2017年11月29日、『The Gold Experience』からブログ名を変更しました。同タイトルの電子書籍をKindleで発売中。@aki080georgiaでのツイッターのまとめや書き切れないことなどを記事にしています。ご依頼などありましたらお気軽にご連絡下さい。 2023年2月21日、『1億人と結婚した男』からブログ名を変更しました。

不倫報道のカラクリ

| 31.1.17
 2016年のベッキーさんの不倫報道以来、明らかに芸能人の不倫報道が過熱しています。

 その一つの要因はテレビを見る人が減少して、視聴者層の中で主婦の占める割合が高くなったからではないかと思っています。

 主婦層は当然ながら不倫を嫌がります。

 不倫をした芸能人が活動を自粛するなどしてバチが当たったように見えれば、他人の不幸は蜜の味です。

 そういう需要が不倫報道にはあるのではないでしょうか。

 SNSなどのネットでの発言も主婦層が一定の力を持っています。

 隣りの奥さんが不倫してても実名を挙げることはまずないと思いますが、芸能人であれば固有名詞を用いていくらでも拡散してしまうでしょう。

 また不倫はその性質上、反論がしづらいものでもあります。

 テレビ番組のスポンサーやCMに出演している場合などにも、不倫が悪くないなんて言えば、主婦層から不買運動が起きてとんでもないことになるでしょう。

 ネットでは主に専業主婦のことを既婚女性という言葉から鬼女(きじょ)ということもあるそうです。

 確かにジャニーズアイドルなどのファンの鬼女が、ブログやSNSの画像のわずかな情報(反射して映ってるものや身に着けている小物など)から交際相手を思われる女性を炙り出して叩きのめすというようなことも見たことがあります。

 アイドルのファンというのと不倫報道は別のことですが、簡単にいうと不倫報道というのは不倫撲滅運動、できればアイドルの熱愛も撲滅したいみたいなことなのではないでしょうか。

 話は変わりますが、お笑い芸人が裸になって笑いを取ると、子供に何て言っていいのか説明できないとか、子供が真似したらどうしてくれるんだという意見を目にします。

 あなたの大切な子供は、コメディアンが裸になったくらいで本当に馬鹿になってしまったり、生きることに困惑したり、真似せずにはいられなったりしてしまうのでしょうか。
 
 その一方で、不倫報道が連日のようにテレビやネットを賑わしていることに関しては、子供への悪影響を心配してクレームをつけたりはしないのだとしたらバランスがおかしいような気がします。

 不倫が良いことだというつもりはありませんが少し冷静に考えてみる必要があると思います。

 日本の法律では結婚できるのは一人だけです。

 不倫をしているというのは結婚しているからです。

 いつの間にか既婚者の浮気が不倫という意味になってしまいましたが、一度は誰かに覚悟を決めたということです。

 不倫がいけないものだとあまり言い過ぎると、結婚しない方がいいと考える人が増えるでしょう。

 そうなっていくと、不倫されて腹が立つということすらできない人が増えるということです。

 そのせいで結婚の機会を逃す人がいれば、むしろ不倫撲滅運動の主婦達こそ恨まれるのです。

 未婚者が増えれば、既婚者にとっては不倫の対象も増えて、結局、不倫が多くなる可能性もあります。

 ますます少子化にもなっていきます。

 不倫報道とは逆の傾向で、不倫を扱ったドラマも増えてきています。

 人それぞれでしょうが、個人的には不倫報道に需要があるから不倫のドラマにも需要が見込めると考えたテレビ局の勘違いではないかと思っています。

 芸能人の不倫報道を毛嫌いしている人が、不倫願望があってそういったドラマを見たいとはどうも考えにくいのです。

 それだったら逆に不倫を暴き不倫を撲滅しようとする主人公が出てくるドラマの方が視聴率が取れそうな気がするのですが、深夜だとそういった層が寝ている可能性があるため何ともいえません。

 確かに不倫は相手の心を傷つけてしまう行為なので、ない方がいいと思います。

  しかし先程も書きましたが結婚は一人としかできないため、過去のことであっても覚悟は決めてくれたのです。

 その覚悟は一人の人生の中でとても貴重なもので、誇ってもいいと思います。

 不倫は肯定できることではありませんが、不倫したとしても人としての誇りを何もかもを失ったり否定するものでもないと思います。

 芸能人が逆に愛妻家で不倫を50年しなかったとしてもニュースで大きく取り上げて、褒めてくれませんしCMが増えたりとかもしません。

 不倫は減点法であって、芸能人の場合は記録にも残ってしまいます。

 一般人でも芸能人でも、不倫がそんなに駄目ならば、不倫報道よりも、しなかった人が有名になったり生活する上で有利になるような世の中になればいいのですが、どちらかいえば不倫撲滅運動が不倫を助長している気がするので、本当なら不倫報道にこそクレームをつけた方がいいのかもしれません。



 

 

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離婚の連鎖

| 30.1.17
 今は匿名で書いているブログですが、もしかしたらいつか実名にするかもしれませんし、一部の知り合いにだけ教えることがあるかもしれません。

 そういう理由のため、今回は具体的に詳しいことを書いてしまうと、誰のことかわかってしまう可能性もあるため、考慮してぼやかしている部分もあります。

 結構前のことですが、ある知り合いの夫婦が離婚しました。

 夫と奥さんの両方が知り合いで、それぞれの家族についてもいくらか顔見知りという感じでした。

 ただそこまで親しいという感じではありません。

 今現在、その二人や周囲の人の誰の連絡先も知らないくらいです。

 夫の方の家庭は両親が離婚されてて母子家庭でした。

 奥さんの方も両親が離婚されたあと母親が再婚しました。

 詳しいことは書きにくいし、憶測の部分ではありますが、奥さんの方が夫を口説き落として付き合い始めたような感じがします。

 その後、今は授かり婚ともいうらしいですが、できちゃった結婚かほぼそれに近い感じで夫婦になったんだと思います。

 夫の方は転勤していて単身赴任で、奥さんは奥さんの方の実家で暮らしていたと思います。

 当時は子供が小さいから実家に住んでいるのかな、くらいに思っていたのですが、今思えば、それにしても転勤先で一緒に暮らす選択肢もあったのではないかなという気もします。

 奥さんの方の実家で暮らしていると言うことは、もちろん奥さんの母親や兄弟もいますが、再婚した継父(継母という言葉があるので、ままちちでいいのでしょうかそれとも義理の父でもいいのかな)も一緒だったと思います。

 どうもその母親が再婚した男性と上手くいっていて幸せそうだった感じの印象を受けました。

 それ自体はいいことですが、奥さんの目線ではどう映っていたでしょうか。

 これも憶測に過ぎませんが、自分が幼い頃に両親が離婚して、母親が苦労して育ててくれたことや、当時であっても親が離婚しているというのは学校などで目立つことはあったと思います。

 そこで理不尽ないじめとかもあったかもしれません。

 様々な苦難を乗り越えて成長し、意中の男性と結婚することもできました。

 そして一度は離婚した母親が新たなパートナーと幸せそうに過ごしている。

 夫の方は私が知る限りでは多少お茶らけている印象はありましたが、家庭を持ってからは真面目というか、元々は真面目な人なんだろうなという感じで、特に非の打ち所はありません。

 ですが、この夫婦はある日突然離婚してしまいました。

 おそらく奥さんの方が離婚したい感じで、夫の方は離婚したくない感じだったと思います。

 これはお互いが全く別の方向を見ていたからではないかと思うのです。

 夫の方も幼い頃に両親が離婚されていて、母親が自分や兄弟を養ってくれた苦労を知っています。

 夫の方はそういう経験から子供のためにも離婚したくないと考えたのだと思います。

 奥さんの方はいったん離婚した母親が再婚して幸せになっているのを間近で見ています。

 それどころか、奥さんの方は母親への憧れや母親に認められたいという承認欲求があるように見えました。

 意図的にそうしたとは思いにくいですが、無意識に、離婚すれば母親は今よりももっと自分のことを愛してくれると、そんな風にどこか心の中で思っていたかもしれません。

 子育てを助けてもらうだけでなく、離婚後の生活やその後いずれ新たなパートナーと出会って幸せになるということは、実際に離婚しなければ共有できないことでもあるからです。

 例えは良くないですが、幼少期に虐待された子供が今度は親になると、自分の子に対して虐待してしまうという負の連鎖は時折起こるそうです。

 なんとなくそれに似た傾向の出来事に見えたのが気になりました。

 そもそも奥さんの方は一生その夫と一緒に過ごそうと考えていたのかどうかすら疑問に思えてきます。

 もしこれが、母親の再婚相手がすごく嫌な人だったり、再び上手くいかないで離婚されたりしていればまた違ったのかもしれません。

 でも、もっとそれ以前に、親の生き方を真似する必要は全くありません。

 母親は離婚してから再婚して幸せになったかもしれませんが、奥さんがその母親の人生を引き継いで生きる必要はない訳です。

 むしろ夫と同じように、自分たちの親が離婚したことで子供時代苦労したから、同じことは繰り返したくないと考えることができれば何も問題なく結婚生活を続けることもできたでしょう。

 ただここで離婚が悪いものだというつもりもありません。

 親の人生ではなく、自分の人生とは何かを考えて、意志を持って、判断すべきなのではないかということです。

 自分の親の姿を見てきて、親がこうだったから自分もこうしようでは、自分の人生を生きているといえるでしょうか。

 親から学ぶこともあるとは思いますが、まずはそういった刷り込みからは脱却した上で、自分の責任として物事を選択するのが大事なことだと思います。




 

 

 

 
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潔癖症について

| 29.1.17
 これまで出会った人の中に、この人は潔癖症かなと思う人であったり、テレビで芸能人が自らを潔癖症と称してエピソードを語っているのを見たりしていると共通点があるような感じがします。

 ちょっと言い方は厳しいかもしれませんが、一言でいうと「潔癖症の人はどこか抜けている。」ということではないでしょうか。

 例えば、ゴミの分別をきっちりしないと気が済まないという方がいるそうですが、ある程度まではそれは素晴らしいことですが、そういうタイプの人は自分や家庭のゴミを出すことに関しては熱心のようですが、捨てられて回収されたゴミがきっちり処分されているかどうかについては案外無頓着だったりします。

 回収されたゴミは、場合によっては結局一緒に燃やされていたりしますし、燃えるゴミの袋はビニールなので自治体によってはブラスチックゴミに該当すると思うのですが、恐らくゴミ袋のまま燃やされてますよね(わざわざ燃えるゴミをゴミ袋から全て取り出して燃やしていないと思います)。

 あと、実際に個人的にあったことなのですが、ある場所でトイレに行った後に手を洗わないでいたところ、激しく叱責されたことがあります。

 その場では言い返さなかったのですが(その時点で話が通じそうな相手ではないと思ったので)、その場所はトイレのドアを開けて、更にもう一つのドアを開けないと手を洗うことができないところでした。

 仮に私の手に悪性のウィルスが付着していたとしても、そこのトイレを利用する人の全員が用を済ますとトイレのドアノブに触れ、もう一つのドアノブにも手を触れます。

 私の手を洗うことよりもこの2箇所のドアノブの方が不衛生で危険だとは思わないのでしょうか。

 こういった方達のほとんどは強迫観念に駆られていて、物事を冷静に判断することができていないのです。

 だからこそ、過剰なまでに綺麗にすることで安心感を得るのです。

 掃除や整理整頓が完璧に行き届いていれば、心の内面にどんな矛盾を抱えていても、明らかに自分の性格にやましいところがあったとしても、目に映るものはきっちりできています。

 そうすることで、精神的なものであったり知的な面でのコンプレックスを隠蔽している可能性もあります。

 私は賢くはないけど衛生面はきっちりしているという感じです。

 確かにノロウィルスなど衛生面に気を配れなければ伝染してしまう類の病いについてはきっちりした方が良いと思います。

 しかし、それが病気にならないためであったり長生きしたいからなどの明確が理由を持っているのか、それとも衛生面にこれ以上ないほど気をつければとにかく大丈夫だというような思考停止に陥っていないかはよくよく考えてみた方が良さそうです。

 実際に100歳以上長生きされた方に健康の秘訣などを聞いた時に、潔癖症だからだよと言っているのを聞いたことがありません。

 これが長生きしている人の全員が口を揃えて潔癖症であることを条件にあげたり、周囲の家族などから、あの人は昔から潔癖症過ぎて困っているがそれが長生きの秘訣だから仕方がないというのも聞いたことがありません。

