月に1度なんどか更新しているブログなので、2020年の最後の記事になりそうです。
さて、アメリカ大統領選挙の投票日から、ひと月半が過ぎ、いまだ混迷が続いています。
日米ともメディアは次期大統領バイデン氏と報じ、トランプ大統領が敗北を認めず、根拠のない選挙の不正を訴えているとしていますが、実際はまだどちらにも決まっていません。
そんな中で、日本で不思議なことが起きました。
保守層の間で分断が起きているのです。
正確には分断というよりも、本来は保守ではない層が炙り出されたと言っても良いかもしれません。
選挙には不正がなかったと言い切り、メディアや司法が否定しているのだからバイデン氏の当選で決まりだと断定しているのです。
それ自体は、各々の考え方なので自由ですが、そういう輩は選挙に不正があったと思う保守層に対して、なぜか攻撃的ですらあります。
不正がなかったと思うなら、黙ってバイデン氏が当選するのを待っていれば良いと思うのですが、焦燥感に駆られている感があるような慌てようです。
こういうことがなぜ起きたのか、ここ数週間、思っていたことがあるので書いていきたいと思います。
まず、保守というのはざっくりと2種類に分かれます。
考え方が保守である者と、ポジションとして保守を選んだ者です。
更にポジションとして保守を選んでいる者の中には、利益のために意図的に選んだ者と、思想とは関係なく大きな権力に従いたいというポチ的な保守とに分かれます。
何を伝えたいかというと、このようにハッキリと区別できることではありませんが、とりわけポチ的な要素で保守だった者にこうした裏切り行為のようなものが表れている傾向があるということです。
それがなぜ今回起きたかというと、アメリカの覇権が中国に取って代わろうとしている(無意識に思っているのも含めて)と察した者が保守層の中にいるからです。
つまり、大きな権力に従いたいだけのポチ的な保守にとっては、アメリカが強ければアメリカの味方であり、中国が強ければ中国の味方に鞍替えすることは当たり前のことなのです。
今回の選挙で、トランプ大統領がただちに不正の証拠を示して結果を覆すことができなかったのを見て、こうしたポチ的な保守層は、バイデン氏への忠誠か中国への忠誠に早々に切り替えてしまったのです。
たまに政治家でも自民党から民主党へ、民主党から自民党に鞍替えする人がいるでしょう。
あれと同じようなことです。
選挙の結果を覆すことが難しいのは誰でも知っています。
おそらく過去にも、アメリカで選挙の不正を暴くことによって結果が覆されて、大統領が変わってしまうことはなかったでしょう。
ポチ的な保守層は歴史を勉強して、従うべき権力者を間違えないようにすることが使命のように思っているのかもしれません。
だから過去になかったことが起きれば、既成概念の内側だけで考えて従うべき権力者を選びます。
そして、その通りバイデン氏が大統領になることがあれば、私はすぐにバイデン氏を支持していましたよと、現実を見ているのは私ですよと、言って仕事やビジネスに繋げようとするのです。
だから黙って待つことができず、むしろトランプ大統領の不正には根拠がない、と左翼メディアの情報まで取り入れながらバイデン氏を持ち上げてアピールするのです。
私自身は保守層でもなんでもなく、トランプ大統領を支持しているわけではありませんが、こうした保守の分裂、筋を通さない一部のポチ的な保守の裏切り、メディアの偏向報道などには失望しているので、こういう人々が言論の場から退場してもらうだけのためでも、トランプ大統領には再選して欲しいと思うようになってきました。
あらゆる仕事は、その目的(機能)を果たすことが重要です。
しかし言論の場は、不安を煽ったり、嘘を平気で言ったり、圧力をかけた方がお金になるという誤った世界になっています。
仮に今後、バイデン氏が大統領に就任するようなことがあったとしても、それ以外の結末を迎えたとしても、今回の件で平気で保守を裏切り攻撃するような論客やメディアを信用することはできません。
少なくとも、今回の選挙で、バイデン氏が8000万票、トランプ氏が7480万票なのは投票数が多すぎて、異常であり、投票が正しく行われたかについては十分に調査した上で、大統領を決めなくてはいけないと考えています。
メディアや政治や司法が腐敗していれば、バイデン氏がアメリカの人口よりも明らかに多い10億票とかを獲得しても平気で不正はなかったということになるのでしょうか?
そんなわけない、そこまで票が多すぎたらおかしいだろう、と思う方もいると思いますが、それが8000万票でも十分におかしい異様な数字であることを分かっていただければと思います。
2020年の間には新型コロナウイルスは終息せず、来年はワクチンの普及で多少は希望が見えてきたような気もしますが、どうなるかまだわかりません。
ただ、祈るような気持ちで、望まない結果になったとしても、心までは屈さずにいられることだけは感謝しながら新たな年の始まりを迎えられればなと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。