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三島由紀夫の才能はチート級

| 1.1.17
 元旦といえば、ふとキンキキッズの堂本光一の誕生日だなと一瞬だけ思うことがある。

 もう一人、元旦ではないけど一月の誕生日の有名人として思い出すのは作家の三島由紀夫である。

 一時期、なぜか個人的に、三島由紀夫は昭和元年の1月1日生まれだと勘違いしていた。

 実際には大正14年の1月14日だった。

 元旦生まれは「仮面の告白」の主人公だったかもしれない(勘違いだったらすいません)。

 それと昭和45年に45歳で亡くなっているので、どうも自分の中で、計算間違いというか、何も考えずに、昭和元年生まれのように勘違いしてしまったというのが組み合わさってしまったみたいだ。

 絵心がなくてもクラシック音楽の勉強をしなくても、この絵や音楽はすごいという感覚は誰しも持っているものだと思う。

 それと同様に、自分にとっては、文章がすごい、ものすごく上手だと思うのが、三島由紀夫と谷崎潤一郎だ。

 この異様ともいえる文才を三島由紀夫はどのようにして身につけたのだろうか。

 早熟な才能は、既に中等科5年(16歳なので今の高校1年生かな)の頃に「花ざかりの森」を執筆、戦時中のさなかで、出版できたのは19歳の時になるらしいが、 どうしてそこまでの才覚を発揮できたのか。

 それは小説家になるためには有り得ないほどの恵まれた環境だったからではないかと考えている。

 簡単に例えると、たまに世界びっくり人間みたいな番組に、まだ小さいのに難しい数学を解いてしまう子供が出てきたりすることがある。

 それって誰も何も教えてないのに、ある日突然解き始めたならものすごいが、裏側では案外、親が必死に教えていて、教えられた通りにやっているだけだったりすることが多い。

 せめて自分から興味を持って親に教えてもらうようになったというなら、ある程度すごいかもしれないが、それでも数式を目にする環境は、ごく一般の家庭環境からすれば珍しいことだと思う。

 要するに、三島由紀夫の才能とは、それの文学版だと思っている。

 もちろんそれはきっかけにすぎず、それを磨き上げることによって、天才と呼ばれるようになり、それ相応の能力は持っていたと思う。

 しかし、あの時代に幼い頃から、歌舞伎や谷崎潤一郎や泉鏡花を学ぶことなど普通は有り得ない。

 当時の一般人には、まずそういった書物は手に入れることすらできなかったくらいだろう。

 おそらく貴族の末裔であるため、他にも当時は大学でも手に入らないくらいの貴重な書物が保存されていて、閲覧できるだけでなく、詳細を教えてもらうこともできるくらいの環境だったのではないかと想像している。

 これは、当時、他に小説家を目指していた人と比べれば、チート級といっていい程の恵まれた環境だったはずだ。

 チート級といっても、それが卑怯であるとかアンフェアだということではなく、むしろどのようにしてその才能が培われたかを考えを巡らせているうちに思い当たったという感じです。

 決して楽をしていたわけではないし、その才能に文句をいうためのものでもありません。

 今回は、才能の面について考えてみましたが、そのうち機会があればまた別の側面についても語ってみたいと思います。

 具体的な年号や出来事については自分の記憶だけでなく、一部分はウィキペディアからも参照させて頂きました(間違えると申し訳ないとも思ったので)。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

 

  
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