 それどころか、最近では、喉を消毒する薬や怪我などの際に患部に付ける消毒液などは、治るための良い菌まで殺菌してしまうことから、使用しない方が良いという意見も聞きます。

 物事に対して潔癖であるために、わざわざ疾病を治すのを不利にしたり遅れさせてしまうことがあれば本末転倒だと思います。

 衛生面に関してもそうです。

 一時期テレビ等で、お風呂に毎日入浴していないと発言すれば、観覧席から悲鳴に近いような、え~という声を良く聞きました。

 まず、そのお風呂に入っていない芸能人が不潔だったとしても、それなりに距離が離れた観覧席まで影響を及ぼすことはないでしょう。

 おそらく洗剤や化粧品やシャンプーなどのスポンサーが付いているからでしょうか、お風呂に毎日入っていないという発言はタブーに近いくらいの反応を示します。

 だんだん軟化してきて、この頃はシャワーに入っているならば大丈夫みたいです。

 実際に外国であなたはどれくらいの頻度でお風呂に入りますかというアンケートを現地でとっているテレビ番組の映像では、客席のえ~という驚きの声とともに、この方達は毎日シャワーを浴びていますという注意書きのテロップが出ているのを見たことがあります。

 本当にお風呂に入っていないと言った外国人に対して、毎日シャワーには入ってますよねと確認したとは思えません。

 確か記憶があっていれば(ネットで調べたほうがいいかもしれませんが省略しています)、日本で最初にシャンプーを開発したのは花王だったかと思います。

 しかし当時の日本人は月に1度か2度程度しか髪を洗う習慣がなかったため商売として苦慮していたというような記述があったはずです。

 そのためどうにかして、毎日お風呂に入って髪や身体を洗って欲しい、石鹸やシャンプーを使って欲しいという商売上の戦略が生じたとしても何も不思議ではありません。

 毎日お風呂に入らなければならない理由は実はよくわかっていないと思います。

 どこかの医学界の研究結果によってそうなったというのも聞いたことはありませんし、とりあえず毎日綺麗にしていれば汚いよりはいいだろう程度のことかもしれません。

 月に一度しかシャンプーを使わないよりも毎日使ってくれれば、30倍くらいシャンプーが売れます。

 そのシャンプーですら洗剤に使用されるような強い洗浄成分である界面活性剤は肌に良くないといわれ始めて、昨今ではノンシリコンのシャンプーの方が良いとされています。

 身体や頭髪を清潔にすることが目的で、そうしていない人には、え~、だったにも関わらず、皮膚に良くない成分で毎日、肌にダメージを与えていたのです。

 常に当たり前だと思っていることに関して、それが本当かどうか、まずは気が付けるように心掛けて、綺麗にしさえすれば間違いないという考え方は危険であるという認識を持った方が良さそうです。

 そういった根拠のない、え~、が、大袈裟かもしれませんがいじめや差別へと繋がっていくのです。

 部屋の片付けや入浴や病気への備えなど、ある程度まではきっちりすることの方が良いことは否定しませんが、過剰に突き進む場合はふと立ち止まって、そこに違和感がないか、疑問に思うことはないか考えてみることが大切だと思います。

 例えば、潔癖症とまでいかなくも、トイレを掃除すると運気が良くなるということを信じている人が結構いるようです。

 本当にそうでしょうか?

 最近、東芝が大幅な赤字の対応に終われていますが、おそらく毎日清掃業者がトイレをきちんと掃除していたと思います。

 リーマンブラザーズ証券もトイレが汚れていたから駄目になったのでしょうか。

 勝手に思い込んで何も疑わないこと、それはしない方が良いと思います。

 東日本大震災後、福島の原発事故のため県外へ避難した被災者に対して、自治体の職員が放射能がうつるので受付を拒否したというニュースを聞いたことがあります。

 同様に、子供のいじめの原因にもなっていると聞きます。

 その手の差別をする人間は馬鹿すぎて話になりません。

 普通に放射能でなくても、それが伝染する性質のものなのか、どの程度の接触でそうなるのか、うつった場合はどうなるのか、考えなくてもある程度の情報は手に入れられると思います。

 多分ですが、テストなどで常に平均点を下回っているレベルなのでしょう。

 想像もできない程の馬鹿な人が、清潔であれば自分は正しいと思っているのです。

 多少、厳しい言い方にもなってしまいましたが、潔癖症とは過剰な自分自身の保身であって、差別的になりやすい傾向にあるのではないかと伝えたかったためそうなってしまいました。

 結局は正しい情報を扱い方にも通じるようなメディアリテラシーみたいなところにも似ていると思うので、克服したいと思う方がいれば、心理学の本よりも先に、その手の本を読んでみるのもいいかもしれません。




 
 

 

 
 

 
 
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わかりやすい仮観の独自解説

| 28.1.17
 仏教には三観(さんがん)と呼ばれている三つの物の観方があります。

 空観(くうがん)、仮観(けがん)、中観(ちゅうがん)、それぞれに深い意味があります。

 簡単に言えば、空観と仮観の両方ができていれば中観ということになります。

 空観は空っぽで何もないのではなくて、有と無の両方を含んだ上位概念だということを聞いたことがあります。

 今回は、個人的に理解するのが難しかった仮観について、自分なりに分かりやすく説明してみようと思います。

 とは言っても私はお坊さんではありませんし仏教の専門家でもありませんので、多少ニュアンスが違っていたり厳密には正しくないことを書くかもしれません。

 その上、わかりやすく説明するためには色んなものが雑に省かれていることも考慮した上でおおらかな気持ちでお読み頂ければと思います。

 まず、仮観というのは文字通り、この世界を仮のものとして観るというのが基本だと思います。

 その仮観の反対の意味で実観(じつがん)という言い方を聞いたことがあるのですが、正しい仏教用語かどうかはわかりませんが、説明する上では重要な言葉だと思います。

 実観というのは、この世界を実在しているものとして観るということになります。

 仮観の理解が難しいと思ったのは、この実観との違いを明確に区別する点にありました。

 実観でない物の観方は空観であり、あらためて仮観という概念の独自のイメージがなかなか掴めないという感じです。

 では仮観と実願の明確な違いとは何でしょうか。

 実際に目の前にある物をただ仮だと思うだけでは何か違う感じがするのです。

 その一方で空観だけというのは達磨大使のように世俗的なところから隔絶されて、手足が腐敗しても座禅を組み続けているようなイメージがあります。

 空観だけでなく仮観が重要なのは全員が世俗的なところから脱却してしまえば、生活も成り立ちませんし子孫を残すこともなくなり人類が滅亡するという点にありそうです。

 わかりやすくいえば、洞窟に篭ってないで仕事しろということではないでしょうか。

 この、仕事しろの部分に仮観と実観を分けるヒントがあるような気がします。

 仕事を仮のものとして観た場合、それはどのような仕事の仕方を表しているのでしょうか。

 突き詰めて考えてみると、それは自分が依頼して自分自身で受注するということではないかと思っています。
 
 自分で仮の仕事を創って、自分でその仕事をこなすのです。

 それは自分が好きなことをして、好きなことを観ろということに繋がっていきます。

 逆に実観とは他人からやらされている仕事であったり、本当は無理して好きだと思い込んでしている仕事のことです。

 空観をしながら自分の本当に好きなことを観る仮観ができていれば中観ということになります。

 本当に好きなことを自分自身で仮に設定することによって、好きなものを観ることがこの世界を仮のものとして観るということになるのではないでしょうか。

 それなら自分のゴールを設定して、それを達成することが既に仮観になっているので、コーチングなどで言われていることは仏教的にも理に適っているといえます。

 こうして正確な仮観ができているならば、お金を稼ぐことも子孫を残すことも、それが煩悩であっても、良い煩悩ということになり、洞窟に篭っている僧侶よりも三観を実践できているといえるかもしれません。

 それが個人的にはわかりやすいと思った仮観の独自の説明です。


※後日この記事の補足や続きにもなるような内容のものを書きましたので興味があればこちらも併せてお読み下さい。『イメージすれば叶うは本当か』
 



 
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Yahoo!ニュースの紛らわしい見出し

| 27.1.17
 Yahoo!のトップ画面に表示されているヤフーニュースの見出しが紛らわしいと思ったことはないだろうか。

 場合によっては法則のようなものがあるような気がしたので、いくつか例を挙げたり、他にも気になる点について書いてみようと思います。

 個人的に一番嫌だなと思ったのが「~へ」という見出しです。

 最近は慣れましたが、これは一見すると確定した出来事のようですが実は違うんですよね。

 実際にあったニュースではありませんが、例えば「人類滅亡へ」という見出しがあったとします。

 なんだって?と思いながらクリックしてみると、どこかの機関で人類はいずれ滅亡するだろうという研究結果が発表されたという記事だったりします。

 要するにヤフーニュースの見出しの「~へ」というのは今後そういう可能性がありますよ、という場合に使われる文言のようです。

 具体的には、なるべく固有名詞を出すのは避けたいのですが、まあ大丈夫だろうと思って今回はそのまま記載してみますが、最近だと「狩野英孝、無期限活動休止へ」みたいな感じの見出しがありました。

 このニュースについて知ってる方は、実際に無期限に芸能活動休止になったじゃん、と思われるかもしれません。

 しかし、この見出しが出ていたのは、その無期限の休止が発表される前の段階で、まだこの時点では確定した事実ではありませんでした。

 そうなるであろうという憶測や、おそらく事務所関係者から事前に情報を得ていた可能性もありますが、公式発表の前だったことには変わりありません。

  どういうルールで見出しを決めているのかわかりませんが、個人的にはこういう場合は「~か」の方が正確だと思うのですが、一度理解すればそれほど振り回されることはないかもしれません。

 ちなみに、テレビでヤフーニュースを作成している人の働いている様子は見たことがあります。

 確かに文字数に限りがあったりするので、毎日たくさんのニュースの見出しを考えるのは難しそうだし、多少変な時もあるのは仕方がないような気もします。

 もう一つは、これもなぜなのかよくわからないのですが、甥の表記が「おい」と平仮名になっていることです。

 そのため、これも実際にあった見出しではありませんが、「おいら提訴を決断する」みたいな、どういうことだろうというような感じになります。

 クリックしてニュースの詳細を読むと甥であることがわかります。

 甥という字が見るデバイスによって細かくて表示されないなどの問題があるのかもしれませんが、できれば漢字で表記して欲しいなと思います。

 それか、生きる男みたいに読めるからややこしいという理由でもあるのでしょうか。

 それでも「おいら」よりはいいとは思うのですが。

 ここからは表記のことではなく、ヤフーニュースそのものに関する疑問について書いてみようと思います。

 たまたま最近だけなのかもしれませんが、ヤフーニュースの中でもトップの見出しは、特にジャンルをしていない「ニュース」のタグの中で一番上に表示されているものだと思いますが、そこにあるニュース記事がトップに相応しくないと思う時があるのです。

 最近のことなのでトランプ大統領に関する記事だったりすることが多いのですが、クリックして読むと根拠に乏しく中身がともなっていない場合が多いのです。

 先程のトランプ大統領のニュースに関して言えば、他にも優先して伝えるべき出来事はたくさんあると思うのですが、ただ匿名の記者が具体性のない批判を書いているだけだったりします。

 トランプ氏の批判だから問題なのではありません。

 単純に、見出しが印象強いだけで、中身がともなっていないことが問題なのです。

 それが結構、大手の新聞社だったり通信社だったりします。

 クリックが多ければトップになり残りやすい仕組みにでもなっているのでしょうか。

 そうであるならば内容よりも見出しで注目を浴びただけのスカスカ記事が有利になってしまうことも有り得ます。

 できれば見出しをクリックしたあとに読み手が評価をして、評価がいいものがトップに残る仕組みの方が良いように思います。

 ヤフーニュースではクリックした記事の詳細の下の方にフェイスブックで、読者の感想が記載されていたりします。

 案外そこに載っている個人の見解の方が正しかったりもします。

 それでも営利目的の大手マスコミがスカスカ記事で利益を得ている一方で、正しい見解のSNSの書き込みが無償であることは、今回とは別の問題ではありますが、気が向けば記事にしてみようと思っています。

 もう一つは、ニュースを提供するマスコミの種類です。

 先程、大手メディアでも根拠のない記事を提供して、そのブランド力なのか見出しにインパクトがあったのか理由はそれぞれですが、内容が伴わないのにトップに君臨していることがあるというようなことを書きました。

