葬式は必要か

17.1.17

 冒頭からちょっと意味不明なことをいうかもしれませんが、少しじっくり考えて頂ければ多分、言ってることは理解できると思います。

 葬式は宗教によって形式などが異なると思いますが、逆に言えば宗教によって形式が変わるくらいなら何のためにやっているのでしょうか。

 もしかしたら正解があって、どこかの地方でどこかの宗教がやっている葬式だけに意味があって、死者が死後、幸せに暮らしているのかもしれませんし、ある程度の基準以上の葬式(何が基準になるかはよくわかりませんが)をしていれば地域や宗教を問わずに死後の世界である程度平等に暮らしているのかもしれません。

 でも、そんなことは確かめようもありませんし、おそらく葬式というのは簡単に言えば冠婚葬祭ビジネスの一端で行われている現代的な風習だと思います。

 遺体やお骨を管理するのは誰でも気楽にできることではありません。

 誰がやるのかということになった時に、本来は寄付のみで成り立っていた宗教がその役割を担うようになり、ビジネスとして成長したのが現代の葬式の形なのではないでしょうか。

 葬儀屋さんでも現代的な機械式の斎場など、宗教家ではない人が関わっているのはそういうことだと思います。

 宗教に不思議な力があって、それが死者の魂を慰めるという意味があったとしたら、葬儀屋さんもお坊さんがやった方が良いような気がします。

 要するに、葬式というのは宗教の神秘的な力で死者を弔うと見せかけた、割と新しいビジネスだといえます。

 歴史のある家系に生まれたとかではない限り、何代前までの墓石をたどれるでしょうか。

  では、それより以前の供養されていない先祖はあの世で不幸な待遇を受けたのでしょうか。

 ちょっと宗教全般の話から仏教よりの話になってしまいましたが、考えれば考えるほどどこかおかしいことに気が付くと思います。

 お墓一つとっても、ああいう石でできたお墓は日本だけかと思います。

 仏教の誰がああいうお墓にすべきだと決めたのでしょうか。

 だとすればその宗教的な理由は何なのでしょうか。

 宗教的な理由がことごとくないのであれば、葬式を宗教にゆだねる必要はありません。

 始めの方にも少し書きましたが、近代化が進むにつれて、誰が葬式をして遺体やお骨を扱うのかとなった時に、宗教がその役目を担ったということであって、 宗教が葬式をやらなければいけないということではありません。

 きっと大昔は細々と、だいたいあの辺、みたいな場所に埋葬されていたのです。

 ところが、近代化が進むと、あらゆる土地が所有権を持ち始めて、区画が整備されていくと、勝手にそれまでのような、だいたいあの辺というのができなくなってしまいます。

 だから宗教が担うことになったんだと思います。

 現代でも遺体がどこにでも埋葬されれば困りますし、お骨もお墓の中以外でとっておくのもあまりいい気はしないものです。

 今だって、そういったものはなんだか縁起が悪いのです。

 近代化が進んでいく過程では今よりももっと根拠がなくても、なんだか縁起が悪かったでしょう。

 それでいながら、だいたいあの辺に埋葬しておけばいいというのも通用しなくなって来た時代では、その対応は急務で行う必要があったと思います。

 ところがこのまま今のやり方でやっていけばどうなるでしょうか。

 どんどん墓地が広がっていって、お墓だらけになってしまいます。

 今だったら何世代も前に遡れるほどお墓がある人はそんなにいないでしょうが、これから何世代もきっちり墓に遺骨を残していけば、遠い未来の子孫たちは、たくさんのお墓を掛け持ちすることになり、お墓参りも行けなくなるでしょう。

 一番良いのはビジネスを辞めることです。

 そして、どこの宗教でも開祖が言及してなくて、明らかに後付けになっている葬式の論理は一旦見直さなければいけません。

 ただし、既に利権と化しているため無闇に引き離してしまうのは、お坊さんの暴動を招くことになりかねず、その後のケアなども含めて、慎重に進める必要があります。

  少なくとも仏教では位牌やお骨に意味があるようなことを、開祖の釈迦が言ったというのを聞いたことがありません。

 戒名や49日ついても語っていませんし、お盆に墓参りしろとも言ってません。

 それどころか、僧は葬式に参加するなと言ったそうです。

 なぜかというと、お坊さんというのは生きている人のために存在しているからだそうです。

 これは私の独断的な解釈なので、間違っているかもしれませんが、本来は成仏とは生きている間に、文字通り仏に成ることを意味していると思います。

 それでも仏教が永い歴史を歩んでいる中で、南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも成仏できる、死後いきなりあの世に行くのではなくて途中の場所で誰でも仏に成れるという風に段々と解釈が変わっていきました。

 正確には解釈が変わったのではなく、高尚なお坊さんが深い洞察力を持って知り得たことなのかもしれませんが、それを都合よく受け取って、葬式さえちゃんと行えば生きている間に仏を目指す必要はないとでも言わんばかりに利用されてしまっている側面があると思います。

  誰もやりたがらないことだからビジネスになってしまったのです。

 葬式や死者への供養が宗教と決別し、宗教は生きている人のためにその役割を果たすことが望ましいですが、何か大きなきっかけが起きない限り現状のままでしょう。

 その矛盾を内包した風習を受け入れる気持ちもまた宗教心的な部分なのかもしれませんが、いずれ変わっていくものだと思っています。

 それがもし、近い将来にその動きが起きた時には、従来の宗教と葬式との結びつきに固執せずに、未来に生きる子孫のためにも、より良い方法へシフトしていくことが望ましいと思います。

 


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