回は文章を結構補足しました。

 ちなみにその時、その一読に値するという触れ込みで拡散されていたコラムは、津田氏が運営してるか関わっているサイトのようで、たくさんのツイートは当時フォローしていた津田氏が一人だけで、コラムに関する肯定的なツイートをリツイートしまくっていただけでした。

 自分がツイッターを始めたきっかけが、水道橋博士と宮崎哲弥が出ていたネットの番組に津田氏がゲストで出演して、そこでツイッターについて語っていたことで興味を持ったからでした。

 しかし、この時の大量のリツイートによって、他のフォローしている方のツイートが見辛くなってしまったのと、その後、蓮舫の二重国籍についてのTBSの報道を批判した方への批判で津田氏が文章に書き起こしたその報道番組の発言が、捏造したことが判明し炎上したことがあり、更には謝罪も無かったので、フォローを解除することにしました。

 またそのコラム自体も酷い内容だった覚えがあり、 それなら自分で考えて書いてみようというきっかけになりました。

宗教の代理戦争は無意味

| 13.12.16
 世界中でテロが頻発していることについて、単純な宗教間の対立ではないにしても、根底には少しでもあるのかもしれない。

 この宗教間の対立について、それが全く無意味だということを考察していこうと思います。

 ●一神教(汎神教)の一は何を表しているのか

 キリスト教やイスラム教は一神教といわれがちだが、その一とは何を表しているのか掘り下げて考えてみることにする。

 例えば宇宙と言った時に、宇宙は一つだけなのか八百万以上あるのか知らなくてもとりあえずは普段、私達の住んでいる一つの宇宙のことを指していると考える。

 神の場合も同じだと思う。

 カルト宗教は論外だとして、神とは宇宙の創造主だという点は共通している。

 新しい宗教が成立する度にビッグバンが起きて宇宙が増えるのではなく、一つの宇宙の中に私達が暮らしているというのは当然のことで、その宇宙を創造した神も同様に宗教のあとに生じる存在ではないことは理解できると思う。

 ということは宇宙を創造した神というのは〇〇教の神ではなく、宗教よりも前に存在しているダイナミックな存在としての神ということができる。

 これはどういうことかというと異なる二つの宗教にそれぞれ別の神が存在するのではなく、私達が住んでいる宇宙が一つであるのと同様に神も一つだという意味の一ということになる。

●神の言葉は宗教家の言葉とイコールではない
 
  そう考えれば宗教観の違いというのはそれぞれの宗教家の創作部分や比喩の違いであって、崇める対象の神(がいるとすれば)は初めから同じ一つの神だということになる。

 どちらかに誤りがあるとすれば、どちらにも真実ではない創作の部分が混じってしまっている時点でそこを配慮して本質を見る必要がある。

 いずれにしても宗教の違いが神の違いではなく、宗教家の解釈や文化の違いだということが理解されれば、宗教間での争いごとは神も望んでいないということも理解できると思う。

 実際、有史以来、特定の宗教を信じる人だけが生き残り、それ以外の人類が滅んだことは一度もない。争いは無意味ということ。

※以上は、今年の7月20日の自分のツイートから引用して補足しました。●の部分もわかりやすくなればと思って記入しました。以下の文章も編集後に記入したものです。

 具体的などことどこの宗教の代理戦争が起きているかということではないのですが、主旨をわかりやすくするためにそういう題名にしました。カルト宗教は論外だとしても異なる宗教間の差別や偏見は無意味だということが伝えられれば良いかと思います。

ネットの世論が人を裁く未来

| 12.12.16
●国民のネット投票について(立法) 