 次はそれ以外の、そこでしか見かけないような、ネット専門のメディアであったり、日本以外のアジア系のマスコミの記事などについてです。

 大手メディアでもそうである以上に、根拠のないニュースだったり、放送されたテレビ番組での発言がニュースになっていたりします。

 大抵、芸能人と揉め事になるのもこういったネット専門のメディアだったりします。

 その他にも日本以外のメディアではCNNとかブルームバーグなどの欧米のメディアはそうでもないのですが、中国や韓国のメディアでは日本に対して批判的なニュースを提供していたりしています。

 これも読み手が評価できるようにするべきでしょう。

 評価を単純な投票にしてしまうと偏った思想の人たちの影響でおかしなことになってしまう可能性があります。

 方法は色々あるとは思いますが、Yahoo!JAPANのアカウントに登録して、ログインした人が評価できるとか、あと、その辺のバランスは難しいかもしれませんが、明らかに評価が低いニュースに高評価を与え続けている偏った思想の人からの評価は反映されにくくなるという仕組みもあった方がいいと思います。

 そうでなくても毎日たくさんの人がヤフーニュースを見ているでしょうから、現状のままで問題はないですよとヤフージャパンの側から言われてしまいそうですが、たくさんの人が見るからこそ、これ以上ないほどフェアな情報空間であって欲しいなと願うまでです。

 あと、ヤフーニュースを見ていれば、その記事がどこのメディアなのかまでいちいち見てないよ、という話もよく聞くのですが、ニュースを読むついでに、どこが提供した記事なのかよく見ておく方が勉強になると思います。

 現状ではヤフーニュースの記事を読み手が評価している訳ではありませんが、自分で判断するようになるためにも、よくよく注目することをおすすめします。

 

 

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少子化は情報化社会の弊害

| 26.1.17
 現代の日本だけでなく、主要な先進国では少子化が進んでいます。

 個人的には少子化がそもそもいけないことなのかどうかの時点で疑問符が付きます。

 子を産むかどうかは社会に強要されることではなく、自然の摂理だからです。

 だからこそ少子化である現状のままではいけないだろうというのも分かります。

 まずは行政の目線では人口が減っていけば税収も減りますし、年金制度などはますます苦しい状況に追い込まれるでしょう。

 大きな枠組でいえば、若い世代が減れば経済活動も鈍化しますし、日本は憲法で戦争を放棄していますが国力という観点からも深刻な問題だといえます。

 国が憂慮して政治家が少子化大臣などの役割を設けて対策するのはそういったところからでしょう。

 しかし何ができるというのか。

 突き詰めて考えると、お金を配るから子供を産めということくらいしかできないのではないでしょうか。

 こういったことは自然と解決するんじゃないかと楽観的に思ってしまいます。

 子供が極端に少なくなってくれば、自然と、危機感を感じて子孫を残そうと本能的に人々の行動が変わっていったり、優遇措置もより優位なものへと向上していくような気がするのです。

 若い労働者が少なくなれば発展途上国から適度に移民を受け入れれば、世界規模の貧困もいくらか収まっていきます。

 だから無理して子孫を残す必要はないと思っています。

 むしろそれでも問題を解決しなければいけないと考えるならば、政府が予算をつけてお金を払うよりも、根本的な原因を知ることの方が大事なような気がします。

 結婚して家庭を持つことや子供を育てるのが経済的に難しいということをよく聞きますが本当でしょうか。

 でも、昔はどこの家庭も貧しかったけど子育てできたじゃんというつもりもありません。

 この記事のタイトルにもある通り、少子化の根本的な原因は情報化社会ではないでしょうか。

 戦後の焼け野原であっても人口は増え続けていたのに、何十年も戦争をしていない日本では人口が減っています。

 人口が減り始めたのはIT化が進んだ頃からではないでしょうか。

 様々な仕事がコンピューターや機械に置き換わっていく中で、人々の暮らしは豊かになった反面、労働力としての人間の需要が減っているのです。

 問題は少子化や失業問題ではなく、情報化社会と向き合い、社会の仕組みを変えることだったのかもしれません。

 音楽がダウンロードできるようになると、違法コピーが横行して、音楽業界は衰退しました。

 製品をある意味で子供のように例えるならば、音楽業界では異常な少子化が起きたといえるでしょう。

 ありえない例えではありますが、ではそこに国が多額の資金を援助して、衰退した音楽業界を盛り上げようとしたとします。

 お金をもらった音楽業界は既存のアーティストに曲をたくさん作らせたり、様々な新しいアーティストの発掘に力を注ぐでしょう。

 でも消費者は昔のようにCDを買うでしょうか。

 そうでなくても正規にダウンロードで曲を購入してくれるでしょうか。

 きっと盛り返すことはないと思います。

 こういった致命的な衰退が情報化社会になるにつれて様々な分野で起きたのです。

 同じ時期に平行して世界のグローバル化が進んでいきました。

 もし世界が国ごとに閉鎖的な経済でも成り立っていたら、パソコンが急速に普及する時に、その流れを中断して、それがもたらすデメリットなどを十分に議論した上で、法律で規制したり、既存の産業を保護することができたかもしれませんが夢物語のような話です。

 他のことで例えるならば、数年ぶりにゲームをやってみようとして、最新のゲーム機とゲームソフトで遊ぶようなものです。

 時代のギャップに驚かされることでしょう。

 そして、若い人を含めても、ほとんどの人がこの急速な流れについていけなくなっているのです。

 その結果、何かが異様に歪んでしまって、その急速な流れについていけている極一部の人か、偶然その歪みに上手く乗れた人だけが極端に富を得る時代になってしまいました。

 本来は富を分配する国の役割も全く追いついていません。

 少子化を解決するにはこういった部分から改善しない限り、少子化問題という税収を減らさないように無理してでも子供を産んでもらおうとする政策では解決にはなりません。

 少子化よりも情報化問題に取り組む必要があると思うからです。

 最後に一つだけ提案したいのは以前にも書いたベーシックインカムの導入も、情報化社会によって歪んだ経済への解決にも役立つものだと考えています。

 その時の記事もこちら『ベーシックインカムに財源は不要』にリンクを貼っておきます。


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The surrounding countries claiming unjustifiable on the territory of Japan

| 25.1.17
Donald Trump became President of the United States of America.
 

Previously, I wrote that he is an honest man on this blog.
 

It seems like an innocent child who said that the king is naked in the fable.
 

It is not ironic to him.
 

I hope that fair logic will come to the chaotic world.
  
 Well, do you know that part of Japan's territory receives unreasonable treatment from neighboring countries?

 It happens in three areas, not just one place.

 They are territories of Japan with no hesitation in international law and history.
  
 They are Senkaku Islands, Takeshima, Northern Territories.

China and Taiwan have insisted on the Senkaku Islands as soon as the possibility that oil and other resources are reserved.

But they have no foundation.
 

Because the Senkaku Islands belong to Okinawa.
 

After World War II, Okinawa was ruled by the United States.
 

It was later returned to Japan.
 

At least at that time both China and Taiwan had recorded the Senkaku Islands on the map with Japanese territory.

 You will find that it is a sudden and unreasonable claim that is not planned.

Until recently the owner of the Senkaku Islands was a private Japanese.
 

The owner said the Chinese government officials had negotiated the purchase of the land.
 

It seems that it was several times the amount presented by the Japanese government when it was nationalized.
 

But it is like evidence admitting that it is owned by the Japanese.
 

Do not you think it is strange?
 

There are many such things going on.

Senkaku islands are not illegally occupied by other countries.
 
Takeshima and the Northern Territories are illegally occupied.

  
 After the Second World War, South Korea insisted that the territory including Takeshima is a territory of its own country unilaterally.

South Korea effectively controls Takeshima with military force without grounds of international law.

Occasionally strange things happen about this unreasonable claim.

In every case South Korea declares its ownership of Takeshima by using the media in international places.

In international football games he gave a huge banner in the audience seat.
 

Of course, it is out of the question to bring politics to a sports game.

South Korean leaders may land on Takeshima when provoking against Japan, for example.

But why is it advertised as much as this, or is it used as a symbol of provocation?

That excessive act or forcible excitement represents an unfair invasion.

Northern Territories are also illegally occupied by Russia.
 

The Northern Territory is also made up of several islands. 

During the Second World War, Japan and Russia were quasi-alliance relations, but Russia invaded Japanese territory just before Japan declared defeat.

Regarding Takeshima and the Northern Territories, weak points in Japan can not be regained by the use of force when effective control is done.

 Because Japan has abandoned war in Japan 's constitution.

 Moreover, it is difficult to change the constitution by Japan 's Constitution.

So it has been the same all the time.

And it seems that this is the cause of unreasonable invasion and assertion by neighboring countries.

The only true truth is that Japan does not claim unfounded claims.

I hope the world is not greed or chaos, but logical and honesty that is protected by law and order is given priority.   


 Thank you for reading to the end.

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小池重明とモーツァルト

| 23.1.17
 まずモーツァルトは有名な作曲家なのでご存知だと思いますが、小池重明(こいけじゅうめい本名は、しげあき、と読むらしい)について説明したいと思います(一部Wikipediaからも引用しました)。

 小池重明はアマチュアの将棋棋士で、昔は賭け将棋で生計を立てている人を真剣師(しんけんし)と呼んだそうですが、その中でも一番有名といってもいいくらいの方です。

 初めて知ったのは20年くらい前にたまにテレビの特番でやっていた「たけし・さんま偉人伝」で紹介されたのを見た時です。

 どうやら将棋はかなり強いのですが、金銭感覚や女性関係にだらしがなく、日々トラブルだらけで破天荒な人だったようです。

 当時では例がないアマチュアからのプロ編入の話もあったのですが、素行の悪さからその話は白紙になってしまったそうです。

 プロとの対戦にも勝利したこともあるそうです(一応間違ってたらいけないと思ってWikipediaで調べたら角落ちではあったそうですが)。

 今でこそコンピューターがプロ棋士に勝利することも珍しくない世の中になりましたが(それでもプロの方が圧倒的に強い)、今でも当時でもアマチュア棋士がプロ棋士に勝つというのはとんでもない話です。

 官能小説などで有名な団鬼六が注目し、自身が発行していた将棋雑誌の企画で対戦させたりしていた時の棋譜などが残っている本を読んだことがあるのですが、確かプロ棋士との平手(ハンデなし)での対戦を切望していたにも関わらず、叶わなかったと記憶しています(間違ってたらすいません)。

 ウィキペディアを念のために読んだら、晩年、自身の病と闘いながらも対戦したアマチュア棋士がプロ相手に3勝したことがある方なのだそうで(さっきはとんでもない話と書いたがおそらくこれもすごい記録だと思いますが)、その方を相手にして勝っているということからもやはり将棋は強い人だったことがわかるかと思います。

 去年は同じ将棋界で村山聖のことが映画化されたそうですが、個人的には小池重明の映画も見てみたいですね。

 さて、記事のタイトルにもある通り、小池重明とモーツァルトという一見すると共通点もなさそうな両者について考えてみたいと思います。

 それは若くして病死したという点と、それなりの破天荒さと、天才であったという点です。

 モーツァルトは実際の演奏時間よりも短い早さで作曲していたことがあると言われています。

 時間軸を俯瞰で見て、音楽を点の集合体というか一枚の絵のようにしてとらえることができたのかもしれません。

 実際、モーツァルトは音を光のように視覚で認識できていたとする研究もあるそうです(具体的に誰が言ったのか知りませんが)。

 これは根拠があるかといえば、上手く言葉では説明できないのですが、小池重明とモーツァルトは似たタイプの天才だったのではないかと思うことがあるのです。

 モーツァルトに絶対音感とプラス、光と音の共感覚があったとすれば、小池重明にも音楽でいうところの絶対音感に近いレベルの大局観とプラス、膨大な組み合わせの差し手を俯瞰で見るだけでなく、それらに光や色が付いてみえるような何らかの共感覚の持ち主だったのではないかと想像してしまうのです。

 これは私自身も直感でそう思うことであって、言葉というよりは両者が感覚的に同じ種類の人間のような気がするというただそれだけのことです。

 しかも将棋には相手の指し手もありますから、単純に棋譜を追ったり、研究しただけでは小池重明が天才だったかどうかは証明できない可能性があります。

 しかし、そう思わさせてくれる程、何か独特で強烈な魅力を放っている人だったのではないかなと思うのです。

 


