月に1回なんとか更新しているブログで、これを書いている今日(9月24日)は、9月では最後の土曜日になるようです。
やっとメディアによるコロナ報道が収束傾向にあり、代わりに喧伝するようになったのが安倍元総理の国葬反対(メディアは有無ではなく反対の意見ばかり)と旧統一教会への批判です。
安倍元総理の国葬が行われるのは9月27日なので、もうそろそろなのですが、終わってからだと9月も終盤でブログを更新する時間が確保できるか不安だったので、国葬の前にこの記事を書いています。
テレビのニュースで国葬について報じられる際によく付け加えられることの1つに、安倍元総理の国葬の是非が国民を分断しているというようなフレーズです。
記憶違いでなければNHKでも言っていたと思います。
分断という言葉をよく聞くようになったのは、2020年に行われたアメリカの大統領選挙からでしょうかね。
間違いなく分断は国葬そのものではなく、メディアが仕組んでいます。
NHKの世論調査によると、7月の時点では国葬について賛成が多く、8月では逆転して反対が多くなり、9月には更に反対を占める割合が増えたのだそうです。
安倍元総理が銃撃されて亡くなった7月8日の時点で岸田総理は国葬を行うと宣言しており、それは参議院選挙の期間中であり、自民党は議席を増やしたのですから、おそらく投票権を持っている国民の多くは国葬に賛成か、少なくとも中止を求めるほど反対していないと考えても良いでしょう。
しかし、メディアや野党が徹底してネガティブな側面ばかりを追求し続けた結果、テレビしか見ていないような年配層などから国葬はいけないことなのだという刷り込みがなされていったのかもしれません。
国葬であってもなくても安倍元総理が亡くなれば世界中から要人が来日するのですから、警備の面で税金がかかるのは仕方ないことだと思います。
野党は消費税をゼロにするとか、最低賃金を時給1500円にするとか、日頃から実現できるかどうかは考えずに好き放題に根拠なく主張していますから、国葬の中止もそれに似たようなものです。
安倍元総理が暗殺されているのですから、弔問に訪れる人たちからすれば、今の警備体制に問題がある日本に不安があるはずです。
ですから警備にお金がかかるのは仕方のないことですし、むしろここで警備にお金をかけて日本の警備体制が安全であることをアピールすべきなのです。
それを国葬に反対している人たちは、邪魔をしようとしているのですから、日本のためにもなりませんし、単純にいえば国葬に反対しているだけでなく、日本が滅べばいいと思っているのかもしれません。
国葬を行うこと自体は私も当初は疑問に思っていた部分はあるのですが、何をやってるんだかよくわからない岸田内閣にしては、かなり思い切った決断をしたということで評価すべきだと思っています。
しかも重ねてですが、本当に国民の多くが国葬に反対しているのならば、参議院選挙で自民党が大幅に議席を減らすことだってあり得たはずなのに、議席を増やしていますからね。
法的根拠という以前に民主主義の国で、国葬をやると決断した政党の議席が増えたのなら、やらないよりはやったほうが良いと考えています。
自民党と旧統一教会との関係ですが、自民党以外の政治家でも旧統一教会との関わりがあるのにテレビなどでは全くというくらい報じられていないようです。
他の政党でも繋がりがあるのならば、これは単純に自民党は与党の期間が長いので議員の数が多いから、自ずと多様な団体との接点や繋がりが起きる確率が高いだけなのではないでしょうか。
また、カルト宗教は旧統一教会だけではありませんから、他の宗教も政治との関りがあれば同時に叩くべきでしょう。
これらの報道の一部を見て思うことは、今のメディアは嘘で出来上がっています。
朝から晩まで、不安を煽るテロップや音楽で印象操作していることもカルト的な行為だからです。
今のテレビは安倍元総理を糾弾しないといけない何かに取り付かれているカルト宗教そのものでしょう。
こうしてメディアは国民を扇動し、分断しようと試みますが、現実的に現代を生きる人々の中に起きているのは、分断というよりも細分化ではないかと思っています。
安倍元総理の国葬の是非と旧統一教会を糾弾すべきか否かについても、国葬に賛成で旧統一教会は糾弾すべき、国葬に賛成で旧統一教会は糾弾すべきではない、国葬に反対で旧統一教会は糾弾すべき、国葬に反対で旧統一教会を糾弾すべきではないなどの4パターンの意見に分かれることと思われます。
昨今のコロナ禍でもワクチンを推進する方と慎重な方、PCR検査を拡充すべきか否か、今でもマスクを着用すべきか否か、となった場合に、6パターンほどに意見が分かれてしまいます。
