7月中に無理矢理もう一度ブログの記事を更新しようとも思っていたのですが、日々の些細な出来事に時間を奪われてしまい、気が付けば8月も半ばを過ぎ、そろそろ今月中の更新も逃してしまいそうなタイミングになっていました。
さて、その歴史に残る事件とは、もちろん参院選の応援演説中に安倍元総理が蛮行により暗殺された事件です。
当時は犯人が複数いるという噂もありましたが、今のところその方面での事実を裏付けるような証拠は出てこず、カルト宗教によって家庭をめちゃくちゃにされたという1人の人間が、そのカルト宗教と安倍元総理を勝手に結び付けて逆恨みし、手製の銃で銃撃したということになっています。
もしかしたら今後これらの点が変わる可能性もあるかもしれません。
私はその日、休日で家にいたのですが、普段こういうことは滅多にないのですが、朝普通に目覚めてから午前中に睡魔が襲ってきてしまい、犯行が行われた午前11時くらいは眠っていました。
目が覚めたのが午後2時くらいで、その時に安倍元総理が銃撃されたことを知りました。
遅い昼食を摂りながら見たテレビで、岸田総理の会見が行われていたのですが、目が赤く今にも泣き出しそうに見えたのが印象に残っています。
安倍元総理の死亡は妻の明恵夫人が病院に到着するのを待って医師から伝えられたそうですが、今思えばこの時すでに岸田総理には死亡しているか死亡の見込みが大きいことが伝達されていたのかもしれません。
本当に普段こういうことはないのですが、私は部屋に戻ると、また眠ってしまい、夕方過ぎに起きてから安倍元総理の訃報を耳にしました。
とても居た堪れないような気持ちです。
それから現在に至るまで、メディアやいわゆる反安倍とされる人たちによる国葬の反対、死んでも許さないという態度、旧統一教会と政治との繋がりなど、堰を切ったように亡くなられた方に対するものとはとても思えないような罵詈雑言をネットやテレビで見かけるようになりました。
それは安倍元総理がかつて掲げていた美しい国とは真逆の世界であり、多くは根拠や論理的な整合性を欠いたレベルの低い主張です。
いわゆるアベガーと呼ばれる人たちは安倍さんが総理大臣を辞任した後もアベガーであり、安倍元総理が亡くなってもアベガーのままなのです。
これは異常な事態だと思わざるを得ません。
自分なりに1ヶ月ほど考えていたことなどを書きながら、その異様さを紐解いていきたいと思います。
まずアベガーと呼ばれる人の大半は高齢者です。
高齢者だからアベガーとは限りませんが比率が高いのです。
これは高齢者の主な情報源がテレビや新聞などのオールドメディアに偏っていることが要因だと思いますが、もう1つその傾向になりそうだと思っていることがあります。
私の記憶ですが、昔のインテリは時の政府を批判することがその証だったように思います。
これは年配層にその傾向が顕著であるというだけで、若年層でもその間の層でも政府を批判することが知性的であると思う人がいれば、そうなるのかもしれません。
昔インテリだと世間的に思われていた職業といえば、これは私の想像ですが、学校の教師や医者や弁護士やメディア関係者などです。
俗に先生と呼ばれる職種ですが、代議士は政治家そのものなのでここでは先生と呼ばれていても含めないというか、この場合は野党のことになります。
そのため日教組がそうであったり、昔の作家や漫画家やアーティストや芸能人など、それ以外でもやっぱり自分が賢いと思う人は政治を批判していたのでしょう(作家も先生と呼ばれることがありますが)。
日本は民主主義の国とはいえ、戦後の復興から立ち上がるためには多くの国民が自民党を否応なく支持しないといけない傾向が続いていたのだろうと推測します。
そのため理想的な政治理念よりも公共事業や経済成長に注力している自民党を支持する必要があったのかもしれません。
当時のインテリたちは政府を批判したり、時の政権を揶揄することが自らの知性の表れであり、不満のはけ口だったのだろうと思います。
それは自民党政権に限らず、1994年の自社さ連立政権でも2009年の民主党政権でもとにかく批判することが賢いとされる傾向は続きました。
ところが2012年に第二次安倍内閣が発足した時に、実は大きな変化が起きていたのではないかと思います。
これまでは自公政権を批判していながらも、民主党や社民党や共産党を支持してきた自称インテリみたいな層は、民主党政権でも思うような功績が挙げられなかったこと、しばらく民主党が政権に返り咲くことがないことを知っています。
その絶望から安倍元総理へのダメ元のような批判が殊更強くなっていたのではないでしょうか。