※2/2追記 今回の記事は関連する書籍を以下に追加することにしました。

 アマゾンはアフィリエイトになっています。あらかじめご了承下さい。


 ←1冊だけなら個人的には棋譜なども載っているこちらをおすすめしたいです。



 

あと記事内に名前があった村山聖さんに関連する本のリンクも貼りたいと思います。


 ←こちらは題名通り棋譜が載っているのでおすすめです。


←こちらが昨年映画化された原作の小説のようです。実は読んでませんが、記事内で映画化にも触れたためリンクを貼っておきます。

あとは他にも関連する書籍や商品がありますのでアマゾンでそのワードで検索した際に表示される一覧をテキストリンクで貼っておきます。

小池重明 村山聖  モーツァルト


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あまりしたくない南京大虐殺の話

| 22.1.17
 最近、大手ホテルチェーンのアパホテルで南京大虐殺を否定している冊子が置かれていて、販売もしているようで、それを外国人観光客がYouTubeや中国版のツイッターに上げたものが広がって、ネット上で大炎上が起きたり、アパホテルのホームページがサイバー攻撃にあっているそうだ。

 中国では南京大虐殺記念館というのがあって犠牲者は30万人と記されている。

 これが本当かどうか、全く否定している説から多いもので20万人以上だという説などいくつも分かれていて論争の種になっている。

 しかし一番多い説でも20万人以上ということは客観的に考えても30万は誇張だという印象を受ける(30万人も20万人以上にあてはまるが)。

 ここまで意見や主張が割れてしまう最大の原因は、当時の正確な記録が残っていないということだろう。

 例えば、虐殺が全くなかった、もしくはあったとしてもそれほどなかったとする説を主張する人の根拠となっているのが、当時の南京市の人口が20万人くらいだったところから始める。

 20万人しかいないのにどうやって30万人を虐殺したのかとなる。

 反対に、数万にから20万以上は虐殺されたと主張する人は、その人口から否定している。

 それは南京市の安全区と呼ばれる地区の人口で、南京市全体は100万人以上が住んでいたとされるものである。

 もっといえば南京市だけでなく、その周囲の広域にあった村などでも被害があり、それも南京大虐殺に含まれるべきだということで、被害者の数が増えている主張もある。

 まず、人口からしてどっちが正しいのか、当時のことも歴史にも詳しくない私のような人間がみたら、それすらよくわからない。

 そもそも人口が20万から100万人以上まで開きがある時点で何を信用していいのかがわからなくなる。

 100万以上というのも相当アバウトではないだろうか。

 101万人でも102万人でもだいぶ違う。

 それだけの大都市の人口を正確に把握している資料がない時点で、何人殺されたのかということが議論にならないような気がしてしまう。

 もちろん当時の日本軍が正確に何人虐殺したのか正確な資料を残していれば話は別だが、あるにはあるようだが、全体として正確なものは何も残っていないからこそ、推計になり、被害者の数にも開きが出てしまうのだろうと考えざるを得ない。

 当時の写真も明らかに捏造だとわかっているものもある。

 時期的にそれよりも以前の新聞に載っていた写真が使われていたり、そもそも軍服が日本軍のものではないなど様々な偽造写真があるそうだ。

 その一方で、実際に毎日7000人規模の虐殺が行われているとは考えられないほど、和やかにも見える当時の南京市の日常の市民の写真もある。

 いずれにしても戦時中の混乱で市民の管理が行き届いていたとはいえない状態で、当時のことを正確に数字で表すのはほぼ不可能だと思う。

 そして、当時の手掛かりになっているものは、南京市に住んでいたり、滞在していた人の手記による記録によるものが多い。

 または人づてに聞いたという噂レベルの話がほとんどだ。

 そこに一つの疑問が生じる。

 その記録を残した人や、現場を見たとかそういう話を聞いたという人は被害者ではないということだ。

 死人に口なしと言うが、何万人以上も殺される状況では、ギリギリで被害を免れた者や、なんとかして逃げ切れた人が少なからずいそうなのもだが、そうした虐殺される可能性があった当事者からの証言がほとんどないように思われる。

 だからといって、個人的には様々な記録を見る限り、虐殺が全く行われていないとは思わない。

 ただし、正確な数はわからないし、30万人ではないと思う。

 反対に、当時の南京市で市民による犯罪が何もなかったとも思わない。

 記録に残っていることよりも、残っていないことで重要な出来事の方がたくさん起きていたのではないかと想像する。

 もしかしたら将来、技術が発達して、そんな過去のことまで正確にわかる時代が来るかもしれないが、そうだとしてもそこで真相がわかったところでなんだか空しい感じがする。

 数の問題ではないにしても、それだからこそあえていうならば、中国国内では共産党による自国民の大虐殺が行われたとされている。

 3000万人から8000万人とされている。

 今度は5000万人も開きがある。

 これだけ、人口や死者の数に関して、大雑把なら、やはり南京大虐殺の30万人は話を盛りすぎてると思う。

 日本軍のしたことに罪悪感を持たせたいだけなのかもしれない。

 そうでなくても全く罪のないチベットの人たちも300万人が中国共産党に虐殺されたとされている。

 それらのことで中国政府が謝罪したり、罪悪感でいたたまれないといったことは聞いたことがない。

 だからといって、中国政府を批判するつもりもなければ、当時の日本軍が全く悪くないというつもりもない。

 当事者でなければわからないことが多すぎる。

 そのことに対して、過剰に罪悪感を感じたり怒りを感じたり、無理して結論付ける必要もない。

 程ほどに、 色んな説があって、自分はこっちの方が本当っぽいなと思うくらいでいいような気がする。

 南京大虐殺があったのか、なかったのか、どれくらいの規模で起きたのか、いずれにしてもそれを考えている大多数の人は当事者ではないし、虐殺に関与した加害者でも被害者でもない。

 歴史学として興味があるなら突き詰めて考えてもいいかもしれないが、戦争責任という意味での議論はいつも不毛で結論が出そうにない。

  だからこそ、南京大虐殺は争点にならないし、しない方がいい。

 アパホテルの冊子は虐殺がなかった説の方を取り込んだ内容なのだろうが、その目的が何のなのかCEOはよくよくもう一度考えてみるべきだと思う。

 中国を批判したいなら、中国共産党が自国民やチベットの人々を虐殺したことの方が争点になると思うし、日本軍は悪くなかったと主張したかったとすれば、それはもう明らかに反発を招くことを承知した上で冊子を作成するべきだったろうと思う。

 いや、始めからそのつもりだったのかもしれないが、そうだとしても虐殺はなかったという主張もよくあるので、そこに乗っかる形で、それなりの見解がなかったとすれば、やはり本に書く必要はなかったのではないかと思う。

 むしろ中国国民の怒りが日本や日本の企業に向かうことこそが中国政府の思惑通りになってしまっている可能性を考慮すれば尚更だ。

 
 

 
 

 


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小説家ベルナール・ウェルベル

| 21.1.17
 あまり名前を聞いたことがない小説家だと思いますが、自分の知っている範囲で紹介したいと思います。

 まず始めに、この小説家は翻訳される度に、その出版社によって日本語の表記が異なっているということです。

 最初に日本語で翻訳されたのが、1995年頃でベルナール・ウエルベル。

 自身の代表作でもある蟻三部作のうち、「蟻」と「蟻の時代」が日本語訳で発売されています。

 1996年には私が初めて読んだ「タナトノート」でそこからはしばらく、出版社を問わずにベルナール・ヴェルベールで統一されています。

 ところが2003年には角川文庫から蟻三部作が発売されていて、「蟻」、「蟻の時代」、「蟻の革命」。

 この時はベルナール・ウェルベル(エが小さい)となっています。

 英語表記はBernard Werberなので、フランスの方なので、もしかしたら他の読み方が正しいのかもしれないですが、角川文庫のベルナール・ウェルベルがしっくり来るような気がします。

 アマゾンなどで検索する時は、タナトノートなど作品名を入力してから、作者名をクリックすると、一応どの表記の作品も一覧で表示されて便利です。

 一応、日本語で出版されている作品についてはほとんど読んでいます。

 読んでないのは角川文庫版の前に発売されている最初の「蟻」と「蟻の時代」で、あとは2008年に発売された「星々の蝶」だけ持っているのですが、まだ読んでいません。

 ベルナール・ウェルベルの小説の面白いところは物語の視点だと思います。

 例えば「蟻」シリーズでは蟻からの目線と人間からの目線が、交代に入れ替わりながら物語が進行していきます。

 このような手法は「タナトノート」や「われらの父の父」でも使われています。

 別々の登場人物の視点から交互に物語が進んでいき、やがて出会うのです。

 「魂はすべてを知っている」ではまた別の手法が使われていますが、この作品も視点が独特で、読み手の想像力が視点となっているとでもいうような内容になっています。

 実はこの小説家の作品はここまで書いた物以外は翻訳されておらず、これだけしかありません。

 すぐ読み終えられる長さのものもあれば、結構長いものまであります。

 単純な小説の内容の面白さだけではなく、世界中の様々な文献からの引用もあります。

 奇抜な発想や、そんな馬鹿なと思えるような展開もあるのですが、それが科学的に本当にあるのではないかと思わせるような現実の書物と結び付けられている場合もあります。

 幅広い知識の持ち主が読み手を楽しませようとしている工夫なのかもしれません。

 一見、娯楽的なエンターテイメントのような小説でありながらも、純文学的な知的さをも垣間見ることができるのです。

 例えば「蟻」では、蟻の研究者が蟻同士が臭いでコミュニケーションをとっていることから、逆転の発想で、臭いをコントロールすることで蟻とのコミュニケーションをとろうとします。

 「タナトノート」では、あの世は銀河系の中心にあるとして、様々な幽体離脱を試みて、生きたままあの世へ旅行に行きます。

 「われらの父の父」ではネタバレになるので詳細は控えますが、猿から人間への進化の過程で、その間になる部分で未だに発見されていない、ミッシングリンクの答えを導き出そうとします。

 それによると、人間は、猿と別のある動物との間に生まれたハーフ(最近はハーフのことをダブルということもあるそうですが)のようです。

 そのどれもが、ものすごい面白い小説だと思うのですが、難点を挙げるとすれば映像化ができない(もしくは困難)という点でしょうか。

 日本でも、映画化できるかどうかなど、小説自体の面白さではなく、儲かるかどうかみたいな感じになってしまい、 映像化できない面白い小説は埋もれてしまって、きちんと評価されていないような気がします。

 しかし、映像化ができないからこそ小説で読みたいのです。

 日本でそんな心配などしなくても、世界中で読まれているのでしょうが、もっと評価されていて、新しい小説が出版されればすぐに翻訳されるくらいであって欲しいなと思っています。

 読んだのがかなり前なので、思い出しながら書きましたが、少しでもベルナール・ウェルベルの面白さが伝えられればいいなと思っています。

 タレントが書いた小説は売れるから出版されるだけで別に面白くはないです。

 書いた人が有名だからとか、売れている本だからとかで判断するのではなく、いったんそういうものは、たとえ本当に面白かったとしても候補からは外して、もっと自分自身の内面が望むような、そんな小説がないか探してみるのもいいと思います。


※2/2追記 今回の記事は関連する書籍のリンク先を追加して載せることにしました。

アマゾンはアフィリエイトになっています。

あらかじめご了承下さい。





代表作の蟻シリーズは三部作まで翻訳されている角川文庫版がおすすめです。

そのため他の出版会社からでている方のリンクは割愛させていただきます。



上記の2作品はそれぞれ独立した作品になっています。
この2つの作品はどちらも面白かったです。




こちらの2作品は左が記事中にもあった通り、読者がイメージすることが視点となっている風変わりな作品で、それほど長くはありません。

右側の方も記事にある通り、持っているけどまだ読み終わってない作品で、帯には韓国で売れたようなことが書いてありました。

ベルナール・ウェルベル←こちらも記事に書きましたが、出版会社によって日本語での名義が異なるため英語表記のBernard Werberで検索した画面が表示されるようにしています。