 人は一人だと案外賢いのに集団化すると知能が低下した判断をしてしまう傾向があると何かの本で読んだことがある。

 政党政治がまさにそうだし、二院制のどちらかを廃止しないまでも例えば参議院の決議は国民のネット投票にして参議院議員は廃止か法律のクリエイターにするとか。

 衆院の優越があればそれでも機能するはず。

●法律違反ではないが倫理的に問題というのは立法が間に合ってないからではないか 

 パナマ文書タックスヘイブンが法の抜け道であることに対して倫理的にどうとか言っても結局やってる人はやらないことが損だと思っているから解決にならない。

 現状は法制度の方に限界がある。

 今後も立法が追い付かなかったり既存の法律が古くて不相応なったりして抜け道を見つけた人が得をしてしまう。

●未来の立法や司法について

 前にピーターの法則というのを本で読んだが、簡単に説明すると優秀な平社員が出世したら未熟な管理職となり会社のパフォーマンスが落ちるみたいな話です。

 先程の法律が追いつかないのも同じで中途半端な状態が今後も続き、抜け道を見つけた人が得をするのをどうすれば防げるのかをちょっと考えてみました。

 法律のあり方自体を一部変えて、割と大雑把な仮の法律の形にします。

 詳細が規定されていない仮の法律でも良ければ立法のスピードが格段に早まります。

 要するに判決を下す側が法律の足りない部分を想像して補って間違えなければ実質的に同じ効果を得られることになりますが、これが不可能なくらい難儀なことです。

 詳しく書こうとすると長くなりそうなので少々乱暴な話でしたが、全部の法律に適応するのではなく、時代の変化によって生じた新たな問題に即座に対応するための仕組みです。

 これを国を超えて国際的な機関として実行できれば租税回避もなくなるでしょうがこれも不可能に近い。

 例えるならネットでの炎上の未来話です。
 
 今でもネットでは法律を犯したわけではないのに芸能人や一般人が倫理的な視点という、ある種の判決のようなものを下されて炎上したり干されたりしています。

 案外そういうのが進化して膨大な試行錯誤を経て相当な知識が積み重なっていけばそれが未来の司法の形になっていくのかなという思いつきでした。ここまでにします。

 ※今年の5月9日の自分のツイートから引用と補足をしています。

  ●部分はその時のツイートを編集しながら、テーマが散らばってる感じがしたのでわかりやすくするために記入しました。

 ※以下の解説文も今書いたものです。

 当時はパナマ文書の情報漏えいや芸能人の不倫やショーンKの経歴詐称などが話題になっており、どれも法律を違反していないが倫理的に問題があるのではないかという共通点がありました。

 そこから国民のネット投票や、ネットでの議論が先んじて法律に近い権限を持ったり (立法)、人を裁いたりする(司法)未来があればこんな感じかなというようなツイートを連投してみました。

 この時はツイートしなかったけど裁判員制度も法廷まで行かずに一定の条件化でネット中継して、ネットで審議するのも、国民のネット投票の導入の前段階としてはいいかもしれないと思いました。

地震報道は見直して欲しい

| 11.12.16
※今回の記事は11月22日の自分のツイートを元に補足してまとめた記事です。
この日は早朝に東北地方に強い揺れがあり津波警報や注意報が発令されました。

 起きてテレビを付けたらどこも津波情報ばかり。地震の被害等はやってない。東日本大震災の時にサンドウィッチマンが言っていたが局ごとに津波情報、住民の安否確認、原発など分担して欲しい。

 日本テレビの朝の情報番組のスッキリではこの3時間を振り返る映像というのをやっていて、地震発生時に慌てふためく番組スタッフの映像はいらないと思った。

 大きい地震が起きたその日や津波警報が出てる状態の時にテレビで地震の専門家が出てきて大陸のプレートがどうとか、地震発生のメカニズムの説明みたいのやめて欲しい。

 スッキリでは番組スタッフが慌てふためく映像の後それだった。プレートに異常な事態が起きてて伝える必要があるというならまだわかるが。

 テレビ業界の詳しい仕組みを知らないので滅茶苦茶なことかもしれないが、総務省でも民放連でも気象庁でもいいので、とりあえずいったんNHK以外は地震報道について非公式な局と認定するところから始めて欲しい。
 
 その上で地震報道における厳格な基準や定義を設けて、それをクリアした局だけに免許を付与にして地震報道の認可をするくらいのことをしない限りはずっと酷いままだ。

  NHKはまだいいとしても、民放の地震報道は不安を煽ったり無駄な情報が多い。

 アメリカの疾病予防センターのクライシスサイコロジーのような危機的状況での精神面にも配慮した情報の取り扱い方は最低限クリアしてから報道して欲しい。現状では宅建がない頃の不動産取引のようなもので混沌とし過ぎている。

  いつも危機管理ができていないのはテレビ局の方で、地震報道に視聴者もいつも不信感を募らせているはず。個人的には東日本大震災で知り合いが亡くなったのもあるかもしれないが、津波で1人でも死亡すれば都道府県を赤く塗りつぶしたことや被災地で面白いと言ったアナウンサーはいまだに許せない気持ちになる。

 ※その日の夜にもニュース番組で疑問に思ったことをツイートしていたのでそちらも記載します。
 (内容がわかりやすくなるように一部変更しています)

 報道ステーションを見ていたら、今朝の地震の際に揺れによって、原発では一時的に水位が低下して冷却装置が作動し、自動停止したというニュースをやっていた。

 同番組のVTRで、東電は会見で設計通りに作動したとの見解を示していた。

 これって安全に動作したってことなのになんで原発のトラブルみたいな報道の仕方なのか。

 非難している被災者の方に原発について質問し、このニュースとは異なる主旨の原発に関するネガティブな意見などを聞き出して放送していた。

 しかしこれは車の衝突でエアバッグが開くのと同じこと。

 停止しなかったらその方が問題だっただろう。

 ※以下の文は記事をまとめた今あらためて書いたものです。

  平常時こそ、次の震災に備えて、どのような震災報道が必要で何をしてはいけないのか、それができて初めて緊急事態にはどのように情報を集めて伝達していくのかの訓練ができる。

