東日本大震災から10年あの日やあのあとの出来事を思い出す

11.3.21

月に1回なんとか更新しているブログで、今月は東日本大震災から10年という節目となることから当時のことを思い出しながら徒然なるままに書いてみたいと思います。


ちょうどこの記事を書いている頃は日付が変わって3月11日になっているはずです。


私は当時の職場が休日で家で過ごしていて、地震が起きた時はノートパソコンで株価を見ていました。


ここからは言える範囲と言えない範囲があるので、特に当時の仕事については曖昧にする場面もあると思いますので、ご了承ください。


ちょっと珍しい会社のルールかもしれませんが、当時の職場では震度3以上の地震があったら休日であっても会社に電話をするという決まりがありました。


当時は家で猫を3匹飼っていて、揺れている間は猫たちが不思議そうにしているように見えました。


揺れが収まり、テレビを点けると火災などが起きていて、ノートパソコンに目を戻すと株価が急落していたのを覚えています。


私は会社に電話をして、その時は特に出社するように言われることはなく、それが会社の電話が通じた最後でした。


その後の津波により、会社が入っている建物全体が停電してしまったのです。


ニュースを見ていても錯綜するばかりで、地元で何が起こっているかが見えません。


稀にローカルニュースで地元のことを言っていますが、会社への道路は通行止めになったことくらいしかわかりませんでした。


当時まだ使い方がわかっていませんでしたが、ツイッターアカウントを持っていたので、ツイッター情報を見ていると、会社の辺りは津波が来ていて、地元の消防が避難を呼びかけていると伝えられています。


こうした避難情報や大津波警報の出し方に情報インフラとしてのテレビの在り方に疑問を持った瞬間でもありました。


私はもやもやしながらも、会社へはおそらく行けないだろうし、出社する必要があれば会社から連絡があるはずだと思っていたのですが、停電になっているとはこの時まだ知りませんでした。


何度も繰り返される津波の映像、都道府県で誰か一人でも亡くなればその土地が赤く塗りつぶされる悪趣味な表示の仕方、全く入って来ない情報だらけですが、その日は情報収集で終わったように思います。


次の日、会社に行ってみると波は引いていましたが、見渡す限りあらゆるところが砂ぼこりにまみれていました。


聞くところによると、全員ではないですがほとんどの従業員は津波をかき分けて会社に来ていたそうです。


通行止めになっていたニュースを見て行けなかったことを伝えると、通行止めだろうがそこの従業員だと言えば、中に入れたとのこと。


この辺りはやっぱり情報のなさであったり、日頃の取り決めがなかったことが課題になったように感じました。


会社は開店休業状態で、事前に予約しているか帰ることができないお客さんのみ、停電していても良いか確認したうえで無料で泊めることにしました。


業務の大半は砂を掃き出す作業でした。


ここは詳しくは言えないですが、政治家の視察があったりとか、自治体が負担して瓦礫を撤去する措置をしたため関係ないゴミをわざわざ持ってくる人がいたりとか、そういう光景を見ていました。


会社は宿泊業以外にも倉庫業などを営んでいたため、そちらの被害が少なくとも1000万円以上あり、保険が出ないらしいということを聞きました。


ホテルという仕事柄、宿泊予約がどうなるのかというのがありました。


キャンセルの電話があればまだいいですが、それどころではない方、津波で亡くなっている方もいたと思います。


しばらくは予約が入っているけどもお客さんが来ないということが度々ありました。


電話で予約を受けた方の中に津波で亡くなった方もいます。


会うこともないまま生前の声だけを聞いたということになります。


常連さんの1人が津波で亡くなり、取材していた新聞社が私のところに来たことがありました。


どうやら普段あまり近所付き合いがなかった方らしく、何かの際に私が働いていたホテルをよく利用していて、そこの従業員に心を開いているようだ、みたいなことを近隣の方から聞いてやって来たのだそうです。


私に心を開いていたかどうかはわかりませんが、その人だけ名前すら書かずに通称名(あだ名)になっている常連さんだったのですが、ひょんなことから私に本名を教えてくれたことがあったのです。


それ以後はその常連さんの名前と連絡先などがわかっていただけに、津波で亡くなられたのをニュースで知ることになりました。


それで津波で亡くなった人のことを知る人物ということで、新聞社の取材を受けたのですが、会社側からはホテル名を出さないで欲しいと伝えていたようで、記事にはならなかったようです。


その後、生存を確認できた被災地の常連客も何人かいましたが、皆それぞれに壮絶な避難生活などを経て、すっかり人が変わってしまったような方もいました。


他にも思うことはたくさんありますが、取り止めがないので、この辺りにして、最後に今でも印象に残っているある出来事を書いてみたいと思います。


東日本大震災からそれほど経っていない頃、被災地の方から若い夫婦が宿泊に来ました。


料金を頂く際に、千円札ばかり入っている封筒から支払ったのです。


想像するに、被災地では一万円札よりも千円札の方が使い勝手が良いのでしょう。


そして、チェックインの際に住所を書いてもらっているので、被災地の方から来ていることも知っていましたし、お客さんも何か話しかけて欲しそうに感じたので、差し支えない程度に少しお話をさせてもらいました。


すると、地震が起きてから避難生活を余儀なくされて、生きた心地がしなかった、ここに来てやっと気分転換になった、と言われて、被災地での生活の大変さが伝わってくるようでした。


10年経ってもそうした心の傷も含めれば、復興など終わっていません。


永遠に終わらないでしょう。


私が住んでいる地域は比較的に被害が少なかったものの、当時の職業柄、東北のお客さんが多かったこともあり、誰からも慰められることのない心の傷を背負っているのかもしれません。


そして、偽善的なマスコミやメディアは当時もひどかったし、コロナ禍になっても変わらないばかりかますますひどくなっています。


当時の民主党政権は対応が遅れ、あからさまに不十分でありながら、今もその流れを組む政治家のほとんどはコロナ禍の対応で政府を批判します。


地震や津波による教訓もありますが、メディアや国を想わない政治家を支持しないことも教訓として忘れないようにしたいものです。


最後まで読んで頂きありがとうございます。





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