上記のテキストリンクからですと日本語で出版された作品も網羅されているので便利です。

 ※2017/09/06追記 現時点でブログ内で最も閲覧数の多い記事になりました。

 せっかくなので以前ベルナールウェルベルの小説に何度か出てくるアラビア数字の形の意味に関する記事を書いていますのでそのリンクをこちらに貼りたいと思います。

 『アラビア数字の形には意味がある』

 良かったら併せてお読み下さい。


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誤解されやすい付加価値税について

| 20.1.17
 まず始めに、どうして付加価値税が誤解されやすかというと、簡単にいえばマスコミの報道の仕方が紛らわしいからです。

 紛らわしいだけでなく、そもそも発言する側の人が認識を間違えている場合もあると思います。

 いきなり付加価値税と聞いても、何のことかわからない人も多いかと思いますが、日本で暮らしている分には今のところ、特に問題はないと思います。

 付加価値税は外国で行われている税制のことだからです。

 いや、言葉自体そんなに聞いたことないよ、という人もいるかもしれませんが、こういう言い方をすればなんとなくわかるのではないでしょうか。

 テレビなどで「日本の消費税が8%なんて、外国に比べたらまだまだ低すぎる。ヨーロッパなんて20%以上もあるんだぞ。」

 こんな間違った発言をしているのに、生放送でもないのに編集でカットされることもなければ、何の説明もなく全国に誤った情報が流されているのです。

 たまに小さく注意書きで、付加価値税を消費税として表記していますみたいなテロップが出ているのを見たことがあるのですが、補足していても、そもそも別の税制ですから、かなり乱暴な変換だと言わざるを得ません。

 付加価値税と消費税は同じ性質の税金でしょうか。

 どちらも文字通りに考えれば分かりやすいかと思います。

 付加価値税は付加価値に対して発生する税金で、消費税は消費活動に対する税金です。

 ではどのような違いがあるのでしょうか。

 例えば、付加価値といえば、完成した車を思い浮かべてみましょうか。

 様々な部品がきちんと組み立てられることによって、車が完成します。

 部品だけでは走りませんが、完成したことで車を運転できる付加価値が生まれたといってもいいでしょう。

 付加価値税ではそこに税金が発生する仕組みです。

 実際に海外に暮らしたわけでもなく、がっつり調べた訳ではないので具体的な税率は知りませんが(申し訳ないですが)、付加価値税ではそれぞれの付加価値に応じて税金が異なります。

 これも付加価値の性質を考えれば分かりやすいかと思いますが、完成した車が持っている付加価値と、例えば調理された焼きそばの付加価値では、その度合いや、付加価値を持つに至るまでの労力に違いが出てくるのは当然のことです。

 ですから、テレビでは、ヨーロッパの方の消費税は食べ物にはそれほど税金がかからないが、 宝石などの贅沢品には高い税金がかかる、その方がフェアだ、などというのです。

 実際そのように物品やサービスによって、かかる税率は異なりますが、果たしてその方がいいのでしょうか。

 2つ程、付加価値税の持っているデメリットについて考えてみたいと思います。

 1つはその物品やサービスごとの税率を誰が決めるのかということです。

 どこの国の政治家でも、どこの業界との癒着もなしに公正に税率を定めることが可能でしょうか。

 そもそも公正な税率には答えがなさそうな気もします。

 必ず、不公平な設定になるのは明らかですし、物品やサービスごとに税率が異なれば、そのカテゴリーにあてはまるかどうかの微妙な商品やサービスも出てきます。

 あらゆる付加価値に対して、そのカテゴリーの大枠で、大雑把に割り振りしたとしても、それでも種類がたくさんあって面倒になります。

 特に扱う商品の多い大型の店などでは、いちいち個別の商品ごとに税率が異なれば会計するのもかなり手間がかかっていることが想像できます。

 もう1つは、消費者にとっても販売する側にとっても馬鹿馬鹿しいことが起きるということです。

 付加価値税を導入している国では、食事をお店で食べるのと、持ち帰って食べるのとでは税率が異なります。

 お店の中で食事を摂ることの方が、より付加価値のある行為ということなのでしょう。

 それだったら、その料理によっては、店で食べずにテイクアウトで注文して、すぐ店の外で食べたほうが安上がりです。

 わざわざそのために、お店の中が空席だらけだったとしたら、こんな馬鹿馬鹿しいことはありません。

  また付加価値があるかどうかは人によるというところがあります。

 例えば、牛丼に紅しょうがを付けたら、付加価値だと思う人もいれば、紅しょうがが嫌いでいらないという人もいるでしょう。

 では紅しょうがを牛丼の上に乗っけたら税率を課すことになります。

 でも、お金持ちが紅しょうがが好きとは限りません。

 ということは、先ほどのテレビで言っていた、食事などの税率は低くて、贅沢品からたくさん税金を取るから消費税よりもいいというのは、そうではないということになります。

 付加価値税では、贅沢をしない金持ちは、庶民と同じかそれ以下の税金で済むことにもなります。

 実はこれに似た話が、日本でも現在、消費税を上げた際の、軽減率についても同じような議論が起きています。

 しかし、それなら始めから日本も付加価値税にするべきです。

 次に消費税について考えてみることにします。

 消費税は先ほども書きましたが、消費することに対する税金です。

 簡単に言えば物を買うことやサービスを利用することが消費活動にあたる行為と考えることができます。

 そう考えれば、ホテルの宿泊には消費税がかかりますが、家賃には消費税がかかりません。

 ホテルに泊まるのは消費ですが、住居を借りて暮らすことは消費ではないということでしょう。

 でも多分ホテル暮らしの人は消費税を払い続けているかもしれませんね(知らないけど)。

 では20%以上だという付加価値税と、8%の消費税はどっちの方が高い税率なのでしょうか。

 一概には言えませんが、両者の違いを考えてみることにしましょう。

 先程の例えで、付加価値税では、完成した車に対して税金を課していました。

 消費税ではどうなるかと言えば、車を購入する行為に対して税金がかかることになります。

 しかし、車を完成させる間には、様々なコストがかかっているはずです。

 部品を購入する行為も消費にあたれば消費税がかかりますし、その部品を製造する際の材料の購入も消費です。

 他にも、その一つ一つの部品工場では、電気代などの消費税も払っているでしょう。

 そう考えれば、完成した車だけの消費税ではなく、その過程にも発生している消費税の分も、購入した人が払っていることになります。

 8%が何度もかかっていれば、決して安くないということが理解できるかと思います。

 そう考えれば、テレビで、何もこの2つの税制の違いを考慮せずに、ヨーロッパは20%以上なのに日本は8%で安すぎるというのは、いかに無責任な発言なのかわかるかと思います。

  よく裏では消費税を上げたがっている財務省の役員が誘導しているという話も聞きますが、本当かは知りませんが、いずれにしても無知か悪意があって誤った情報が流されていることには変わりません。

 他にも日本の借金は、国民一人当たりに換算すると何百万円にもなるとか、これは年収何百万円の家庭がこれだけ莫大な借金を背負ってるのと同じことだ、という類の話もこれと同様の嘘が流されていますが、それは別の機会に気が向いたら書いてみることにします。

 本屋には平気で嘘が書かれた本が売ってることもありますし、テレビでも平気で嘘が流されているのはよくあることです。

 あまり真に受けることなく、疑いの眼差しで情報に接することも大事なのかもしれません。

 
 



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裸の王様ドナルドトランプ

| 19.1.17
 初めてiPhoneが発売された頃、まだまだガラケーが全盛の時で、iモードやezwebが使えず、メールも独自のものだったり不便だと言われていた。

 初代iPhoneにはカメラも付いていない。

 それでもiPhoneにしようかどうしようかと思っていたある日、テレビ東京のビジネス番組か何かで、グーグルがスマートフォン向けのOSのandroidを開発していて、数年後にはiPhoneよりも安い価格で提供できるようになるという記事を見かけた。

 それからふと興味を持ち始めて、たまにandroidやアンドロイドで検索してみても中々OSのアンドロイドのことが出てこなかった。

 グーグルで検索しているのにも関わらず、SFにでてくるような人型の機械のようなアンドロイドのことやサイボーグのことが書かれているサイトが表示されていた。

 今検索すれば、OSのアンドロイドや、アンドロイドのアプリや、アンドロイドとiPhoneの比較記事で埋め尽くされる。

 ちょっと遠回りしましたが、おそらく数年前であればトランプで検索したらカードゲームのトランプのことばかりだったと思います。

 気になって今グーグルでトランプで検索してみたところ、最初のページでかろうじて2つほどカードゲームのトランプのことが検索されていました。

 他はもちろん次期大統領候補ドナルドトランプに関することです。

 就任するのもあと数日になりました。

 そのためあえて記事のタイトルはトランプ大統領とはせずに、ドナルドトランプとしました。

 ちなみに私はスマホのアプリでアメリカのネットラジオのニュースをよく聞くことがあるのですが(英語を理解しているわけではないですが)、各国の首脳はフルネームで呼ばれていることが多いです。

 安倍首相はシンゾウ・アベ、プーチンはウラジミール・プーチン、習近平はシー・ジン・ピンで、オバマ大統領はバラク・オバマ(オバマさんはプレジデントオバマだけの時も多いですが)、金正恩はそのままキムジョンウンですがアクセントが違っててキ↑ム↓ジョ↑ン↓ウン!↑みたいな感じです。

 さて、タイトルにある裸の王様ですが、ドナルドトランプのことを裸の王様だと思っているのではありません。

 裸の王様には最後に「王様は裸だ!」という素直な子供があらわれます。

 ドナルドトランプは、その素直な子供のような存在ではないかと思うのです。

 中国は台湾を含む「一つの中国」を主張していたり、EUは英国以外には他に抜けたい国がないかのように振舞っています。

 そんな裸の王様たちに、正直な気持ちで、真正面から指摘したり批判したりするのです。

 子供の純真さは時に残忍だと言われますが、彼は70歳に近い次期アメリカ大統領候補です。

 個別の企業を批判すれば株価にも影響を与えますし、大金持ちなのでそんなことはしないでしょうが、やろうと思えば家族や友人を大儲けさせることができます。

 ある意味ではインサイダー取引にあたるので、職権の濫用ではないかと思いますが、米国以外にもメリットがあるのではないかと最近思い始めました。

 それはトランプの発言によって、色んな国の裸の王様がひた隠しにしていたものや、圧力をかけて強引に押し通していたものが、論理的ではないということを暴くきっかけになるのではないかと思ったからです。

 先ほどの「一つの中国」という主張も、きちんと論理的に考えれば台湾は独立した一つの国家です。

 台湾が中国であるという正当な理由は見当たりません。

 おそらくトランプ氏は大統領になることがなければ、この辺りの事情は知ることはなかったでしょう。

 でもわからなければ流石に誰かに聞くでしょう。

 そして詳しく知ることになれば(正しく理解されればですが)、わかった!と一つのことを理解するや否や、中国の主張っておかしくね?となり、正直に言ってしまいかねないのです。

 それは大袈裟かもしれませんが、アメリカの大統領が世界中の様々な国に対して、論理的に考えろというメッセージを発しているようなことなのです。

 おそらく今の時点では知らないし、今後も機会がなければ知ることはないかもしれませんが、中国が主張する南京大虐殺や、韓国の主張する日本軍が強制連行したとされる従軍慰安婦の問題などについて知ることになれば(正しく伝えられて理解されればですが)、わかった!あれ?日本そんなに悪くなくね?となって、日本を擁護してくれる可能性もあります。

 要するにトランプの正直さとは論理的な整合性が優先であって、意外と感情では動かされないところにあるのではないかと思うのです。

 そのためその国が好きか嫌いかではなくて、この方がアメリカの雇用が増えると思えば色んなところを名指しで批判しますし、論理的におかしいと思えばとりあえず発言してみて相手の様子を伺っているかのような印象を受けます。

 考えすぎかもしれませんが、そう捉えると、もしかしたら結構すごい大統領になるのではないかという気がするのです。

 逆に言うと、先日、習近平がダボス会議の壇上で、トランプの名前を出さずに保護主義を批判したことや、ハリウッド女優のメリルストリープもトランプの名前を出せずに批判したのは、トランプ本人にしてみれば、そんな遠まわしに言う奴の発言なんて大したことないと思っている可能性があります。
 
 トランプが批判するときはいつも名指しです。

 多分、曖昧でなよなよしているのが嫌いなのでしょう。

 世の中には、理屈はわかっていてもどうにもならないこともありますが、論理的であることすら否定して根拠もないのにこの主張を支持しろというのは本来道理の通らないことです。

 アメリカにも世界中にも、既存の権力が圧力で封じている裸の王様のようなものが数多く存在していて、それに気付けば、王様は裸だ!と言ってくれる正直者の子供のようなトランプが、大統領になってからも良いも悪いも正直であり続けて、良い意味で正しい言論の論理をいくらかでも定着させるようなことをしてくれれば、もしかしたら偉大な大統領になれるのかもしれません。