 いつも行き当たりばったりで不安を助長させる報道はプロの仕事ではないと思う。

 これでは他の業界の不祥事を取り扱う資格があるのか今一度、考え直して欲しい。

テレビのCMや番宣には課税すべき

| 10.12.16
税制や日銀の政策についての独自の案です。

この二つは密接に関わることになる。

まず、簡単に説明するとテレビCMに宣伝税をかける。

テレビ業界の収益がますます悪化すると思われるかもしれないが解決する仕組み。

 テレビ番組で映画の宣伝をしまくる俳優からも税金を取る。

日本のテレビ局の数は少ないから簡単に追える。

法人税を下げる一方で広告に沢山お金を使える大企業からは搾取すべき。

アップルやアマゾンやグーグルなど国外の企業からも徴収する。

広告に課税することによってスポンサーが減る対策は、 日銀が広告を打ちまくる。

電通がこれまで培った本気のCMを作るのでもいい。

内容はアイドルやイケメン俳優が出演して、どうすれば景気が良くなるか一人一人に考えてもらえるようなのがいいと思う。

それでも枠が足りなければ官庁で予算が余った部署は使い切らないと予算が減らされるので自動的に広告に使えばいい。

その場合でも公的機関は宣伝税を払う。

 こうすることでお金のある国内外の大企業や芸能人から税金を徴収し、減った広告枠には公的機関のCMが入って更にそこからも税収を得る。

特に日銀は一般大衆のマインドを変えない限りデフレ脱却はないことを理解しないと、いつまで経っても非効率な金融政策から抜け出せず経済の停滞は解消しないと思う。

※2016年12月2日の自分のツイートから引用し補足しました。

Basic income can be started for free

| 9.12.16
この記事はこちらの日本語の記事を元に英語に翻訳したものです。

Basic income should be supplied by the central bank,not the government.Give all citizens and corporations their own account of central bank.

Next,transfer the basic income from the central bank to the individual account.Settlement can only be done with a dedicated card or electronic money.

Basic income money flows in corporate account. Even if the company does not have debt, the money can only be used for repaying to the bank.

The bank receives only the interest rate and returns basic income to the central bank. The money is transferred again to individual account.

 P.S

 My opinion on basic income suggests that it can be realized among different governments such as EU and the United States.   




  


Thank you for reading to the end.

Currently, in our blog we have not set up a comment field for reasons such as bot countermeasures.

If you have a Twitter account, I would like to have a comment here.
(If it is within Twitter, it can be any place other than the link destination)
Of course you follow and retweet, Like! Even if only it is welcome.

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Currently, I am not affiliated with the company.
I am searching for a new way of doing work.
Because I am in the current situation I have decided to recruit (I think it is doubtful to read by myself).
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Thank you. <(_ _)>
   

ベーシックインカムに財源は不要

| 8.12.16
※まず始めに。あとで読み返したところベーシックマネーとなっているところが2箇所ありますが、これはベーシックインカムの誤字です。しかしベーシックインカムのお金という意味で読むとしっくりくるのと、一応転載防止のためにあえてそのままにしておこうかと思っています。(あとで直すかもしれませんが)

