なぜ大衆は頭のおかしい人を求めているのか?
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3.1.20
2020年の最初の記事です。今年はジャンルに関係なく、月に1回以上ブログを更新するようにしたいです。
昨年は社会派的な内容の記事は控えていたというか、あまり時間が割けなかったので、自分自身で考えを整理するのも兼ねて、最近ぼんやりと考えていたことを書きたいと思います。
昔からアウトサイダー的なポジションかもしれないですが、ここ数年はさらに世間一般的な評価とのズレを感じるようになってきました。
バスるという言葉があるけども、全部とは言わないけど何が面白いんだかわからないということがあります。
理解できないというよりは、理詰めでちゃんとこうした理由で面白くないと説明できる事柄もあります。
それでふと思ったのは、ざっくりとですが、大衆というのは、才能ではなくて頭のおかしい人を求めているのではないか、ということです。
音楽であったり小説や映画やお笑いとかクリエイティブなことを生業としている人は、才能のぶつかり合いで競合し、生き残っていく側面があると思います。
しかし、世間一般の評価は才能や人格などは見ていません。
頭がおかしいかどうかで判断している気がします。
クリエイティブな才能は、商業的な宣伝などにも活用されます。
実際は頭がおかしい風に見せているだけで、まともな人でなければ職業としては成り立たないはずでした。
スマホの普及やSNSの発展は、頭のおかしいだけの人でも一瞬のキラメキを残すことができるようになりました。
ネットを介して間接的に接するのであれば、頭がおかしい人でも問題ありません。
むしろ才能がある人は、本当は賢かったり、その業界を真剣に捉えていたりするので、そういうのは一般大衆にとっては、コンプレックスの素であり、批判の対象にすら成り得ます。
それなら遠くから、自分よりは下に見れるくらいの頭のおかしい人の方が、コンプレックスを抱いたり、難しいことを考える必要がありません。
つまりスマホの普及というのは、情報的な便利さをもたらしているのですが、便利さとは人間を退化させる側面もあるということです。
ネットの炎上はそれの最たるものです。
また俗にいうアンチというのも、潜在的には頭のおかしな人(自分よりも下の人間であって欲しい)に取り憑かれてしまったストーカーみたいなことです。
きっとしばらくして、ネット社会が成熟していけば、過度なアンチ行為というのは、今でいうセクハラやパワハラ、ストーカー行為のようにしてはいけないことになっていくでしょう。
今はまだ、頭のおかしい人を探して、叩いていれば、それで日々のストレスやコンプレックスが幾分か収まる人々がそれなりにたくさんいるというだけのことかもしれません。
そういう傾向のある人たちの多くは、夢や人生のゴールを持っていないと思います。
それで勝手に頭のおかしい(と思いたい人)を見つけては、ネットで陰口を言ったりして叩きます。
逆をいえば、頭のおかしいとされている人は無謀とも思えるような壮大な目標を持っている場合もあります。
個人的には、夢を持っている人の方を応援します。
ただ、犯罪とか人に迷惑を掛けるような夢はダメですけどね。
拡大解釈になりますが、夢を持っている頭のおかしい人を叩いている人は、夢を持っていない頭のおかしい人です。
夢を持っている人は、誰かに邪魔されることはありますが、夢を持っています。
夢を持っていない人は、誰かを平気で邪魔することがありますが、夢を持たないまま人生を終えます。
人として生まれてきて、短い時間の中で、勝手に自らのことを過小評価して、自分は夢を持つのに値しない人間だと思い、夢のある人を叩くのです。
そっちの方が頭おかしくないか?
ということを考えてみて欲しいなと思ったり、思わなかったり。
それを逆手にとって、頭のおかしい人を演じることが、今の時代で道化になるということで、意図的にそれが上手にできる人は成功するかもしれないです。
その一方で、犯罪を犯した頭のおかしい人の中には、自分はまともだけれど頭がおかしい振りをしていると思い込んでいる犯罪者がいます。
実は、それが一番頭がおかしい人です。
狂人です。
そういう人は、自分の頭がおかしいことに気がつかないまま、自分はまともだけれど頭がおかしい振りをしていると思い込んでいるからです。
ネットで盛り上がっているのは、大抵、頭がおかしい人のことか、それを叩いているかのどちらかです。
いろんなことが混在してしまって、ややこしくなってしまいましたが、大衆心理にはそういう側面があるかなと思って、そういう視点からまた何か考えてみようと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。