 オバマ大統領の時にもレームダック(死に体)と言って批判した米国や世界のマスコミが、今はトランプ氏を批判しています。

 トランプ氏もまたメディアを批判します。

 とにかくトランプが駄目だという印象や世論も作り上げられたものだと考えれば、まだ就任していないのに評価するのにはまだ早すぎるのではないかと思います。

 ただ就任してからやっぱり滅茶苦茶だったりしたら、申し訳ないので今回はこの辺で終わりにします。



  

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天皇の血統は方便

| 18.1.17
 以前に、制度としての天皇について、その成り立ちや時代背景などを書いた記事がありますので、興味がありましたらこちらもお読み下さい(読まなくても今回の記事を読むためには差し支えありません)。

 まずタイトルから誤解が生じてしまうといけないので、方便の意味について説明させて頂きます。

 元々は仏教用語だと思いますが、主に、目的を果たすための便宜上の仮の手段という意味だったり、 詭弁という言葉に近いニュアンスで使われることもあるかと思います。

 この2つの意味がそれぞれ当てはまるように説明したいと思います。

 前者の意味では、前回の記事に書いたことを引用して説明します。

 要点を簡単に説明すると、天皇という制度は、大昔、人々がなぜ病気になるのかわからなかったり、天気予報もないため作物が実るとも限らない不安であったり、法律の整備も脆弱でアンフェアだった時代に、最高の環境を用意して、些細なことに煩わせられることのない、人としての人生を全うする生き方を可能にした制度へと結果的になったというものでした。

 ここからは前回では書いていない補足の部分や新たな考察を書いてみようと思います。

 生まれてから死ぬまで、日常の些細なことに煩わされない存在とはどうあるべきでしょうか。

 できることなら生まれる前の御懐妊された時点から、産まれて無事に成長されれば次の天皇になることが決まっていることが望ましいということになるかと思います(望ましいだけであって絶対ではありません)。

 そういう意味においては、現代では早い段階でお腹の中にいるのが男児か女児かわかりますが、長らくは、産まれてからでないとわかりませんでした。

 産まれてから女の子だったら天皇になれないとやっとわかるのです。

 この辺りのことについては、いずれ女系天皇の賛否について記事を書くことがあれば詳しくその見解を述べてみたいと思っています。

 それでも少しだけ現段階で見解を述べると、なぜ男系のみだったかといえば、そう決めたほうが楽だったからであり、明確な理由はなかったのではないかと考えています。

 なぜなら、幕府の征夷大将軍も普通に男系でしたし、士農工商が本当にあったかは知りませんが、ごく一般的にも男の子が家業を継ぐというのは合理的だったのでしょう。

 それは男女差別といえばそうかもしれませんが、大昔のことに想像力を働かせてみて考えれば、生きるだけでも精一杯でわからないことだらけです。

 考えた結果そうなったわけではなく、それどころではなかったからというのが実際のところではないでしょうか。
 
 今では先進国の日本であっても、近代化されるまではある程度は法律みたいなものがあって人々の暮らしは守られていたかもしれませんが、ほんのほんの一部で、実際はかなり無法地帯だったと考えられます。

 現代のやくざ以上の無法者もたくさんいたでしょう。

 そうなれば矢面に立たされるのは男性が適していると自然とそうなっただけで、男女差別とはまた異なる状況だったと思います(意図的な差別というよりもやはりそれどころではないという意味で)。

 と、少し話が脱線してしまいましたが、天皇もまた男系が継ぐというのは仕方がない側面があったということです。

 そして、一度ルールが決まればそれを守ることが大切なのです。

 産まれてから死ぬまで、極力、些細なことで煩わせないためには、跡継ぎを決めるときもまた、争いごとがなく、自然と誰になるかが決まっていることが望ましいのです。

 だから、いったん男系が継ぐと決まってしまえば、そのままずっと続いてきたことは特に不自然なことではありません。

 そこでやっと血統は方便だという話ができるのですが、ここまで読んで頂けるとわかるかと思うのですが、血統もまた現代に続くルールの一つだということができます。

 自分が稼いだ財産を自分の血が繋がった子供が相続するというのは、今の時代でも当然といえば当然のことです。

 これもまたじっくり考えてそうなったというよりも、天皇を継ぐのは血統のある者というのは当然そうなるでしょう。

 しかし、それすら生涯をなるべく煩わせないように過ごすための方便であって、目的が果たされるのではあればその限りではないと考えることもできます。

 実際、次の天皇を天皇家でもなく皇族でもない者に決めようとすれば、かなりの争いが起きたでしょうし、そこまで寛容に物事を運べるほど成熟した社会ではなかったでしょう(今でもそんなことはできないと思います)。

 念のため大事なことなのであえて書きますが、血統主義を否定するものではありません。

 それが一番合理的だと思うからです。

 もう一つの詭弁に近い意味での方便はどこに掛かってくるかといえば、今年の1月15日に読売テレビで放送された、そこまで言って委員会NPという番組でのことです。

 明治天皇の玄孫でタレントの竹田さんが、天皇の血統が途絶えれば、天皇はそれで終わりでいいと言ったのです。

 なぜなら血の繋がりのない者に天皇を継ぐ資格はないという考えのようなのです。

 天皇の血統は、跡継ぎを決めるための一番合理的な方便であると理解できれば、このような方便(詭弁に近いほうの意味)にはならなかったでしょう。

 かなり喚き立てるように発言していたので、それを見ていて正直不快に感じましたし(私が不快に思ったかどうかはどうでも良いのですが)、明治天皇の玄孫でなければ普通にテレビ界から干されていたでしょう。

 ツイッターの方では以前にもつぶやいたのですが、同番組のコメンテーターは前と後ろにそれぞれ横並びで4人ずつ座っているのですが、前の席に座っている4人だけでいいです。

 今年に入ってから後ろの席の4人は今回も不要な発言しかしていませんでした。

 以前、たかじんNOマネーという番組があったのですが、やしきたかじんさんが亡くなられてから番組がリニューアルすると別番組になってしまい、毎週録画して見ていたのですが途中で視聴しなくなってしまいました。

 そこまで言って委員会NPも、元々は、たかじんのそこまで言って委員会です。

 かれこれ10年くらいほぼ毎週(北海道はたまにファイターズ関連で番組が放送されない)見ている番組がまた一つ、つまらなくなってしまうような気がして残念です。

 最後の方は話がかなり逸脱してしまいましたが、言論の世界では手段と目的を履き違えないことが特に重要だと思っています。

 読む人によっては過激で不快に受け取られる可能性もあるかとは思ったのですが、血統に反対しているわけではないということだけはどうしても伝えたいと思います。

 
 
 



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葬式は必要か

| 17.1.17
 冒頭からちょっと意味不明なことをいうかもしれませんが、少しじっくり考えて頂ければ多分、言ってることは理解できると思います。

 葬式は宗教によって形式などが異なると思いますが、逆に言えば宗教によって形式が変わるくらいなら何のためにやっているのでしょうか。

 もしかしたら正解があって、どこかの地方でどこかの宗教がやっている葬式だけに意味があって、死者が死後、幸せに暮らしているのかもしれませんし、ある程度の基準以上の葬式(何が基準になるかはよくわかりませんが)をしていれば地域や宗教を問わずに死後の世界である程度平等に暮らしているのかもしれません。

 でも、そんなことは確かめようもありませんし、おそらく葬式というのは簡単に言えば冠婚葬祭ビジネスの一端で行われている現代的な風習だと思います。

 遺体やお骨を管理するのは誰でも気楽にできることではありません。

 誰がやるのかということになった時に、本来は寄付のみで成り立っていた宗教がその役割を担うようになり、ビジネスとして成長したのが現代の葬式の形なのではないでしょうか。

 葬儀屋さんでも現代的な機械式の斎場など、宗教家ではない人が関わっているのはそういうことだと思います。

 宗教に不思議な力があって、それが死者の魂を慰めるという意味があったとしたら、葬儀屋さんもお坊さんがやった方が良いような気がします。

 要するに、葬式というのは宗教の神秘的な力で死者を弔うと見せかけた、割と新しいビジネスだといえます。

 歴史のある家系に生まれたとかではない限り、何代前までの墓石をたどれるでしょうか。

  では、それより以前の供養されていない先祖はあの世で不幸な待遇を受けたのでしょうか。

 ちょっと宗教全般の話から仏教よりの話になってしまいましたが、考えれば考えるほどどこかおかしいことに気が付くと思います。

 お墓一つとっても、ああいう石でできたお墓は日本だけかと思います。

 仏教の誰がああいうお墓にすべきだと決めたのでしょうか。

 だとすればその宗教的な理由は何なのでしょうか。

 宗教的な理由がことごとくないのであれば、葬式を宗教にゆだねる必要はありません。

 始めの方にも少し書きましたが、近代化が進むにつれて、誰が葬式をして遺体やお骨を扱うのかとなった時に、宗教がその役目を担ったということであって、 宗教が葬式をやらなければいけないということではありません。

 きっと大昔は細々と、だいたいあの辺、みたいな場所に埋葬されていたのです。

 ところが、近代化が進むと、あらゆる土地が所有権を持ち始めて、区画が整備されていくと、勝手にそれまでのような、だいたいあの辺というのができなくなってしまいます。

 だから宗教が担うことになったんだと思います。

 現代でも遺体がどこにでも埋葬されれば困りますし、お骨もお墓の中以外でとっておくのもあまりいい気はしないものです。

 今だって、そういったものはなんだか縁起が悪いのです。

 近代化が進んでいく過程では今よりももっと根拠がなくても、なんだか縁起が悪かったでしょう。

 それでいながら、だいたいあの辺に埋葬しておけばいいというのも通用しなくなって来た時代では、その対応は急務で行う必要があったと思います。

 ところがこのまま今のやり方でやっていけばどうなるでしょうか。

 どんどん墓地が広がっていって、お墓だらけになってしまいます。

 今だったら何世代も前に遡れるほどお墓がある人はそんなにいないでしょうが、これから何世代もきっちり墓に遺骨を残していけば、遠い未来の子孫たちは、たくさんのお墓を掛け持ちすることになり、お墓参りも行けなくなるでしょう。

 一番良いのはビジネスを辞めることです。

 そして、どこの宗教でも開祖が言及してなくて、明らかに後付けになっている葬式の論理は一旦見直さなければいけません。

 ただし、既に利権と化しているため無闇に引き離してしまうのは、お坊さんの暴動を招くことになりかねず、その後のケアなども含めて、慎重に進める必要があります。

  少なくとも仏教では位牌やお骨に意味があるようなことを、開祖の釈迦が言ったというのを聞いたことがありません。

 戒名や49日ついても語っていませんし、お盆に墓参りしろとも言ってません。

 それどころか、僧は葬式に参加するなと言ったそうです。

 なぜかというと、お坊さんというのは生きている人のために存在しているからだそうです。

 これは私の独断的な解釈なので、間違っているかもしれませんが、本来は成仏とは生きている間に、文字通り仏に成ることを意味していると思います。

 それでも仏教が永い歴史を歩んでいる中で、南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも成仏できる、死後いきなりあの世に行くのではなくて途中の場所で誰でも仏に成れるという風に段々と解釈が変わっていきました。

 正確には解釈が変わったのではなく、高尚なお坊さんが深い洞察力を持って知り得たことなのかもしれませんが、それを都合よく受け取って、葬式さえちゃんと行えば生きている間に仏を目指す必要はないとでも言わんばかりに利用されてしまっている側面があると思います。

  誰もやりたがらないことだからビジネスになってしまったのです。

 葬式や死者への供養が宗教と決別し、宗教は生きている人のためにその役割を果たすことが望ましいですが、何か大きなきっかけが起きない限り現状のままでしょう。

 その矛盾を内包した風習を受け入れる気持ちもまた宗教心的な部分なのかもしれませんが、いずれ変わっていくものだと思っています。

 それがもし、近い将来にその動きが起きた時には、従来の宗教と葬式との結びつきに固執せずに、未来に生きる子孫のためにも、より良い方法へシフトしていくことが望ましいと思います。

 


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血液型占いについて

| 16.1.17
●ウィキペディアに記載されていた興味深い記述 

 まず始めに、内容が偶然被ったりしたら良くないかなと思って、Wikpediaで血液型占いの項目を調べてみたところ(これを書いている時点では)、それは大丈夫だったのですが、一つ興味深いことが記載されていたので引用します。

 ”BPO(放送倫理・番組向上機構)は2004年に、「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長することのないよう要望する」との声明を発表。これによりテレビで血液型占いは扱われなくなった。”

 そういえば以前はテレビでも血液型占いはよく見かけたものですが、この頃は見ないような気がします。

 バラエティ番組でも小学生を血液型ごとに分類して、例えば写生会などを調査して、AB型の子供は独創的な絵を描くなどと勝手に結論付けていたりしていました。

 しかし、既に13年も前から扱われないようになったのはウィキペディアで初めて知りました。

●血液型占いの発祥

 私が知る限り、最初に血液型占いに関連する本が発行されたのは能見正比古という方が書いたものだと思います。

 既に知っている方や、興味がある方は著者名を検索すていただいたらわかると思いますが、当初から血液型占いというよりは血液型ごとに分類した人間学というような内容のものでした。

 この著者の本のタイトルには血液型占いとは書いていないのですが、血液型からその人の性格や傾向を当てるという行為が占い的であるため、ほぼ同時に血液型占いという言葉も広がっていったと思われます。

 実は私は偶然、題名は忘れてしまったのですがその方の最初の本を読んだことがあります。

 帯は作家の筒井康隆が書いていて、筒井がB型であることについての記述だった記憶があります。

●血液型は日本軍も活用していた?!

