独特な句読点について
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18.2.17
今回はかなり視野の狭いどうでもいいような内容だけれども、一度書いてみたかったことなので記事にしてみようと思います。最近は言われなくなったのですが(まだ言われてないだけかもしれませんが)、10年くらい前から文章を書く時には句読点(くとうてん)をこんな風に使おうと考えて、結構ずっと一貫して勝手に続けています。
なのでプライベートでもネット上でも時々、句読点の使い方が変だから文章が読みにくいと指摘されることが度々ありました。
それでも仕事や金銭が絡む状況では素直に従いますので、その辺は大丈夫ですが、その書き方のままでいったんは提出して直してもらうことは何度かあったと思います。
最近、自分が見ていたゲーム関連のブログでも、私自身は何の違和感もなく読んでいたのですが、そのブログのコメント欄にはやはり句読点の使い方が変で読みにくいという書き込みを何度か見ました。
そのブロガーの文書を読み直したわけではないのですが、多少違っていても、おそらく根底的には似た考えがあると思いました。
それは文法的なルールで句読点を打つのではなくて、文章を認識させやすくするために句読点を使うということです。
というのも日頃プライベートで文章を入力する時もネットでも同様ですが、普通、一般の人がキーボードなどで入力した文章にはルビ(ふりがな)を振ることはまずないと思います。
昔は手書きだったり、書籍化する際は入念には編集段階でルビをきちんと振ったりしたかもしれませんが、そういう場合を除けば、ほとんど文章はそのまま読んでもらう形になります。
ちょっと一例をあげてわかりやすく説明してみたいと思います。
文章にふりがなを振らないという前提です。
(例文)私は苺を食べたい。
という文章を書こうとしているとします。
苺をいちごと読める人は多いかもしれませんが、漢字で書くのはなんか違うなという書き手の気持ちがあったとします。
私はいちごを食べたい。
なので、苺をひらがなにしてみましたが今度は見た目がなんか違うなという時があるのです。
これだけの文章だとそうではないと思いますが、この前後に結構な量の文章があったとすると、「はいちごを」の辺りでひらがなが渋滞していてパッと見ると伝わりにくいかなと考えてしまうのです。
私は、いちごを食べたい。
なのでここに句読点を入れることでパッと見てすぐに伝えたい内容が、読み手にとっては速く理解できるではないかというところまで、なんとなくですが配慮しているのです。
私はイチゴを食べたい。
苺をカタカナにする手段もありますが、この場合だと句読点は不要になりますが、この辺りはその時の書き手の気持ちやニュアンスによっても異なってくるかと思います。
次に口語文(話し言葉)だとまた変わってきますので同じように例をあげて考えてみたいと思います。
「私苺食べたい。」
これは先程のように今度は漢字が渋滞を起こしているように見えます。
「私、苺、食べたい。」
口語文になると、文章の時よりは句読点の使い方は自由になりますが、それでも見やすくなるために、言葉が途切れ途切れになってしまうのは、そういう意図である場合以外は避けたいという気持ちが働きます。
「私いちご食べたい。」
一貫性がないように思われるかもしれませんが、この場合は個人的には句読点なしでも大丈夫です。
なぜならパッと見て認識できるからです。
「わたし、いちご食べたい。」
話し言葉ですから、私のあとに間を空けたいという場合でも句読点を入れますが、 それならせっかくなので、文章全体の状況が大丈夫なら私をひらがなにして表現をしてもいいかなと思います。
「わたし、いちご、たべたい。」
もし一語ずつ途切れさせたい場合は全部ひらがなでいいかなと思います(どうでもいいですが苺と一語が掛かっているということを念のため書いておきます)。
ちょっと幼い女の子が話しているという感じなら、漢字よりこっちかなと思います。
少し、わかりにくかったかもしれませんが、文法的なルールというよりは読みやすさ、読みやすさよりは見やすさ、見やすさよりは認識しやすさ、という感じでしょうか。
あとは声に出した際の読みやすさも少しだけ意識しています。
それらが組み合わさって、その上で明確なルールではありませんから、文法的に句読点を学んできた人には読みにくくなるのです。
これが英語だったらこうなります。
私は 苺を 食べ たい。
日本語だとスペースがないため、余分な句読点が必要だと思うのはこのためです。
実際は日本語にスペースがあればその方が読みにくいです。
個人的には、小説を読んだ時には筒井康隆さんのような句読点が全然ない文章は結構好きで読みやすいです。
しかし、日頃書く文章は様々な人が読むことを前提としていますから、やはり句読点が増えてしまうという感じです。
最初の方にも書きましたが、すごくどうでもいい内容ですが、実はこだわりを持って句読点を使っているという話でした。
それでも同じことの繰り返しになりますが、直さなければ仕事や金銭的なものが発生する時に差し支えるということになればその通りにしています。
また、この句読点の使い方が必ずという訳でもないので、やったりやらなかったりなので、やはり一貫性はないじゃないかと言われればその通りかもしれません。
極端にいえば、昔は筆で文章を書いている時には、余計な句読点は書きたくなかったかもしれませんが、そもそもどういう理由で、その文法的なルールとしての句読点が規定されていったのかを考えれば、それはやはり文章をわかりやすく、認識しやすくするためだったのではないかと思うのです。
そうであるならば、やはり既存のルールではなくて、その都度その方が認識されやすい文章を心掛けて書いてみようという、ただそれだけの理由です。
色々、賛否が別れるとは思いますが、日本語が続く限りは、この先もついて回る話です。
文章を書く環境が変われば、文法も変わっていくと思います。
それは句読点に限ったことではありませんが、その理由は伝えたいことをより効率よく伝えたいという思いであれば、既存の文法から逸脱していたり、変わったものであっても良いのではないかと思っています。
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