自殺がなぜいけないかの話
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24.12.16
私自身は結構単純な人間だと思うので、ある時こんな話を聞いたら自殺をしてはいけないなと思うようになりました。●落語には生きていていい理由が含まれている
それは落語家の立川談志さんが生前にテレビに出ていた時にしていた話です。
落語というのはどんな人間でも生きていていいんだという、人間の業(ごう)を肯定するものだから、と言っていました。
落語を理解できれば自殺はしない、というような内容のことを言っていたら、他の出演者の方から、自殺した落語家もいるじゃないですか、と問われると、だからそれは落語を理解していなかったからだ、というようなことを言い返していました。
確かに、落語では家賃を滞納し続けて払える見込みもなさそうな借主と大家さんが花見に出掛ける噺だったり、死体を引きずり回して葬式代をせびったりする噺など、自分が知る限りでもどうしようもない登場人物が出てくる内容のものが結構あるように思います。
実際、立川談志さんは命くらい大事と言っても差支えがない自身の声を失っても、自殺することはありませんでした。
●抗うつ剤は危険という説もある
SSRIという抗うつ剤には異常行動などを起こすリスクがあるという説もあり、海外ではもうかなり前から反対運動が起きています。
実際アメリカですら23歳以下の若い人には使用しないようになったと新聞で読んだことがあります。
しかし、身体や体調は人それぞれですし、ある程度の年齢を経ていれば全く大丈夫かということには疑問が生じます。
日本で処方されていることは当然有り得ます。
今現在はどうなのか、医療の現場にいるわけではないので個人的には現状はわかりかねますが、実際に過去にSSRIが処方されたのが原因で自殺された方がいたとしても、それで精神科医が罪に問われたという話は聞いたことがありません。
医者は日本では禁止されてない抗うつ剤だから処方する。
患者の方はそれで症状が良くなるというのであれば、普通に薬として服用するでしょう。
抗うつ剤によって、おそらく脳内物質が生成されて、それが刺激となり症状が緩和されるという作用はあるかもしれませんが、その脳内の分泌物の量を適度に保てるかの確証はないと思われます。
それこそ効き目には個人差もあるでしょうし、効き過ぎる人もいればそれほど効かない人もいる。
効き目が長く続く人もいれば、効いたり効かなかったりの波やその振れ幅の強弱も人それぞれでしょう。
それはその人専用にカスタマイズされた薬ではない(カスタマイズされていたとしてもそこまで正確に脳内物質のコントロールに成功するでしょうか)ということも、それがベストな治療法なのか疑問が生じてきます。
おそらく効き目が強い場合や、効き目が切れた時などに異常行動を誘発する恐れがあり、よほど重度なうつ病でない限りは使用しない治療法を検討された方がよいかもしれません。
既に使用されている場合は医師などに相談して、薬の依存から抜け出す方向で、そのリスクなどを十分話し合う必要があると思います。
●自殺は殺人であるという意見
以前に読んだ本で、自殺は自分という人間を殺しているから殺人であるというような考え方の意見が載っていました。
それ自体は何か上手いことを言おうとしているのか、実際に自殺しようと考えてる人がそれを読んで思いとどまるのかと疑問を抱きましたが、言わんとしていることはわからなくもありません。
少し違うのですが、過去の自分個人の考え方を少しまとめてみると、例え死にたいと心底まで思っていたとしても、それは自分の人間という大きさでいったら、ほんのほんの一部に過ぎないと思うのです。
ずっと子供の頃から嫌いな食べ物がある日突然食べられるようになることもありますし、自分は自分だと思っているその心そのものがほんの一部の事象に過ぎないと思うのです。
そのほんのほんの一部分で一時期的に思い悩んでいることに対して、その他99.9%以上の”自分”は今の自分が気づいていないだけで生き続けたいと思っているとすれば、無理をして道ずれにすることはしない方がいいと思うのです。
逆に生き続けていれば、その死にたい理由が覆されて、解決する可能性もあると考えれば、死を選ぶことの方が取り返しのつかないことで、後悔しかないと考えることもできます。
おそらく自殺願望は人間以外の生き物では一生思いにもよぎらないことです。
知能によって生きることを阻害するのではなく、より良く生きることだけに使うための道具として活用することが大事だと思います。
私自身は何も偉そうなことをいえる立場の人間ではありませんが、自分なりに考え、もし可能であるならば自殺したいと思っている人の心を覆して、もう少し気楽に過ごしてもらえたらいいなと思って今日の記事を書いてみた次第です。
最後までお読みいただいてありがとうございます。