 その著書の中で血液型に分類することの根拠が書かれていたことも覚えています。

 それは戦時中に、日本軍が実験的に血液型ごとに分けて様々な訓練を行っていて、その血液型に得意なことや不得意なことを調査して、効果的な兵士の役割分担を検討していたという資料があったということでした(詳細は記憶違いもあるかもしれませんがこんな感じだったと思います)。

 実際には検討段階に留まり、実際に行われていた訳ではありませんが、どうやら思い付きではなく、それらしい根拠があるという主張は他の占いではあまり聞かないものです(占いは統計学であるという意見もありますが、具体例に乏しいという意味で)。

 この本は売れて第1次、血液型占いブームが起きたと言われています(2次、3次のブームをよく知りませんがその後も度々流行ったのでしょう)。

●当たっているようにも見えるから信じる人が多い

  その能見氏の本には、様々な分野の有名人の血液型が載っていました。

 例えばB型には天才肌が多いというような記述(正確には覚えてないのですが)では長嶋茂雄が出てきたりしますが、後にイチロー選手もB型だったりして、やっぱりそうなんだと裏付けられるようなことがたまにあると、それが偶然かもしれないのに信憑性が増しているようなこともあり、広く拡散されて、今でも長く信じている人が多いのだと思われます。

 実は、その時の天才型のB型の例では、漫画家の手塚治虫もB型として出てくるのですが、その後、健康診断か何かで血液型の検査を行ったところA型だったことがわかりました。

 それまでご本人もB型と思っていたようなので、案外、血液型よりも、その血液型占いの情報による影響の方が大きいのかもしれません。

 確かに、日本ではA型、O型、B型、AB型の順番に多いそうなのですが、お笑い芸人の比率はB型が占める割合が多かったりします。

 ツッコミがA型でボケがB型というコンビも多いそうですが、だんだんお笑い芸人を目指す人が増えてきた昨今では、それほど血液型による偏りは少なくなっている傾向にあると思います(きちんと調べた訳ではないですが)。

●血液型は当てられるのか(個人的な話)

 ここで私の個人的な話をしますと、ある日知人から面白い血液型占いの本があるから読んでみないかと勧められて借りたのが、その本でした。

 その後、個人的な興味でたくさんの身の回りの人や芸能人の血液型を聞いたり調べたりして、合っているかどうか試してみたのですが、当たるときもあれば外れるときもあるという感じだったと思います。

 それでも、結構な確率で血液型を当てることができました。

 なぜなら元々4つしかないですからね(苦笑)。

 それでも個人的にはB型とAB型の人は割合としては少ないにも関わらず、当てやすい傾向があるように思いました。

 やはりこれも血液型が性格に影響を与えるというよりも、血液型占いの情報が後天的に影響を与えているのだと思います。

 これは自分がA型でもなくO型でもなく、B型ですといわれれば、なんとなくマイノリティな感じから個性的な選択を好むようになったり、最も少ないAB型ではAとBの両方を兼ね備えているから二重人格だと言われれば(実際はA型でもAAやAOだったりO型でもOOでしょうから二つあるのですが)、
血液型の話題になった時点で多少動揺が見られる場合があるのです。

●根拠が否定されると信じる理由もなくなる 

 それでも色々調べていると、それだけでも血液型の話題がネタとしてもできたりしますから、信じているとも信じていないともいえない状態が続いていたのですが、ある日それらが覆されることになりました。

 ある日、あるインターネットのトーク番組で「トリビアの泉」の元ネタになったとされる雑学にも詳しい、唐沢俊一という方がゲストで出ていて、様々なオカルトに関して語っていた際に、血液型占いの話題になりました。

 そこでも血液型ブームが能見氏の本から始まったとされる見解を話しながら、日本軍も検討したと書かれているが、それには裏があって、検討したが血液型による違いは見られなかったため採用されなかった、ということは書かれていないと言っていました。

 私は特に、その本に書かれていた、日本軍が検討していたという点を根拠に血液型占いを信じていた訳ではないのですが、確かにその本にはそこまでは書かれていませんでした(都合が悪いから当然そうなりますが)。

 しかし、何も根拠がないとなれば、信じる理由もなくなってしまい、その後はそんなに周囲の方の血液型も気にならなくなり、初対面の人に血液型を聞くこともなくなりました。

 今でも少なくとも芸能人の血液型を100人以上は覚えているので、たまにテレビで見れば、この人は何型だったなと思うことはありますが、それによって性格がどうとまでは気にして見ないようになりました。

●血液型占いはあてにならない

 それでもあるような気もするし、ないような気もする。

 でも、血液型にこだわらない方が、その人の個性がもっと見えてくると思いますので、信じなくていいと思っています。

 以前に、ロンドンブーツの番組で、温泉で恋人同士がカミングアウトするコーナーがあり、血液型を偽っていたと告白した彼氏に対して、彼女の方が激怒し別れるとまで言っていましたが(血液型占いを信じすぎている様子でした)、それまで一緒にいて気付かなかったとしたら、そんなもんですし、血液型に振り回されるようなことはしないようにしましょう。

 それに本屋さんに本が並んでるからといって、むやみに信じるのも危険です。

 血液型の本が売られているから信憑性があるなんてことはありません。

 それでも信じたいという方がいれば、ほどほどにして、血液型占いはあてにはならないくらいに思っていることが大事だと思います。





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罰(バチ)は当たるのか

| 15.1.17
 悪いことをしたらバチが当たるとか、罰が下るなんて言い方をしますが、実際にそのような報いが自然現象として起きることはそれほどないように思います。

 お菓子を食べ過ぎてダイエットに失敗したとか、部屋の中を片付けなくて散らかっているとか、そういう因果関係がそのまま自分の身に降り掛かってくることに関してはバチが当たったといえるかもしれませんが、裏で悪いことをした政治家のしたことがバレてしまえば罰が下るかもしれませんが、それは罰する法律であったり、それを執行する人間が作った仕組みや制度によって罰せられているのです。

 森の木を伐採したら森の精霊が怒ったりして、伐採した人が酷い目に遭うということではありませんし、海鮮丼を食べたら海の生き物の怨念によって悪いことが起きるといった自然現象は起きません。

 逆にいうと、悪いことをした人は、人間が罰しない限りは何のバチも当たっていないということがいえると思います。

 そういう意味では人の行いで、何が良いことで何が悪いことかというのは、人間が決めているということではないでしょうか。

 だからこそ政治家の不祥事はいったん表に出ると、メディアや有権者に叩かれて、引きずり下ろされるようになります。

 犯罪であれば当然捕まります。

 犯罪ではなくても、この頃は不倫した芸能人なども似たような傾向にあります。

 それで視聴者からの好感度が落ちたり、不買運動などを行った結果、芸能活動で食えなくなったりすれば十分にバチが当たったといえるかもしれません。

  おそらく表に出ているのは、ほんのほんの一部で、悪いことはたくさん行われています。

 想像もつかないような規模であったり、悪いことなのかどうなのか簡単に決めかねるような出来事もあるでしょう。

 しかし先にも書いたとおり、人間を罰するのは人間です。

 その意識が及ばないところではもはや罰せられることはなく、自然現象でもバチは当たりませんから野放しです。

 政治家を引きずり下ろし、凶悪犯が刑務所に入っても、他に悪いことをしている人がたくさんいます。

 それは悪いことということが、当人にとっては悪いことではなかったり、悪いことだと分かっていてもやめることができないという性質のものだからなのでしょう。

 また何が悪いことか、ということについても価値観には個人差がありますし、そういったものを普遍的な法律として規定したときに、大枠ではあてはまっても個々の微細な差異についてまできっちり処罰されるということは難しいことだと思います。

 そこまで難しい話をしなくても、SNSなどで信じらない行為を目の当たりにして炎上していることなんて日常茶飯事です。

 そう考えると、バチが当たるというのは、それが本当に悪いことなんだよ、という情報を伝達している行為の集積ということもできるかもしれません。

 それでも犯罪者の中には冤罪の方もいるでしょうし、芸能人でも一般人でも誤解によって迷惑をこうむったり苦しむこともあると思います。

 なので、その集積は、バチが当たればいいと思っていても間違ってたら申し訳ないという分だけ控え目になったり、誤解だと知らなければそれだけ過剰に罰するべきだという意見が多くなってしまうため正確さを欠いていることになります。

 ということは悪いことに対して、正当な罰則を与えるというのはとても難しいことだといえます。

 一番いいのは悪いことも紛らわしいこともしないことです。

 そして、そのこととは矛盾するかもしれませんが、バチは当たらないということです。

 悪いことに対して正確な罰が下ることはないけど、悪いことをしてはいけない。

 どちらかというと、悪いことをしていないのに過剰に罰せられる可能性の方が高いといえます(法理的な意味合いではなく世間一般的に)。

 現代でも世の中は、お金持ちの家に生まれれば初めから金持ちですし、政治家の家に生まれれば圧倒的に政治家になりやすいですし、アンフェアな部分はまだまだたくさんあります。

 それでも法治国家であれば、それなりの犯罪はきちんと罰せられると信じますが、ちょっとしたことで、自分にバチが当たるんじゃないかとか、他人にバチが当たればいいということを考えるよりは、アンフェアな世の中が少しでも良くなればという、逆の、プラス方向の報いが起きればいいなと思うように心がけたいものです。

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心理学よりもコーチングを学ぶ

| 14.1.17
 突然ですが、心理学という学問は文系か理系どちらだと思いますか?