まして当時の安倍総理は憲法改正を掲げています。
左翼や護憲派とされる人たちの怒りは増していくものの、自分たちが支持している政党は議席を多く減らしてしまい政権を奪取することなどできませんから、その圧迫感から過激さを増していった可能性があります。
また、個人的には理解できない感覚になりますが、安倍さんの同世代やその上の世代となると、自分たちは日本中が貧しい中で苦労して育ってきたのに、育ちのいい安倍さんのことを良く思っていないという感覚の人もいるのかもしれません。
こうして安倍さんへの行き過ぎた非人道的な批判というのが顕著になり、それが今も続いているものと思われます。
裏を返せばアベガーが支持する野党やメディアが弱すぎるのです。
本来はアベガーは自らが支援している野党やメディアを鼓舞して喝を入れる必要があるのですが、安倍元総理や自民党を批判することに慣れてしまい、建設的な手段を見失っているようです。
そういう意味では今の時代に相応しいインテリジェンスがあるとすれば、政府や時の政権をみだりに批判することではなくなっているように思います。
現代では知性の前にメディアリテラシーが必要になってくるため、日々の膨大な情報の中から取捨選択し信用するためには論理的な整合性が必須となっています。
論理的な整合性を欠いた場合でも相当の合理的な判断であることが必要だといえます。
例えば、安倍元総理の国葬に税金を使うなとか、国葬を裏付ける法的な根拠がないと騒ぎ、反対している意見があります。
しかし仮に法的な根拠がなかったとしても、日本の憲政史上で最も長く総理大臣を務めていて、世界中の首脳らとの関係性を築き上げてきた安倍元総理が亡くなったのに国で何もやらなかったら、世界各国から弔問に訪れたり弔意を伝えることが難しくなってしまいます。
だから合理的な判断としては国葬をやらないよりはやった方が良いのです。
もし国葬を取りやめて自民党関係者だけで行った場合、世界の首脳たちは自民党とだけ連絡を密にすることになるのですが、野党はそれでも良いのでしょうか。
アメリカなどで安倍元総理に敬意を表して半旗を掲げている国もあるのに、当の日本では国葬を税金で行うことに反対の声があったので中止にしましたとなれば、世界から見て日本は変な国だと思われませんか。
何のために税金があるのかといえば、こういう時のために税金があるのではないでしょうか。
安倍元総理のことは国内の政権争いというレベルの話ではないのです。
良い例えではないかもしれませんが、世界中に視聴者がいるユーチューバーがゲームの生配信で数億円稼いでいるのに、その親がゲームなんかせずに働けと言って配信の邪魔をしているようなものです。
アベノミクスという言葉は日本だけでなく世界でそのまま使われた流行語でもあります。
それも左巻きのユーキャンの流行語大賞には選ばれず、その年はドラマの名言が多かったとしてわざわざ複数のドラマのセリフが流行語大賞になっていたはずです。
こうして次元の低い国内の政権闘争、しかも野党のレベルが低すぎるため政権を任せられないという状況に囚われすぎて、日本での政治の議論は世界を見ずにガラパゴス化しています。
もう長年、政府や自民党を批判することが知性だと思っている年配層を変えるのは無理かもしれませんが、時の流れとともに減っていくのも止むを得ないでしょう。
若い世代の方がむしろネットやSNSに触れる機会が多く、テレビをあまり見ずに育っている傾向にあるので、メディアリテラシーを自然と習得していき、こうしたレベルの低い論争を見て、根拠もなく何でも反対するのはおかしいと気付いていれば未来は明るいのかもしれません。
昔は確かに政治を批判することが賢いように見えた時代があったのだと思います。
しかし何事も永遠にそのままであることが正しいということではなく、転石苔むさず(変え続けた方がいいとか変え続けない方がいいなどの真逆の2つの意味があるようですが)で常に論理的な整合性や客観的に見ても合理的な判断なのかを見る必要があると思います。
日本の国歌、君が代に「苔のむすまで」という部分がありますが、君が代や国旗掲揚に反対するような左翼的な人がいつまで経っても政府を批判すればいいという考え方に固執し、苔を蒸してしまっている様は最大の皮肉であり、得意のブーメランかもしれません。
別に右翼や保守的な考え方が正しいというつもりはないのですが、レベルの低い論争や論理的な矛盾は時間の無駄だと思ったので考えをまとめた次第です。
最後まで読んで頂きありがとうございます。