日本死ねが流行語になるまでの経緯
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20.12.16
民進党の議員でネット上でガソリーヌと呼ばれている人がいる。そのきっかけは地球を何週もできる程のガソリン代を計上したが、何の説明も果たさなかったことが由来だそうだ。
その議員は待機児童の問題をどう追及しようか、考えていたのだろう。
どこであの「保育園落ちた。日本死ね」のブログの出会うのだろうか。
可能性としてはいくつかある。
1、捏造である。
2、誰かからこういうブログがあるよという情報が入り閲覧した。
3、議員が自らネットを見ていたら出会った。
だいたいこれら3つの理由が考えられるのではないだろうか。
いずれの場合でも、その議員はこのブログが、待機児童の問題に対して、世間の注目を集めるのに適していると判断する内容だったことには間違いない。
捏造の場合なら、都合の良いように誰かが書いたことになるが、このブログと誰かが出会うためにはおそらく待機児童の問題をネットで検索したり調べてたりしていたのだろう。
この辺の経緯はよくわからない。
結構、謎の多い部分があり、その疑問点も思いつく範囲で書いてみます。
議員はこのブログを国会の場で引用することについて、ブログの筆者に承諾を得たのだろうか。
おそらく書いた本人はある日、突然ニュース番組などで国会で取り上げられていたことを知って驚いたという可能性はあり得る。
しかし、その後そのブログで、国会で取り上げられたことについて触れることもせず、流行語を取っても沈黙を守り続けている。
その筆者は日本のどこかで何を思っているのだろうか。
一体どんな人なのだろうか。
もしかしたら母親ではなかったり、女性ですらなく、日本政府を批判するためだけに書いた記事だとしたら、憶測の域は超えられないが、本当のことしかブログに書かない人なのかどうかも不明なままだ。
実際、国会の場でこのブログを引用した際に、政府の見解としては、匿名のいちブログにコメントすることはないというものだった。
それは当然のことだ。
そうじゃなければ、毎回都合のいいブログを見つけて来たり、議員が誰かに書かせたりするようになってしまう。
その、誰かはわからない、という答弁をひどく曲解して、それは私だ、というプラカードを掲げるまでのデモ行為に繋がったりしたが、そういう意味で言っているのではないのは明らかだ。
それに、それは私だ、というプラカードを持っている人の中には普通に年配の男性とかもいた。
全員が筆者ではないので全く意味のない行為だった。
同じ境遇であったり、不満を共有している、という意味だとは思うが、それなら児童待機の問題の方の札を掲げるべきであり、ブログの作者は私だと虚偽の主張をしても解決しないということになる。
そもそも数年前まで民主党が政権を担っていたことを忘れてはいけない。
当時の民主党政権が抜本的にこの問題を解決していて、自民党になってからそれを中止するなどの路線変更が行われたわけではない。
民主党もやってなかったのに、なぜ一緒になって政府を責める必要があったのか、反省の気持ちはあったのか、よくよく考えてみて欲しい。
実際、不満だった人たちには支持されることとなり、死ねという言葉はよくないが、この問題に注目させたからいいんだという誤った方向で肯定されることになってしまった。
そして、時が経つにつれて沈静化していったが、年末になり、流行語大賞にノミネートされると再び注目を集めるようになる。
しかし、大半の人は、選ばれることはないだろうと思っていたと思う。
実際、NHKの事前の街灯アンケートでは1票も入っていなかった。
ところが、実はこの新語・流行語大賞こそが、昨今そういう方向に偏った審査員によって選ばれる傾向が顕著になっていた賞だったので、ベスト10の中に入ってしまい、再び物議を醸すことになってしまった。
ここ数年の、アベ政治を許さない、など流行語でもないものがノミネートされていたことからもその偏向振りには危惧する部分があった。
何年か前に、流行語大賞が一つに絞れないほどあるということで、ドラマのじぇじぇじぇとか、倍返しなど3つも選ばれた年があったが、実はその年、日本だけでなく世界中で使われていた言葉がある。
アベノミクスという言葉はおそらく、世界での流行語大賞があったら大賞であってもおかしくない程だった。
それくらい日本だけでなく世界に影響を与えた出来事だった。
しかし、安部政権に反対している選考委員は故意に選ぼうとせず、むしろたくさん他の言葉を受賞させることで目立たなくさせようとしたのかもしれない。
もっと前の年だと、「欧米か!」が取りそうな年があったが選ばれたのは「どげんかせんといかん」だったことがある。
これは欧米か!のタカアンドトシの漫才のツッコミが勢いよく叩いてるように見えるため、子供が真似をしてはいけないからという配慮があったとされている。
しかし、そのため、リアルタイムを過ごした自分としては、どげんかせんといかんの年が欧米か!の年と、いちいち頭の中で変換させる必要が生じている。
じぇじぇじぇ、倍返し、の年はアベノミクスで、神ってるの年はペンパイナッポーアッポーペンかと、既に個人的には流行語の体裁を成していない感は持っている。
ちなみに1992年は、きんさんぎんさん、もつ鍋、などであって、ああ懐かしいと素直に思うことができる。
詳しくは知らないが、ユーキャンが関わるようになってから偏向気味になってきたような印象はある。
しかし、未来の人は、やはりこれらの流行語が流行ったんだろうなと思ってしまう可能性は十分ある。
そういう意味では歴史を捏造し、都合よく修正されてしまった出来事なのかもしれない。
それとも、既に流行語大賞の権威は失墜していて、あてにならない、別の組織でフェアな流行語を作ろう、という動きが起きれば覆ることもあり得る。
そもそもその年その年の世相を象徴している言葉が流行語なのだから、そのブログが人々の口コミを通して使われるようになり、広範囲に拡散して使用頻度が高いということでなければ流行語ですらない。
恣意的に国会議員が自らの政党や、ある種の売名行為のために引用されて、全国で中継されて広まったこと自体が、アンフェアであって、それを流行語に選ぶこともノミネートすることも、人々の心を誘導させようとしている意味では、捏造と同じことだったのではないかと思ってしまう。