 ベーシックインカムを政府の財源ではなく中央銀行が供給する仕組みについて考えてみた。

 これは日本だけではなく、EUやアメリカ合衆国のような一つの中央銀行に対して複数の政府や州を抱えた場合でも実現可能。

 とりあえず日本の中央銀行(日銀)を例に話を進めて行きます。

  まず国民と法人の全部に日銀の口座を作る。

 日銀からベーシックインカムになるお金を個人の口座に振り込む。

 決済は専用のカードか電子マネーのみで可能。

  買い物をすると企業の専用口座にベーシックインカムのお金が流れる。

 決済の手段を制限しているので使用経路が明確になり透明性が高い。

 ベーシックマネーは流動するが、専用の口座間に限られ普通には現金化できなくすることで全体の金額は減らずにそのままになる。

 例えばこの仕組みでベーシックマネーで1万円の決済をしたら個人の専用口座から企業の専用口座に1万円が移動するが、この口座内にある1万円は外部に流失しない。

 法人口座に貯まったお金は銀行への返済にのみ使用可能。

 黒字で借金がない場合でも現金化するためには銀行から借り入れて相殺しなければいけないルール。

  銀行と企業との取引が活発になる。

  銀行は貸し出し金の利子だけ受け取り日銀にベーシックインカムを戻す。

 またそのお金が個人の専用口座に振り込まれる。

 かなり乱暴な話ですが、ざっくりと説明するとこんな感じ。

 現状の中央銀行→銀行→企業→個人の流れでは円滑に回らないため、逆流させることで経済を活発にする狙いもある。

 ※以前にツイートした内容に少し補足して説明しました。以下はこの仕組みをよりよく運用するための細かな点や望ましいと思うことを箇条書きにしています。

 デフレ対策にもなり、デフレの度合いによって個人へのベーシックインカムの金額は変動する方がいいと思う。

 インフレになれば売り手市場になり雇用も増えるので金額を下げ、デフレが深刻化すれば金額もそれに応じて増やす。

 対象は日本国籍のみ有する国民で、国籍取得から何年みたいな制限は必要だと思う。

 また成人は一律同じ金額でも良いかもしれないが、未成年者は例えば5年ごとに金額が上昇していくのでもいいと思う。

 (そうすれば日本に帰化した人と元々日本で生まれた子の金額が同じで、帰化した人も20年で成人と同じ金額を受け取れるようにする等)

 あとは個人の口座も法人の口座も、ある一定期間を経っても使用されない分は日銀の口座に返却されてしまうというのも良いと思う。

 あえて使わない人にもメリットがあるといい(減税されるなど)。

 ベーシックインカムは使用できる物品やサービスを限定したほうがいい。

 この仕組みでは、売る側の企業にとってはベーシックインカムでの支払いを望まない場合もあるので、こちらも導入する際のメリットとして法人税を下げるなどはあってもいいし、参入するにはそれなりの基準をクリアすべきなどの条件はあってもいいかもしれない。

 ※色々思うところはありますがとりあえずここまでにします。また改善や修正案など思いついたら記事にしたいと思います。


 ※このブログにはコメント欄を設置していません。

  お手数ですがツイッターアカウントをお持ちの方はこちらまでどうぞ。

  いいねやリツイートやフォローだけでもお気軽に。

4月19日に上記ツイートへのリンクを追加しました。

記事からは期間が空いていますが今でも読まれている方がいるようなので、お気軽にお返事など記入して頂ければと思います。 

フェルマーの最終定理を3すくみで解いてみる

| 7.12.16
 フェルマーの最終定理についてジャンケンで例えてみたらわかりやすくなるのではないかと思ったので自分なりに簡潔にまとめてみようと思います。
 
 まずX君Y君Z君の3人の人物がいます。

 それぞれが別の手を出してアイコにしようとした時に、X君がグーを出したらY君はチョキかパーを出します。

 Z君はY君が選ばなかった方のチョキかパーを出します。

 手数はn+1で表されるのでnが2の時だけ3人で3つの手数でアイコになります。

 ところがnが3になるとグーチョキパー以外の謎の手が1つ出現して3人で1つずつ選んでも1つ残ってしまいます。

 この時4つの手数全部を同時に出さないとアイコにならないというルールに変更されたため、3人では不可能になります。

 それ以降、手数が増えていっても当然成立しません。1人が1つの手しか選択できないので手数と人数が同じ時だけ成立します。
 
 n+1=3はn=2終了。

 ※2015年8月20日の自分のツイートから引用しました。

待機児童の問題を解決する方法とは

| 6.12.16
 待機児童の問題を解決するには、保育園や幼稚園に落ちた場合にはその理由を明記した証明になる書類の発行を義務化して、その用紙を自治体に持っていく。
 役所では専用の窓口や部署を設置して、周囲に他の保育園や幼稚園があるかや空きが無いか調べて、受け入れ先が無かった場合は暫定的な措置を講じる。

  幼児の受け入れ先を用意できなかったことは一部の人に起きた非常事態のような状態であるという認識を持つ。
 罹災者証明のようなものを発行し、最寄の小学校に避難するのに似た措置で幼児を暫定的に預かれるようにする。
 小学校は市の嘱託職員のような決して高額な人件費がかからない範囲で保母さんを雇用する。

  その後も市役所などの担当部署が近隣の保育園や幼稚園に空きが出れば保護者に連絡し、通えるようになるまで何度でも続ける。
 あくまで暫定的な措置で、小学校では保育園と同等のサービスは受けられないし色んなトラブルも起こり得るだろうし、それでもいいというくらい切実な場合に限られるとは思うけど。

はじめまして

| 6.12.16
ツイッターの文字制限があり、自分への返信でツイートを繋げてみたりするのですが、あとで読み返したときなどに読みにくいと思ったのでブログに保存してみることにしました。不慣れで試行錯誤しながらですがよろしくお願いします。
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