1つの問題だけを議論すれば、意気投合したり罵りあったりしている関係があったとしても、他の問題に移れば急に関係性が変わることもありますし、より意見があったり合わなかったりすることもあるでしょう。
世の中は複雑さを増していますから、世の中にある無数の問題の1つ1つについてどう思っているか各人が考えた場合に、それぞれに違いが出てしまい、昔からそうかもしれませんが、みんなが納得できる政治というのは、だんだん難しくなっていくのでしょう。
そうなるとメディアであったり恐怖政治だったり、圧力的なもので半ば強引に国民を締め付けてくることが、国をまとめる手段になっていく恐れがあります。
昨今のメディアがなりふり構わず強引に偏向報道を行うのもその要因の1つかもしれません。
ロシアとウクライナの戦争も7か月を過ぎましたし、対話よりも力でねじ伏せていくような時代がやってきている可能性があります。
なので、こうした強引に圧力をかけてくる勢力(日本の今の現状だとメディアや過剰な左翼的な運動など)を疑うことがまずは大事になってきます。
風が吹けば桶屋が儲かる的な論法で、次はそうした圧力から逃れてくる人々が向かう先に待ち構えている勢力(これは具体的には難しいですが、中国や韓国だけでなく欧米的なものやビジネス保守のような勢力など)を疑うべきです。
大衆に比べると数は減ってしまうかもしれませんが、ネットリテラシーをある程度まで磨いていれば、騙されにくいという共通項があるので、細分化していてもそこで結束できる可能性はあります。
最後に、細分化についてですが、昔ホテルで働いていた時に観光シーズンなどの繁忙期に思っていたことを書いて終わりにしたいと思います。
部屋が満室になってもホテルに空きがないかフロントまで訪れる方や電話で問い合わせる方を断り続けないといけないことがあります。
ただ、本当は全く部屋が空いていないこともない場合もあります。
でもそれは通常ではお客さんからのクレームが付いてしまう可能性があるため、泊まることができたとしても使用していない部屋というのがあったりします。
例えば窓がない部屋であったり、あまりないとは思いますが壁紙を張り替えないといけないくらい目立つ汚れが広がっているとかですかね。
少しでも売り上げを伸ばしたい場合は、お客さんにこうした部屋を事前に確認してもらって、それでも良かったら泊まってもらうこともありました。
しかし、事前に承諾を頂いていたとしても、今はネット社会ですから、クレームを書き込まれたりすると、イメージダウンになってしまうというリスクが付いて回ります。
その時に思ったのは、自分がそうだからというのもあるのですが、大抵のことなら気にしないし、ネットに書き込んだり文句を言ったりしませんよ、という証というか信用を担保できる人物であることを宣言できる仕組みみたいなのがあれば、客にとっても企業にとっても良い場合があるのではないかと思いました。
その限度こそ人それぞれであり、細分化していると思います。
ホテルの部屋ならテレビがなくてもいいよとか、お風呂がなくてもいいよとか、窓がなくてもいいよとか、電気がなくてもいいよとか、そういうのをアプリで登録して、泊まりたい地域のホテルに情報提供して、利害が一致すれば、そういう通常は客を入れていないような部屋に安く泊まれるサービスみたいな感じです。
コンビニの食べ物なら賞味期限が1日くらい切れていてもいいよとか、逆に店側から搬入する時にビニールが破けてしまったけどどうしますか?とか、仕入れすぎちゃったとか、揚げ物を作るのをちょっと失敗してしまったとか、安くするけど買わないか?みたいな逆オファーもできるようになります。
そのように、自分はこういうのは平気だけど、こういうのはちゃんとしないとダメというのがあるはずなので、それを逆手にとって、上手くビジネスが回ればいいのになと思ったりします。
少なくても今の自分にそれができるだけの資本も時間もないので、やりたい人がいたらやって欲しいくらいです。
情報化社会が進むほど人々の細分化が顕著になってくるはずなので、多様性という言葉で片付けないで、むしろ寛大さや人が嫌がっても自分は平気なことというところに価値が生まれれば良いなと思ったりもします。
そうなれば正直者が馬鹿を見るどころか得をする時代になるかもしれません。
というわけで話が長くなってしまいましたが、今起きていることは分断よりも細分化、細分化はビジネスになって欲しいという思いもありつつ、昨今の分断を煽るメディアや対話が大事とか多様性を認めろとかいいながら圧力で強引に人々を掌握しようとする勢力に危機感もあったので、その辺りのことをまとめて書いてみました。
最後まで読んで頂きありがとうございます。