古典は方言ではない
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9.6.17
昨日に引き続き今回も今朝見た夢の出来事を書いてみます。気が付くと私は学校の一室にいて、年配の先生たちが何人も前にいて、面接か面談のようなことをしているところでした。
自分が生徒のような気もするし、何か別の役割のような気もします。
なぜか私は先生たちに結構な上から目線でアドバイスもしたりしています。
インターネットが普及して20年くらいになるので、若い先生に限らず40代くらいからの先生でもネットを活用した授業をするのが慣れてきましたね、というようなことも言っていました。
そこからは場面がいつの間にか教室に変わっていて、おそらくさっきいた年配おじいさんの先生と先程はいなかった50代くらいの先生の二人で古典の授業が始まりました。
私は一番前の席についていて、机が学校のというよりは塾にありそうな横に長いテーブルのようなもので、私の左右にも座っている人が結構いました。
私の左側に座っているのが小中学校が一緒だった親しい友人の一人でした。
そこでも私は生徒のような生徒じゃないような感じで、黙って授業は聞いていますが、教科書は持っていないし、ノートも取っていません。
主に50代の先生が授業をしていて、年配の先生は私から見て左前の方で椅子に座ったままで、時折50代の先生が言ったあとに補足の説明をしたり、もう少しこんな風にしたらいいんじゃないかとその50代の先生にアドバイスしたりもしています。
黒板には大きく3つの段落に分けられている日本語の古文が書かれていて、教科書を見ていなくても、そこに先生がここの表現や漢字はテストに出ると言って、その文字を◯で囲ったりしています。
私は途中になってから、やっぱりノートを取ってみようかと思い、鞄から一冊しかないノートを出して、◯で囲まれたところだけを書き写していました。
そのノートは大半が古典以外の別の授業のことが書かれていて、残っているページはあとわずかでした。
私の周りの人はちゃんと教科書を持っていて、ノートもきちんと書いています。
隣にいる友人とたまに雑談していますが特に注意されることもなく授業が続いています。
そこで私は友人に言ったのか心の中で思ったのかは明らかではないのですが、その古文が地方で書き記された書物ではあるけど、文章自体は昔のものでも、特にその地方の訛りが入っている訳ではなく、当時としては標準語の文体なんだなということに気が付きました。
なんとなくその古文が日本海側の山形県~新潟県~富山県~石川県の辺りで書かれたものだと思いながら黒板を眺めていますが、おそらく実在している古文ではありません。
古典だから独特の古語や言い回しをしているけどそれは方言ではなく、当時としては標準語で書かれていたものである。
つまり「古典は方言ではない」んだなと夢の中でそう思っている感じでした。
今の時代でも日本中に方言が残っていて使われていますし、SNS等では気軽に方言で記された言葉を目にする機会が多いにも関わらず、情報機器が普及していない昔に書かれた、それも地方で書かれたものが、きちんと当時でいうところの標準語で書かれているということが意外とすごいことなのではないかと、漠然と思いながら夢が終わります。
夢というのは認知科学では特に意味を持たず、寝ている時に記憶を整理しているため、物事がランダムのようになって認識されて見えているもののようです。
そうすることで大事な記憶と忘れていい記憶などの優先順位を決めることで、日々の生活を過ごしやすくしている機能なのかもしれません。
そうでなければ、昨日食べた朝ごはんも一年前に食べた朝ごはんの記憶も同じくらい鮮明だったら面倒くさいですからね。
朝ニュースを見てアナウンサーの洋服も毎日全部覚えてしまってたら面倒になります。
よく一時期流行したニンテンドーDSなどのいわゆる脳トレものでは、3日前の朝食に何を食べましたか等と質問して、少し過去の記憶を呼び起こして、記憶力や日々の目の前にあるものを強く記憶させるトレーニングにはなるかもしれませんが、あまり意味はないんじゃないかと思っています。
大事なことは覚えていますから、わざわざ脳が大事じゃないと判断して忘れていることまで思い出す必要はないのではないかという感じがします。
記憶することも大事ですが、忘れることも大事なことなのかもしれません。
アルツハイマーなどの症状で、家族の顔などの大事なことまで忘れてしまうのは、記憶の優先順位を決める機能が衰えたことによることが原因であって、記憶そのものの損傷ではない可能性もあります。
それにしても夢が不思議だと思うのは、今回の夢でいうところでは、わざわざ実在しない古典まで自分の潜在意識が作って見せているということでしょうか。
一字一句は覚えていませんが、わざわざ3つの段落に分けられた古文が黒板に書かれていて、それを自分が読んでいるのです。
もしかしたら意味不明の文字の羅列を、夢の中ではそれが古文だと思って見ているだけの可能性もありますが、それでも記憶とそれを認識する関係性というものはまだまだ奥深いものがあるのではないかと思っています。
今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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