 日本では文系よりの学問だと思われている方が多いのではないでしょうか。

 私自身が留学して確かめたわけではありませんが、海外では(そもそも文系と理系の区別はないらしいが)理系よりの学問なのだそうです。

 別の分野の話ですが、日本では昔、コンピューターは文系の学科にあったと聞いたことがあります。

 コンピューターなら理系よりだと理解しやすいと思いますが、人間の心だって様々な情報を処理していると考えてみると、心理学が理系の学問であることが納得できるかもしれません(この説明は私の思いつきですが)。

 もしかすると心理学が文系だというのは、かつてコンピューターが文系だったのと同じで、いずれ是正されていくのかもしれません。

 場合によっては時代遅れだということになるのではないでしょうか。

 個人的には興味があって心理学の本はいくつか読んだことがあります。

 フロイトやユングやアドラー心理学などです。

 最近、日本のドラマでアドラー心理学を用いて何かを解決するような内容のがあるらしいのですが(全く見てないですが)、そのドラマのCMか何かを見て大丈夫なのか?と疑問に思いました。

  全く見てないので、ドラマの中ではちゃんとしてたり実は良い内容だったりしたら申し訳ないのですが、アドラー心理学といえば100年くらい前の古い学問です。

 それが始まりだといえるかもしれないし、その後にアドラー派みたいな学者がいて発展させているのかもしれないので、そこまで詳しいことは知らないですが、それなら今もっと役に立ちそうな考え方は他にもあると思ったのです。

 心理学を専攻していて、その歴史を知りたいという人には意味があるかもしれませんが、これからアドラー心理学を学んで日々の生活に役立てようというのであれば、そこまで重点は置かないほうがいいと思います。

 私が読んだアドラー心理学の本では、同性愛者は努力すれば治るようなことが書いてありました。

 現代的な解釈では、同性愛者が病気で心掛けが悪いなんて言ったらとんでもない差別発言でしょう。

 正確に計算してないですが日本では昭和よりも前くらいの時代ではないでしょうか。

 同性愛者の人たちの価値観がやっと一部で認められてきて、外国では同姓婚なども認められるようになってきたのはごく最近の出来事です。

 アドラーが学んだのが心理学の祖ともいえるような、フロイトやユングで、夢の分析などを重要視していたようですが、現代的な認知科学では、夢にはそれほどの意味はなく、脳内の記憶などの情報処理を眠りが浅い時に認識してしまうもののようです(先日拙ブログの「夢占いはあてにならない」にも少し書きました)。

 フロイトの肛門期がどうのという精神的な成長の過程の区分けなどもそれほど現代では重要視されていないでしょう。

 既に心理学がそのころ大成して、治療にことごとく成功しているのであれば別ですが、現代人も心の悩みを抱えていることから考えても、やはりそれが解決策としてはそれほど機能していないと思います。

 本当に大事ならきっと、子育てする親御さんたちは子供を見ながら、「今、肛門期だからね~」とか言ってることでしょう。

 ネットの掲示板では昨日見た夢の話をみんなで共有して、それはこういうことだと話し合われていることでしょう(一部では行われていると思いますが、本当に効果があるなら全員がやってるという意味で)。

 教養として読むということなら良いことだと思いますが、これらの心理学は小説などの文学作品を読むような気持ちで接するのに留めて、それが問題の解決に繋がるとは考えないほうがいいでしょう(と思いますが自分自身で考えて判断するのが良いでしょう)。

 せっかく目の前の心理的な問題を解決したい、自分自身に向き合ってみたいという気持ちがあるようでしたら、それらの古い心理学を学ぶよりも、コーチングの本を読んだ方がいいと思います。

 私はコーチング業界の回し者でもなく、利害関係もありません。

 またたくさんの種類もあり、紛い物や偽物も数多く出回っている可能性もあるので、どんなコーチングの本でもいいという訳ではありません。

 ここで具体的に挙げてもいいのですが、あえて今回は知らせずに、こうしたら見分けられるんじゃないかというのを書いてみようと思います。

 まず、そのコーチングの本を書いた人がコーチングの資格を有しているかどうかです。

 公的資格ではなく民間にしかありませんが、次に、そのコーチングの資格やその資格を主催している団体名などが明記されていればそれらについても調べてみましょう。

 そのコーチングの団体のHPがあれば、そのコーチング理論がどのようにして作成されたのか等の過程も書いてあると思います。

 どうしてそこまで周りくどいことまで知る必要があるかといえば、現代的なコーチングというのは、初めは教えるのが上手な人がいて実績をあげていたところから始まって、それがやがて客観的な知識や技能として弟子だったり生徒などに伝えられていきます。

 そこで一定の成果が得られるようになれば、団体として大きくなっていき、科学者に依頼したり雇ったりして、それが学術的にも正しいという方向に持っていきます。

 そして、より成果をあげるためにコーチング理論がアップデイトされるようになっていきます。

 その段階ではそれこそ優秀な心理学者や精神科医や認知科学者などが加わって作成するようになり、最初の頃の教えるのが上手な人という曖昧さがなくなって、より実践的なものに向かっていきます。

 おそらくそこまでたどり着いているコーチングの団体はそんなにはいないと思いますが、ホームページなどを見れば、世界的に知られている大学の教授だったり博士号を持っている人などが加わって(依頼されたりして)、そのコーチング理論の作成に携わったことが書いてあると思います。

 そういう本を読んだ方が、これから心理学を学んで、自分の人生にどう生かそうかと試行錯誤するよりも遙かに効率的だと思ってます。

 というかその試行錯誤がたくさん行われたあとから学ぶことができるのです。

 100年くらい前の心理学よりも、それから100年経って磨かれたものが同じ本屋さんに並んでいるなら個人的にはその方がいいと思います(ただし自己責任で)。

 最期までお読み頂きありがとうございます。

 
  

 

Lyrics "Light Music Soil"

| 13.1.17
Here in the middle of the city
State-of-the-art music
It is ringing in a refined space
Lighting is cool too
Even dancing was carefully selected
It is an excellent dancer who studied at school

Production of light that the promoter likes
Phrases preferred by repeatable music producers
More refined today than yesterday
Because we say that we are creating the era
That's it
That's it
That's it
Is it so?

Grip the wild soil
Muddy in the mud
Light music soil
Do not look only on the surface


Grip the wild soil
Muddy in the mud
Light music soil
Do not forget the farmers


Dance clothes phone toilet
SNS Lots of followers
Cool job
Envy life
Physiologically obedient
 

Under the sun
Looking up at the sky
Plow
Plow
Worried about harvesting





【Caution】
It is free to add sound to this lyrics, but please contact us if you want to make it for profit.
At that time I claim rights.
thank you for reading.

 

夢占いはあてにならない

| 12.1.17
 眠りが浅いためか、昔から夢はよく見るし結構覚えていたりする。

 私が10代の頃だったと思うが本屋で夢占いの本を見つけた。

 それは多分ここで名前を言えばわかる人もいると思うが、結構有名な占い師が監修している本で、絵本のように少し大きめで、幻想的な絵などが描かれていた。

 その後、小説で読んだ、三島由紀夫の最期の作品となる大作「豊穣の海」4部作の最初の「春の雪」では主人公が夢日記を付けていたりして、夢の持つ神秘的だったり奇想天外な部分に惹かれていたと思う。

 そして、ある日こんな夢を見た。

 実家の玄関先で私は獣に追いかけられている。

 動物に詳しいわけではないが、なぜかそれが虎でもチーターでもなく、豹(ヒョウ)だと確信している。

 私はなんとか豹から逃げながら家のドア(引き戸)を開けて中に入るやいなや、戸を閉めた。

 しかし、戸は完全に閉まらなかった。

 豹の片方の前足が挟まっていたからだった。

 私はなんとか戸を強引にそのまま閉めようとするが、豹の力がとてつもなく強く、ドアが開けられてしまい豹が家の中に侵入する。

 私は戸を閉めるのを諦めて、家の中を逃げ惑う。

 しかし豹に追いつかれた。

 豹は立ち上がり、その勢いで私に飛び掛ると、鋭利な爪で私の顔面を切り裂いた。

 痛みはなかったが、爪で顔をえぐられているのを感じながら、ああ自分は死んだなと思いながら床に倒れる。

 豹は倒れた私を馬乗り(豹が馬乗りは分かりにくいが)になって、さらに私の身体を爪で切り刻もうとするところで目が覚めた。

 夢から覚めてからは、その夢占いの本を読もうとした(読もうとしただけで読まなかったかもしれない)が、豹が載ってなかった(もしくは載ってないのを知っていたので読まなかった)ので、インターネットで調べることにした。

 すると幾つかのサイトが出てきて、その中の一つを見てみると、豹の記載があった。

 そこには豹は上司を意味するということが書かれていた。

 また、それは別のサイトだったかもしれないが、馬乗りにされるというのはトラブルを暗示していると書いてあった。

 単純に組み合わせると、上司とのトラブルということになる。

 なんだかその当時のバイト先に出勤するのが億劫になった。

 しかし、変な夢を見たからといってバイトを休むことはできず、いつも通りに出勤すると職場の雰囲気がいつもと異なっていた。

 妙にざわざわとしてて、緊張で張り詰めている感じもする。

 どうやらその日になって急に本社からのお偉いさんが視察に来ることになったらしい。

 その会社は全国展開していて、自分のバイト先が北海道の店舗なので北海道エリアの偉い人はたまに来ることはあったが、その日は東京から、その人はどうも社長よりもある意味では気を使うような存在で厳しいことで有名らしい。

 今思えば会社の役員とかなのかもしれないが、その当時はそこまで聞くこともなく、普段なら一番上の上司にあたる店長がピリピリしている。

 他の上司や社員の人にも緊張感が走っているように感じられる。

 何かミスをして目を付けられようものなら、厳しく叱責されるだけでなく出世の道を諦めたほうがいいくらいの雰囲気だった。

 そこで、その日見た夢のことを思い出して、すごく嫌な気分になった。

 今思えば、全国にたくさん店を構えていて、店舗ごとにもたくさんの従業員がいて、その中のバイトなんて眼中にないだろうというのはわかるが、タイミング悪くその上司が通りかかった時にミスでもして怒られるかもしれないと思った。

  そして、その日私が担当することになった持ち場が事務所のすぐ出入り口の近くで、頻繁に通りかかって見られるであろう場所だった。

 なぜよりによって社員ではなくバイトの私がそんな場所なのか。

 これも今思えば偶然ではなく、もし怒られたとして、あいつはバイトなんでって感じで言い訳するのに良かったからなのかもしれないが真偽はわからない。

 少なくとも大半の上司に嫌われていたと思うので、仕事ができるからその場所を任せていたという訳ではなさそうだ。

 当時は職場で親しく話せる人も少なくて、そういう人がいたとしても、変な夢を見たから持ち場を変えさせて欲しいとか、そもそも夢の話すらできそうもない感じだった。

 その後、いつも通り仕事をしていると、やがてその厳しいと噂されている本部の上司が何度も通りかかった。

 そもそも北海道の偉い人も厳しくて怖い人らしいのだが、その人も来ていて隣でヘコヘコ媚びへつらう様を見て、その時は思いださなかったが、これはまさしくべジータがフリーザを見て恐れおののく時のようだ。

 あの強いべジータをここまで震え上がらせるフリーザとは一体どれほど強いやつなのか。

 その脇にこれもまた普段偉そうにしている店長が一緒に店舗内を見て回っているが、心ここにあらずという感じだっただろうか。

 何度かその都度、ジロジロ見られた気もするし、たまに鋭い眼光で見られていたような気もするが、結果的には特に何もなく、無事にその日の仕事を終えることができた。

 あれは何だったのだろうか。

 都合よく解釈すれば、確かに上司とのトラブルとは言わないまでも、そこまで偉い人が来る日にそういう夢を見たというのはある意味当たっていたのかもしれない。

 しかし、もしそういうことがなかったとしても店長だったり、他の上司だったり、社員の人だってバイトの人間からすれば上司といえなくもないから、いずれにしても不安に思うことになったのではないだろうか。

 そこでトラブルが起きれば夢占いが当たったとなり、その後も信じることになったかもしれないことの方がある意味では恐ろしい。

 私はその日を境に夢占いは信じなくなった(元々興味本位だったから信じていた訳ではないと思うが)。

 その後は認知科学だったり脳科学の本などを読んだりして、 そもそも夢自体に特別な意味がないという科学者の意見なども読んだ。

 夢診断といえば、フロイトやユングの心理学では大きな意味を持っていたと思うが、そういう面でも夢に興味を持っていたきっかけだったかもしれない(あまり覚えてないが)。

 科学的には夢というのは、日中に見たり体験した記憶やそれまでの記憶を整理したりする脳の機能があって、その際に色んな記憶がごちゃまぜになったりする過程で認識されるもののようだ。

 だから夢は眠りが浅い時に見るというのは納得がいくような気がする。

 睡眠時に脳が情報をいくらか認識できるくらいには目覚めていて(完全には目覚めていないだろうけど)、その時に様々な記憶を検証して、これは重要だとかそうでもないとかやっていたら、色んなものが混ざっていて情報の整合性が取れていない状態になっていると思う。

 それを見たり聞いたりしているように錯覚すれば、あたかも体験しているように感じるだろう(記憶を認識しているから当然そうなると思う)。

 記憶をそうやって日々整理していかないと多分大変なことになる。

 例えば、長年家で飼っている猫を見て、なんで野良猫が家にいるんだろうと思ったり、10年前に食べたガムの味がずっと口の中に味覚として記憶されていれば食べ物が食べにくくなる。

 適度に忘れたり、適度に覚えているというそのバランスや認識があって人は目の前の現実を快適に生きているのだろう。

 多分そのバランスが崩れてしまうことが、アルツハイマーなどの認知症なのかもしれない。

 家族のことを覚えているのはそれが重要な記憶だからなのにそれを忘れてしまう。

 夢自体は無意味なランダムな記憶がごちゃまぜになったものを認識する現象だとしても、その現象が精神的にもすごく重要な役割をしているということがわかる。

  最後まで読んでくれてありがとうございます。

 
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